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Artist

FRANCO & LE TP OK JAZZ

Title

LIKAMBO YA NGANA


likambo ya ngana
Japanese Title 国内未発売
Date 1971 / 1972
Label AFRICAN/SONODISC CD 36581(FR)
CD Release 1997?
Rating ★★★★☆
Availability


Review

 最愛の弟バヴォンの事故死によるスランプをのりこえて、どこか吹っ切れた感さえ受ける“アンプラグド”の傑作。本盤からバンド名のアタマに「万能」を意味する'Tout Puissant' が付いてT.P.O.K.ジャズ(以後“TPOKジャズ”と表記する)になった。

 71年に国名がザイール共和国に変わったが、その同じ年にフランコはモブツ大統領の資金援助を得て、O.K.ジャズの大規模な増強と改変をおこなった。まず脱退したヴィッキーに代わって、ヴォーカルにクァミーとムジョスがカムバック。さらに4名のトランペット奏者が加わり、活動を一時休止したロシュローからかれの女性ダンス・チーム“ロシュレット”を引き受けて“フランコレット”とした。72年なかばには、5ギター、2ベース、3サックス、3トランペット、2ドラムス、2コンガ、3シンガー(フランコを含むと4人)、それに大勢の“フランコレット”からなる総勢30名近い大所帯になった。さらに音響や照明機材を惜しみなく使って派手にショーアップした。
 いつからTPOKジャズを名のるようになったかははっきりしないが、上にみた経緯からして71年とするのが妥当な気がする。

 72年、モブツ大統領は中国を訪問するが、そこで目の当たりにした文化大革命に触発されて“オタンティシテ”といわれる急進的な脱植民地化政策をうちだす。“真にザイール的なもの”の回復を目ざすこの政策で、経済面では企業や土地の国有化、文化・社会面では人名や地名のザイール化、女性には伝統的な衣服、男性には革命服の強制着用などが強力に推進された。200以上の部族が居住するといわれるこの国を統合する手段としてはそれなりに有効だったろうが、セク・トゥーレのガーナ同様、あまりに性急すぎたために70年代なかばごろにはまず経済面から破綻をきたしはじめた。

 フランコは、モブツ国内遊説のさいには同行し、この“真性”イデオロギーにもとづくザイール化政策をひとびとに教化するためのプロパガンダ・ソングを演奏した。
 モブツは語る。「われわれはモーツァルト、ベートーベン、ワーグナーのような偉大な音楽家の生涯についてはよく知っているのに、自国のアーティストについてはなにも知らない」と。こうしてオタンティシテにのっとって、ウェンド Wendo、アドゥ・エレンガ Adou Elenga、ドリヴェイラ D'Oliveira、ブカサ Leon Bukasa、カミーユ・フェルジ Camille Feruzi といったコンゴ・ポピュラー音楽創生期のミュージシャンたちを再評価する気運が一気に高まった。

 そんな流れを受けてだろう。71年と72年のシングル12曲からなる本盤の冒頭を飾る3曲は伝説のアコーディオン奏者カミーユ・フェルジとの共演による異色作。西アフリカのパームワイン・ミュージックやその流れを汲むハイライフやジュジュではギターとならんでアコーディオン(またはコンセルティーナ)が重要な役割をはたしてきた。コンゴでもそうだったが、O.K. ジャズやアフリカン・ジャズの時代になると、めったに使われなくなってしまった。フェルジは1912年生まれとあるから、フランコとの年の差は26歳で、このセッションがおこなわれたときはすでに60歳をこえていたことになる。

 第二次大戦後、コンゴでもっとも早くに設立されたレーベル、ンゴマの音源をCD復刻した"NGOMA - THE EARLY YEARS, 1948-1960"(PAM pamap101)にフェルジによる59年録音が2曲収められている。ラテン・フレイヴァーが感じられるアフリカ的なストリート・ミュージックというおもむき。イナタい感じがコロンビアの黒人系音楽クンビアとか、バイヨンなどブラジル北東部の音楽を演奏したアコーディオン奏者ルイス・ゴンザーガを思わせる。

 これらに比べると、TPOKジャズと共演した3曲はずいぶんと洗練されているが、アコースティック・ギターとアコーディオン、それにラテン的なパーカッションが紡ぎ出すアンサンブルが泣きたくなるような強烈なラテン的センティメントを醸し出している。
 1曲目の'LIKAMBO YA NGANA' はフランコ作で、フランコレット?の純朴な女性コーラスをしたがえたフランコのメランコリックな歌はなかなかの聴きものといえる。
 他の2曲'MBANDA NASALI NINI?' 'SILUWANGI WAPI ACCORDEON?' はフェルジの作品で、軽やかに流れるようなメロディ・ラインはいつものO.K.ジャズとはあきらかに異質。透明なコーラスもアコーディオンやギターなどの伴奏も、そよ風のようなすがすがしさと、さざ波のなかの小舟のようなたゆたいにあふれている。たった3曲というのはいかにも惜しい。もっと聴きたい。文句なしの名演。

 はじめにこのアルバムを“アンプラグド”といったが、じつはエレキ・ギターがいっさい使われていないのは上の3曲のほかには'MATATA' 1曲のみ。しかし、冒頭の3曲のインパクトが強すぎるのと、全体にソフトでナチュラルな曲調が多いことから、アコースティックな印象を受ける。

 フランコが書いた美しいルンバ・コンゴレーズ'MATATA' は、ビロードに喩えられるハーモニーが涼やかなオール・アコースティック・ナンバー。ホーン・セクションによるリフや間奏部にはアルト・サックスのソロがはいっているが、肉感的な感じはなくクールでタイト。
 フォーキーな触感という点では、エレキ・ギターが使われていても、むしろ'CASIER JUDICAIRE' が印象ぶかい。肩の力が抜けていてフランコの弾き語りのように聞こえる。途中にはいるアコースティック・ギターの繊細なソロも秀逸。

 'CASIER JUDICAIRE' ほどには私小説的ではないが、おなじくフランコが書いた'MWASI TATA ABALI SIKA' 'TOUT SE PAIE ICI-BAS' の肌ざわりも絹のように柔らかでセンシティブ。天使のような美しいハーモニーを聞かせるヴォーカル・パートのあと、セベン・パートにはいって曲調は一気に加速。フランコのソロを中心としたタイトでシャープなギター・アンサンブルがクール。2曲ともホーン・セクションは使われておらず、このあたりに第3世代からの影響が感じられる。

 本盤には「ユールー、ボーイバンダ、ビチュウの時代」のサブタイトルがある。いまやファミリー的な仲間集団の時代は終わりを告げ、フランコはTPOKジャズというプロ集団のPDG (President-Directeur General) つまり社長として、若い才能を登用し組織を活性化させていく役割を担う段階に突入した。

 ラストの4曲はフランコ以外のメンバーによる作品がならぶ。このあたりからホーン・セクションも本格的に加わり、おなじみのTPOKジャズらしくなってくる。ビッシューの'NZOTO NA MAKANISI' にしても、ボーイバンダの'ABANZA' にしても、またユールーの'NZUBE OLEKA TE' にしても、フランコ作品よりも全体にテンポが速く、サラッとしていて若々しい疾走感にあふれている。とくにセベン・パートでのギターのフレイジングやシャープなカッティングは、O.K.ジャズ時代にはなかったロック・フィーリングである。ホーン・セクションには即興の機会が与えられていない代わりに、アレンジが緻密でタイトになった。

 アルバムのラストを飾る'NGOMA NGANGA' は、ヴィッキーに代わってTPOKジャズの副社長に就任したシマロの作品。さすがシマロが書いただけあって、ヴォーカル・パートからセベン・パートまで、一分のムダもスキもないおそろしく完成度の高い演奏内容になっている。ザイコ・ランガ・ランガみたいに曲の前半と後半でヴォーカル・パートとセベン・パートがはっきり分かれているのじゃなくて、それらが複雑に入り組む凝ったアレンジになっている。まさしくプロの手並みっていう感じ。でも、ここまで来ると懲りすぎでかえっておもしろみがないと感じてしまうのはぜいたく?

 それにしても、"1968/1971"(AFRICAN/SONODISC CD 36529)で試みられたファンク路線が影もかたちもなくなってしまったのには、フランコの好みの問題もあったろうが、ザイール的な文化の創造を唱えたモブツのオタンティシテの影響も少なからずあったろうと想像する。
 フランコ自身はかつて数多くの追っかけが生まれたというスマートでハンサムな容姿から想像もつかないようなでっぷりした体型になってしまったが、サウンドのほうは極限までぜい肉をそぎ落としたシャープでタイトなものとなり、晩年までつづくTPOKジャズのスタイルの基本型がここに完成されたとみていいだろう。


(9.29.03)
(5.11.06 加筆)



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by Tatsushi Tsukahara