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Artist

ORQUESTA ARAGON

Title

MAMBO INSPIRACION


aragon mambo
Japanese Title 国内未発売
Date 1953-1955
Label TUMBAO TCD-110 (EP)
CD Release 2002
Rating ★★★★☆
Availability ◆◆◆


Review

 いまにして思えば、子ども心にもっとも親しみを感じていたラテン系音楽は、ペレス・プラードのマンボじゃなくて、オルケスタ・アラゴーンのチャチャチャだった。もちろん、本人たちの演奏を聴いていたわけではなかった。ならば、どこで聞き覚えがあったのか。いろいろ考えてみて思い当たったのが、60年代なかばごろのアニメの主題歌。あのノー天気で人なつっこいユニゾンによるコーラスは、「冒険ガボテン島」などでおなじみだった。エンリケ・ホリンではこうはいかない。やはりアラゴーンでなくちゃ。

 オルケスタ・アラゴーンは、1939年にキューバ中部のシエンフエゴスで、ベースのオレステス・アラゴーン Orestes Aragon をリーダーとして結成された。アラゴーンはチャランガと呼ばれるスタイルのバンドで、フルート、ヴァイオリン(複数)、ピアノ、ダブルベース、パイラ(ティンバーレス)、グィロが基本編成である。当初のレパートリーはおもにダンソンだった。

 アマチュアだったアラゴーンを、キューバを代表する一流のグループに育て上げたのは、結成の翌年、40年に加入したヴァイオリン奏者ラファエル・ライ Rafael Lay である。48年、病気で脱退したオレステスに代わってリーダーになったライは、ある日、ラジオから流れてきた音楽につよい衝撃を受けた。それはオルケスタ・アメリカというチャランガ・バンドによる新リズム、チャチャチャだった。
 ライはさっそく、このバンドのヴァイオリン奏者でチャチャチャの生みの親であるエンリケ・ホリン Enrique Jorrin に会いにハバナへ上京した。ホリンはライが自分たちのレパートリーを演奏することを快く承知してくれた。中村とうようさんは、これを49年のこととしているが、わたしにはもう少し後のような感じがしてならない。

 というのも、ホリンの証言によれば、かれがメキシコの曲'NUNCA' をアレンジしてチャチャチャの原型を試作した時期こそ48年だが、チャチャチャ第1号といわれるオリジナル'LA ENGANADORA'「うそつき女」を完成させたのは51年とされているからだ。しかも、この曲が“マンボ・ルンバ”としてオルケスタ・アメリカによって初レコーディングされたのは、53年2月とされる(ORQUESTA AMERICA "SILVER STAR"TUMBAO TCD-100) 収録)。つまり、チャチャチャのリズムが“チャチャチャ”と呼ばれるようになったのは、これ以降、どうさかのぼっても53年である。
 以上のことから、シエンフエゴスのラジオからチャチャチャのリズムがライの耳に届いたのが49年だったとは考えにくい。せいぜい50年代はじめとみるべきだろう。

 アラゴーンがレコードを作ろうと思い立ったのは、シエンフエゴス以外での仕事も舞い込んでくるようになってきて、地元のラジオ局への出演をたびたびキャンセルしなければならない事態に見舞われたことから、その穴を埋める手だてとしてだったらしい。53年4月、オルケスタ・アメリカのコンサートにゲストで呼ばれてハバナへ上京したさい、ダンソンやチャチャチャを中心に35曲をレコーディングした。

 翌日、ライたちはそのサンプル盤を持ってパナルト・レコードを訪ねたが、すでにオルケストル・アメリカを専属に迎えていたことからすげなく断られた。そこでライバル会社のRCAビクターに持ち込んでみたところ、興味を持ってもらって無事に契約にありつくことができた。

 こうして53年6月、'EL AGUA DE CLAVEILITO''MAMBO INSPIRACION' の2曲がレコーディングされた。ともにダンソンで前者はアラゴーン最初のヒットとなった。翌月にはセステート・アバネーロのギジェルモ・カスティージョ Guillermo Castillo が書いたスタンダードをダンソン仕立てにした'TRES LINDAS CUBANAS'チャポティーン Felix Chappottin のソン'MENTIRAS CRIOLLAS'、翌々月にはマンボ'MAMBO SENSACIONAL' とホリンがチャチャチャ風に仕立てた最初の曲'NUNCA' をレコーディング。
 
 翌54年6月と12月には、はじめて正式に“チャチャチャ”と冠した8曲がレコーディングされた。これらのなかから『キューバン・ジャム・セッション』第5集で知られるフルート奏者ファハルド Jose Antonio Fajardo 作のチャチャチャ'LOS TAMALITOS DE OLGA'、ライ作、ホリン編曲によるダンソン・チャチャチャ'CERO CODAZOS, CERO CABEZAZOS'、歌手マルセリーノ・ゲーラ Marcelino Guerra のグァラーチャをダンソンに仕立て直した'PARE COCHERO' は大ヒットして、かれらの人気はオルケスタ・アメリカをしのぐまでになった。

 この54年のセッションから、ライとともにアラゴーンの顔として長く楽団をリードすることになる名フルート奏者リチャード・エグェスが正式加入した。チャランガで使われるフルートは木製で、フルートとピッコロのあいだのような音色。スタッカートを多用して小鳥がさえずるようにリリカルに響くエグェスの優美で小気味のいいプレイは、キューバ音楽の洗練度の高さをしめしてあまりある。

 翌年には、ハバナのラジオ局CMQで'FIESTA EN EL AIRE' というレギュラー番組を持つようになった。これが軒並み高い聴取率を記録。同年発売のボレーロ'NOSTROS' やエグェスの作編曲による'PICANDO DE VICIO' も大ヒットした。
 そして、56年発表のLP"THAT CUBA CHA CHA CHA" に含まれていたエグェス作の'EL BODEGUERO' がアラゴーン最大のヒットを記録するにおよんで、ついにキューバ音楽の最高峰にまで登りつめた。

 さて、本盤はアラゴーンがレコード・デビューした53年6月から'EL BODEGUERO' で頂点にきわめる直前の55年5月までのRCAビクター録音から計20曲を収める。ここまでに言及した楽曲は、'EL BODEGUERO' を除いてすべて収録。かれらの初期の相貌を知るうえでは申し分のない内容といえる。

 アラゴーンにかぎらず、チャランガというスタイルは調和がなによりも要求されることから、サラリと流したぐらいではどれも似たように聞こえる。しかし、本盤はわずか3年あまりの短い期間とはいえ、 セッションのたびに着実に音楽の完成度が高まり、テクニックが上達してきているのがわかる。
 エポックはやはり、53年末から54年にかけての、エグェス、それと歌手ホセ・アントニオ“ペペ”オルモ Jose Antonio 'Pepe' Olmo の加入だったと思う。“ペペ”を中心とするハーモニーによらないユニゾンのコーラスこそ、60年代の甘酸っぱい幼少期の記憶そのものだった。

 現在も続くアラゴーンは、ぼう大な数のレコードを残していて、CDだけでもかなりの数に達する。アラゴーン・ファンとはいえないわたしが所有するかれらのCDは微々たるものだが、本盤のほかに1枚をというなら92年にテイクオフから発売された『オルケスタ・アラゴーン ベスト』(テイクオフ TKF-CD-18)をあげたい。

 92年に「ノーチェ・トロピカール」で来日したエグェスに選曲を依頼したこの日本独自編集盤は、前述の'EL BODEGUERO' のオリジナル録音にはじまり、70年の来日公演時のライヴ音源による同曲で終わる全18曲構成。さすがエグェス本人によるだけあって、かれのスウィング感あふれるスリリングなプレイを思う存分味わえる。高橋研二さんによる思い入れたっぷりのライナーノーツも読み応えじゅうぶん。


(3.24.05)



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by Tatsushi Tsukahara