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Artist

浜村美智子

Title

バナナ・ボート


hamamura
Date 1957-1962
Label Pヴァイン PCD-1537(JP)
CD Release 1997
Rating ★★★★
Availability ◆◆◆


Review

 大胆でエキゾチックな容姿と野性味あふれるハスキー・ヴォイスで一世を風靡した浜村美智子。デビュー曲「バナナ・ボート」は、いうまでもなくジャマイカ民謡をカリプソ風に仕立てたハリー・ベラフォンテの大ヒット曲'DAY-O (BANANA BOAT)'のカヴァー。わたしの世代では、ドリフの『8時だよ!全員集合』にレギュラー出演していたゴールデン・ハーフの歌でおなじみだ。
 同曲は、浜村と同じ57年に江利チエミ「バナナ・ボート・ソング」としてカヴァーしている。健全でいかにも日本人的な江利ヴァージョンにたいし、浜村は日本語をはっきり発音せず、ディック・ミネのように英語っぽい巻き舌で歌うことで、無国籍的なエキゾティシズムを生みだしている。江利どころかベラフォンテ・ヴァージョンをも凌駕する、まさに浜村のためにつくられたと思いたくなるほど彼女の個性にジャスト・フィットした南国歌謡の名唱といえよう。
 
 「バナナ・ボート」から62年2月発売の「カーナバルの朝」までの録音、全22曲を収める本盤は、ご多分に漏れず後年になるほど、マンネリ化、歌謡曲化が進みスケールが小さくなる。わたしは歌謡曲のダボハゼのような悪食ぶりを愛する一人ではあるのだけれど、こと浜村の歌にかんしては、歌謡曲への急接近が彼女本来の魅力を損ねているように感じられてならない。彼女の魅力は、美空ひばり、江利チエミ、雪村いづみが持っていたお茶の間的な健全さからかけ離れたポジションにあってこそ発揮された。いわゆる歌謡曲のワクに納まりきらないセクシーでアナーキーで危険な香り。
 
 日本歌謡曲の黄金時代は、せいぜい昭和30年代半ばごろまでというのがわたしの持論であるが、それは奇しくも高度経済成長の波に乗って、日本が自信を取り戻しはじめた時期と重なる。戦後の混乱期から安定期への移行は、歌謡曲にも「日本らしさ」を強調した“安定性”が求められるようになったことを意味する。浜村が、その対極にあったことはいうまでもない。安定志向の社会にあって、無国籍的退廃美を体現していた浜村に課せられた新たな役割は、街のハミダシ者である。「路地の横町の曲がり角‥‥おい、にーちゃん酔ってるね‥‥あたいをごらんよ、しらふだぜ」。「東京の隅っこ」(58年)のタイトルがいい当てているように、歌謡曲の「隅っこ」にしか彼女の居場所はなかった。
 
 それでも、都会の夜にただよう退廃ムードにあふれた「死ぬほど愛して」(60年)のように、マレーシアのP. ラムリーの音楽をほうふつさせるラテン歌謡の名唱もないわけではないが、彼女の音楽的なピークはデビューした57年発売の6曲に尽きる。「バナナ・ボート」に続き、ハリー・ベラフォンテの曲をカヴァーしたムーディな「恋のベネズエラ」、夏の夜の気だるいムードにあふれた「ダークムーン」、デューク・オブ・アイアンのヒット曲'CALYPSO JOE' をリメイクしたものの日本語詞の展開が坂本九の「悲しき六十歳」にそっくりのノヴェルティ・ソング「カリプソ娘」、ギリシアを舞台にした同名アメリカ映画の挿入歌「島の女」と、いずれの曲も浜村の個性が生きた佳曲ぞろい。
 
 なかでも、「バナナ・ボート」に次ぐわたしのお気に入りは、大好きなロード・メロディの'MAMA LOOK A BOO BOO' をカヴァーした(というよりハリー・ベラフォンテのカヴァーをカヴァーしたというべきか)「ママはブーブー」。日本語詞は、あれも欲しい、これも欲しいといった年頃の娘の心情が歌ったたわいもないものだが、浜村はカリプソ本来の味わいをそこねることなく見事に歌いこなしている。渡辺マリには及ばないまでも、こういった下世話さも悪くない。
 
 そのほか、書生節のおもむきがあるのは興味ぶかいが、浜村の声質に合っていない「恋しいスーチャン」(59年)も、美空ひばりをものまねしたマンボ民謡「一、三リッター、四リッター」(59年)も、まあヨシとしよう。わたしがどうしても許せないのは、ロカビリー・ブームにのって歌った「監獄ロック」(58年)などのロックンロール路線だ。がさつさばかりがきわだって、彼女の最大の魅力ともいえるメスの匂いが少しも感じられない。やはり、浜村美智子にはラテン音楽のしっぽりしたムードがいちばん合っている。
 
 92年、ラテン音楽ブーム再燃の流れの受けて、エスケンのプロデュースで、約30年ぶりに待望の新録ミニ・アルバム『ジャジャンボ』(SEVEN SAMURAI APCA-48)が発売された。「バナナ・ボート」のほか、笠置シヅ子の隠れた名曲「ジャジャンボ」、江利チエミの名唱で知られる「ウスク・ダラ」など、ファンにはこたえられない選曲といえよう 。歌唱力に往年の輝きがないのは目をつぶるとしても、うちこみ中心のアレンジは仰々しくうるさいだけで単調この上なく、楽曲ほんらいのよさも、浜村のたゆたうような歌もすべて台無しにしてしまっている。エスニックな大貫妙子といった雰囲気の新作'BURNING IN THE MOON' は、浜村に歌わせる必然性がどこにあるのかまったくみえてこない。このようにプロデューサーの無能が浜村の個性を引き出すどころか、へたな調理人の手にかかったまな板の鯉のように浜村の持ち味を台無しにしてしまっている。このミニ・アルバムが浜村に残したのは汚点のみである。


(5.28.02)



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by Tatsushi Tsukahara