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Artist

FRANCO, VICKY ET L'OK JAZZ

Title

CESAR ABOYA YO/TONTON 1964/65



Japanese Title 国内未発売
Date 1964 /1965
Label AFRICAN/SONODISC CD 36588(FR)
CD Release 1997
Rating ★★★★★
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Review

 このころ、楽器と技術面からコンゴ音楽に転機がもたらされた。
 楽器面では、ソリッド・ボディのギターやエレキ・ベースが使われはじめる。また、エフェクト・ペダルの使用はギターに表現の幅を与え、ギターの重要性はますます高くなった。ちなみに、"FRANCO, VICKY ET L'OK JAZZ 1963/1965/1966"のジャケットで、ヴィッキーらと仲良く並んで写っているフランコは12弦のセミ・アコを持っているように見えるが、60年代なかばにはソリッド・ボディのギターを使っていたと思われる。

 おなじくドラム・キット、いわゆるジャズ・ドラムが使われるようになったのもこのころから。それまでは、コンガ、マラカス、クラベスといったラテン音楽系の打楽器編成が主体だった。だから、ドラム・キットの導入は、ラテン音楽からの脱却を意味するものであった。しかし、O.K.ジャズでドラムスは、マラカスに代わる堅実なリズム・キーパーの役割を受け持たされていたにすぎず、その特性が十分に活かされているとはいいがたい。

 そして、録音技術の向上は、これまで長くても3分30秒ぐらいだった演奏時間を6分近くまで収録可能にさせた。これによって、“セベン”とよばれる即興演奏を含むダンス・パートもレコードに収められることとなった。ちなみに、O.K.ジャズの演奏時間が10分近くにまで及ぶようになるのは、LP時代を迎える70年代なかばごろからである。

 これらの外的要因は、当然、O.K.ジャズの音楽にも変化をもたらしたのだが、このことをもっともよく体現しているのが本盤だと思う。“セベン”を収めた最初期の録音とされる'NGAI MARIE NZOTO EBEBA'"FRANCO, VICKY ET L'OK JAZZ 1963/1965/1966"収録)の演奏時間が3分46秒であったのにたいし、本盤の収録曲は大部分が4、5分台。フランコのギターとヴェルキスのサックスを中心としたスリリングなインタープレイが、これまでより長く楽しめるというのはうれしいかぎり。

 しかし、同時期の"FRANCO, KWAMY, VICKY ET L'OK JAZZ 1964/1965" 収録曲の平均的な演奏時間が2、3分台だったのに、このちがいの理由はどこにあるのか疑問が残る。はじめは2、3分台の演奏はおもに64年録音で、4、5分台は65年録音だからかと思っていたが、どうもそれだけではないような気がする。

 64年に、O.K.ジャズは自分たちのレーベルEPANZA MAKITAやBOMA BANGOを設立したが、同時並行して契約を交わしたいくつかのレーベルにもレコーディングをおこなっている。こうしたことから両盤の演奏時間のちがいは、シングルをリリースしたレーベルのちがい、さらにシングルにたいするレーベルの意向の問題がからんでいるように思われてならない。
 ちなみに、この編集盤のエディションは3曲がBOMA BANGO、残りの9曲がEDITIONS POPULAIRESとなっている。EDITIONS POPULAIRESは、70年代はじめに設立されたO.K.ジャズ名義ではないフランコ個人のレーベル。ということは、この9曲は70年代になってはじめて日の目をみたものなのか、それとも初出は別のレーベルからだったのか、そのあたりがよくわからない。

 このアルバムの特徴は、ひとことでいうと、ラテン音楽のつよい影響から脱して、欧米のポップスやアフリカの伝統的な要素をたくみにとりこんだオリジナリティあふれる作品群でつらぬかれていることである。といっても、ルンバ・コンゴレーズといわれるように、メロディやリズムには、いまだラテン音楽の要素が残っている。たとえば、フランコが書いたヒット曲'CESAR ABOYA YO''JOSEPHINE NABOYI YE' は、アタマからツメの先まで典型的なルンバ・コンゴレーズでありながら、スティック?がくり出すリズムはキューバ音楽独特の5つ打ち(シンキージョ)なのだ。

 また、シマロが書いた本盤唯一の作品'REGINA REGINA' は、美しいラテン調バラード。“バラード”というのがミソで、“ボレーロ”というにはメロディが欧米ポップス風であり、伴奏にはドラム・キットやめずらしくオルガンがはいっている。それは'TEL PERE, TEL FILS' のような、O.K.ジャズが得意としてきた泣きのボレーロの系譜とはあきらかにちがう。そこではもはやラテン音楽はムードづくりのためのエッセンスとしてしか機能していないかのようだ。

 O.K.ジャズの脱ラテンの方向性をいっそう明確に示しているのが'QUAND LE FILM EST TRISTE' というスロー・バラード。じつはこの曲、なんと!62年にシルヴィ・バルタンがヒットさせた「悲しきスクリーン」のカヴァーなのだ。いつものO.K.ジャズとは趣がことなる欧米ポップス風の伴奏にのせて、ヴィッキーとボーイバンダと思われるふたりが極上のハーモニーを聴かせてくれる。これほど美しく透明なハーモニーを聴かせられるのは、ほかにはザ・ピーナッツぐらいのものだろう。

 対照的に、コンゴの伝統音楽を現代風にアレンジして演奏したのが、'LUVUMBA NDOKI''KU KISANTU KIKWENDA KO' の2曲。このうち、'LUVUMBA NDOKI' は、当局から発禁処分を受けたいわくつきの作品。

 第2次コンゴ動乱が終結してまだ日が浅い65年11月、軍最高司令官モブツ中将がクーデタを起こし政権を奪取。カサブブに代わって大統領に就任する。モブツは民主主義体制が実現するまでの一時的な権力の掌握と約束しておきながら、あっさりとそれを撤回してしまう。かれは、自分に敵対する5人の政治家と知識人の身柄を拘束すると、独立運動の聖地とされていたレオポルドヴィルのマトンゲ地区にほど近いポン・カサヴブでかれらを公開処刑にした。フランコもこの処刑を目撃したひとりであった。

 'LUVUMBA NDOKI' は、おのれの利益のために自分の部族を犠牲にした首長の話を歌ったキコンゴの伝承歌だという。キコンゴでは、相手を告発するさいに、伝統的にこの歌をうたった。フランコがこの歌をモブツにむけたであろうことはだれの目にもあきらかだったため、発禁処分は当然のなりゆきだったといえる。フランコにとって幸運だったのは、モブツはキコンゴ語がわからなかったため、フランコは当局から事情聴取を受けただけで放免された。

 しかし、フランコとO.K.ジャズはこの事件のあと、ほとぼりが冷めるのを待つ意味もあって、対岸の都市ブラザーヴィルへ身を寄せ、そこでおよそ半年間過ごした。この間にもフランコは、“グリオ”としての特権を利用して、社会批評的なことがらを歌にしつづけた。
 半年後、かれらがレオポルドヴィルに帰還したときには、彼の地で新たに雇い入れたヴォーカルのユールー Youlou Mabiala とベースの“ビチュウ”Francis 'Celi Bitchou' Bitchoumanou をともなっていた。

 前12曲からなる本盤は、フランコの作品が7曲をしめ、上にあげた'CESAR ABOYA YO''JOSEPHINE NABOYI YE' のほかにも、'ZUANI NABALA NA MBONGO''LOKOLO' といったルンバ・コンゴレーズのお手本ともいえそうな完成度の高い楽曲が数多く収録されている。もちろん、フランコ、ヴィッキー、ヴェルキスを中心とした歌と演奏もたいへん充実しており、自信をもっておすすめできる1枚である。


(8.25.03)



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by Tatsushi Tsukahara