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Artist

BENY MORE WITH PEREZ PRADO AND HIS ORCHESTRA

Title

EL BARBALA DEL RITMO



Japanese Title 国内未発売
Date 1948-1950
Label TUMBAO TCD-010(CH)
CD Release 1992
Rating ★★★★★
Availability ◆◆◆


Review

 キューバ最高の歌手として、いまもキューバ国民から敬愛されているベニー・モレーが、“マンボ・キング”ペレス・プラードの楽団をバックにメキシコで録音した初期の傑作。

 モレーは、1919年8月24日、サンタ・イサベル・デ・ラハスの貧しい農民の子として生まれた。ミゲール・マタモロスに見いだされ、1945年にコンフント・マタモロスのメンバーとしてメキシコへ渡るが、そのままひとり彼の地に残り音楽活動をつづけた。このとき、本名の“バルトロメ”は、メキシコのスラングで「ロバ」を意味することから“ベニー・モレー”にと改めた。コンフント・マタモロスでのモレーは、"CONJUNTO MATAMOROS WITH BENY MORE"(TUMBAO TCD-020)などで聴くことができる。

 ソロとなったモレーは、エルネスト・ドゥアルテ、マリアーノ・メルセロン、ラファエル・デ・パスやチューチョ・ロドリゲスといった著名な楽団との共演をとおして、スターへの階段をのぼっていった。しかし、メキシコ時代の白眉はなんといってもペレス・プラード楽団と共演したこれらのセッションである。

 プラードの叩きつけるようなパーカッシブなピアノにのせて、管楽器がすさまじいドライブ感でうねりをあげ、打楽器群は複雑なリズムを叩きつける。そんなど迫力の演奏をバックに、モレーはときに野生児のように吼え、ときに情感たっぷりに歌い、類まれな才能を遺憾なく発揮している。まったく、モレーの変幻自在の声は楽器としかいいようがない!

 1曲目の激しいマンボ'BABARATIRI' から22曲目のグァラーチャ'SERA LA NEGRA' までの68分51秒を、ものすごいテンションの高さで息つく島もなく一気に聴かせる。キューバ音楽の歴史を変えることになる2人の天才が大スターへとかけのぼる最中の、もっとも元気でイキのいいときの歴史的な名演といえよう。
 さらに注目したいのは、50年前後という早い時点で、'PACHITO E CHE' 'LA MUCURA' というコロンビアの楽曲をとり上げていること。モレーもプラードもそれぞれベネゼエラまで公演に出かけたことがあったはずだから、その折りに見つけた曲なのかもしれない。どちらのアイディアだったにしろ(わたしはモレーのような気がするが)、さすが目の付けどころのするどい。ついでにいうと、本国ではマイナーだったキューバ出身の変わり種シルベストレ・メンデスの作品'TOCINETA' をとり上げていることも、当時、ラテン系音楽のるつぼと化していたメキシコでのレコーディングだったからこそだろう。(メンデスは、ペレス・プラードと同じく、キューバ本国では認められず、メキシコで暮らしていた。)

 モレーはその後もメキシコを拠点に活動をつづけ、53年、約8年ぶりにキューバへ帰る。そして、63年に世を去るまで祖国を離れることはなかった。キューバ時代のモレーは、みずから楽団を率いてRCAを中心に数々の名演を残しているが、収録時間が極端に短かったり、リマスターが悪かったり、いい加減な編集のものばかりが粗製濫造されていて、なかなか手頃なCDが見あたらなかった。

 そんななかで、'CIENFUEGOS''SANTA ISABEL DE LAS LAJAS''QUE BUENO BAILA USTED''MARACAIBO ORIENTAL''MANZANILLO' などの代表作をほぼ網羅した(メキシコ時代のものも含む)全40曲からなるお徳用2枚組CD "GRANDES EXITOS DEL BARBARO DEL RITMO" (Musical Productions MPPK5-6344) が先ごろリリースされたので、まずはそれがオススメ。モレーは、ソン・モントゥーノやマンボなどの激しい歌ばかりでなく、ボレーロを歌わせても天下一品だったことがよくわかるだろう。ただし、録音年月やパーソナルのデータはいっさいなく、曲の配列にもまったく工夫がみられないのがたまにキズ。


(10.1.01)



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by Tatsushi Tsukahara