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Franco et O.K. Jazz (1956-89)

Josky Kiambukuta, Londa, vocal(1973-)
Madilu Bialu 'System', vocal(1980-)
'Aime' Kiwakana Kiala', vocal (1980-92)
Lola Checain, Djangi', vocal (1963-92)
Ntesa Nzitani Dalienst, vocal(1976-89)
et al.


Artist

JOSKY KIAMBUKUTA

Title

LE COMMANDANT DE BORD JOSKY KIAMBUKUTA DJO SEX DANS CHANDRA VOL.1


chandra
Japanese Title

国内未発売

Date 1990?
Label GRACE - MUSIC no suffix (Bergium)
CD Release ?
Rating ★★★★
Availability


Review

 フランコの死後、レコードで自分の名まえのあとに“TPOKジャズ”を冠した人物はシマロを除けばわかっているだけでふたりいる。ひとりはシマロらから“O.K.ジャズ”の屋号を取り上げたフランコの遺族がその後を任せた“ユールーとTPOKジャズ”。もうひとりが今日にいたるまでシマロのよき右腕である歌手のジョスキー・キャンブクタ・ロンダである。

 ジョスキーはドクトゥール・ニコのアフリカン・フィエスタ・スキサ、ウタ・マイらと結成したオルケストル・コンティネンタルを経て73年にO.K.ジャズに加入。後期O.K.ジャズの魅力のひとつだった“ハーモニック・フォース”と呼ばれる壮麗なコーラスの壁を築き上げた最大の功労者のひとりである。80年にフランコがヨーロッパへ移住したさいにはマディルダリエンストペペ・ンドンベらとともに同行、ヨーロッパ組O.K.ジャズの大番頭としてグループを牽引した。

 かれについてすごいと思うのは、最初から最後までフランコに背を向けるような動きがまったく見られなかったことだ。きっと温厚で実直な人柄なのだろう。このことが音楽性にもそのままあらわれていると思う。かれが創作する音楽は、よくツボを心得、洗練されていて構造的に安定しているので駄作がない。しかし、裏を返せば冒険心にやや欠け、どこを切っても金太郎飴なのだ。

 メンバーの自由なソロ活動を許さなかったフランコに忠実だったということはリーダー・アルバムが少ないということである。唯一、83年にフランコのレーベル、エディポップから"FRANCO PRESENTE JOSKY" という公認LPを出したぐらいか("FRANCO CHANTE 'MAMOU' (TU VOIS ?)"(SONODISC CDS 6853)に全曲収録)。といっても、フランコは一定の決まり(たとえばアニマシオンの禁止)さえ守っていれば、メンバーの自由にやらせてくれたというから、ジョスキーもそれで満足していたのだろう。

 以前にO.K.ジャズを工房にたとえたことがあったが、コンサート風景をみればあきらかなように、フランコが参加していない演奏であっても“フランコとO.K.ジャズ”の屋号が使われることがあった。たとえば、88年のLP"MATA, KITA, BLOQUE" は“フランコ、ジョスキーとO.K.ジャズ”とあるが同盤収録の3曲にフランコの影はみえてこない(CDでは2曲が "LE GRAND MAITRE FRANCO ET LE TOUT PUISSANT O.K.JAZZ" (AFRICAN/SONODISC CD 8474) に、1曲が同タイトル (AFRICAN/SONODISC CD 8476) に分散して収録)。

 ジョスキーはやや鼻にかかった甘く張りのある美声の持ち主でシンガーとして超一流であったにもかかわらず、スタンド・プレイよりも全体との調和を重んじ作品としての完成度にこだわった。だから自分が書いた曲であっても、中心はあくまでハーモニーを生かしたコーラスであり、合間にはさまれるソロ・ヴォーカル(ソロの合間にコーラスがはいるのではない!)にしても、多くの場合、メンバーに代わる代わるとらせていた。
 かれが、フランコに次ぐヨーロッパ組の副将格に推されたことも、O.K.ジャズを離れてまであえてソロ・アルバムを発表する必要がなかった理由もこれでおわかりいただけたと思う。

 さて、ここにとりあげたCDは、フランコの死後、シマロをリーダーとする新生O.K.ジャズのアルバムがリリースされる直前に“ジョスキーとTPOKジャズ”の名義で発売されたLP"LE COMMANDANT DE BORD DANS CHANDRA" と、直後にンテサ・ダリエンストをゲストにO.K.ジャズを率いてリリースされたLP"SELENGINA" をパッケージしたもの。

 演奏内容としては、当然のことながらフランコとO.K.ジャズのときとほとんど変わりない。
 たとえば、スマッシュ・ヒットとなったタイトル曲'CHANDRA (DECHADE NWANA NYNJA)' では、マラカスがシンキージョ(キューバ音楽独特の五つ打ちのリズム)を刻み、カラカラに乾いたメロウなギターをバックにエレガントで厚みのあるコーラスがかぶさる。2分を過ぎたころにテンポ・アップ。ノリノリのコーラスのすき間からジョスキーのソロが颯爽と姿をあらわす。ふたたびコーラスをはさんで、エメ・キワカナ、つぎにロラ・シェケン、トリはマディル・システムと各シンガーが平等にワン・コーラスずつソロをとる。そして、セベン・パートへ。スピーディでおそろしくキレのよいギターが執拗に反復されるうちに聴く者はいつしか陶酔感に満たされていく。王道とはまさにこのこと。
 
 ただし、ちがいもある。まず、O.K.ジャズの定番であったホーン・セクションがいっさい使われていないこと。LP"CHANDRA" に含まれる他の3曲でもホーンズはなく、代わりにシンセサイザーが使われている。そのせいか、フランコのO.K.ジャズとくらべて、全体にタイトで軽くなった印象を受ける。
 また、ダンス・パート(セベン)では、フランコ時代に禁止されていたアニマシオン(掛け声、気合い)が堂々おこなわれている。このこともサウンドが軽く感じられる要因だと思う。

 LP"SELENGINA" の4曲からなる後半部ではホーン・セクションが復活。ただし、フランコ時代はサックスとトランペットが各3本以上ははいっていたと思うが、ここではトランペットはなくサックスが2本程度であるのみ。こうしたことは、ジョスキーの本意ではなくたんに「予算がなかった」ためだろう。ジョスキーも、マディルも、大多数のO.K.ジャズのメンバーたちがシマロのもとに再結集したのも案外このような経済的理由からだったのかもしれない。
 ついでながら、シマロのTPOKジャズは、ジョスキーやマディルと行動をともにしていたヨーロッパ組が主力で、そこにシマロとンドンベが加わったとみたほうが自然な感じがする。

 ところで、アニマシオンというのは元来、パトロンなどの名まえを連呼してかれらの歓心を買おうとする“ほがいびと”の伝統から来る行為だったらしい。フランコの時代にはその必要はなかったが、バンドを維持していくにはそんなこともいっていられない。このようにアニマシオンの解禁はスポンサーと時代への迎合といえなくはなかったけれども、これはこれとして積極的に評価すべきだろう。

 そういえば、このアルバムのオリジナルは新生O.K.ジャズのセカンド・アルバム"MABY...TONTON ZALA SERIEUX"『全能』とおなじく、パリのレーベル、サン・フロンティエール Sans Frontieres から、ファースト"HERITAGE DE LUAMBO FRANCO" とサード・アルバム"SOMO!"『ヴェルヴェット・タッチ』はタマリス TAMARIS からの発売であった。サン・フロンティエールはジョスキー、タマリスはシマロの引きによるものと思われる。フランコのレーベルからだとマージンをごっそりとハネられてしまう懸念があったためだろう。

 じつはジョスキーとTPOKジャズのCDはもう1枚出ていた。"SERRER SERRER/BABY" というのがそれ。これはL'ORCHESTRE T.P.O.K.JAZZ として発売されていたCD"LES MAYENO A GOGO" (GALAXY 3811122) と曲順こそちがえまったく同一内容。92年に世を去ったエメ・キワカナの名まえがあるところをみると、"MABY...TONTON ZALA SERIEUX"『全能』とおなじ91年の録音だろうか。シマロは演奏に参加せずアート・ディレクションとしてのみクレジットされている。
 目玉は、フランコ時代にジョスキーが書いた代表作'FARIA''BA PENSEES''KITA-MATA''MINZATA' をメドレーで演じた約16分の大作。ホーン・セクションはふんだんに使われているが、それ以上にシンセがきわだって聞こえるため、いっそう音が軽くなった印象。

 これにくらべると、充実度では本盤のほうがはるかに高い。なかでも健闘が光るのはシェケンとエメ。
 'NAMABELE' では、ジョスキーと掛け合いを演じるエメが、ジョスキーのさらに上をいくツヤツヤしたハイトーンで主役を食ってしまっている。

 'LE MONDE ET SES PROBLEMES' は、ジョスキーのスウィートでシルキーなヴォーカルを思う存分に満喫できるスロー・ルンバ。ここでジョスキーと息の合ったハーモニーを聴かせてくれるのがシェケン。続くロマンチックなスロー・ルンバ'AYEZ PITIE' でも、ジョスキーと交替でソロ・パートを歌うシェケンのR&B系ファルセットがこれまたすばらしい。フランコ時代を通じてシェケンの声質がもっとも活かされたナンバーではないだろうか。

 LP"SELENGINA" のタイトル曲はダリエンストの作品。ベードラのツッコミ気味にはいるビートと、シンプルで淡々とした曲構成がいかにもダリエンストらしい。ダンス・パートでのくだけた感じのロックぽいアニマシオンはジョスキーにはまねのできない芸当だろう。ツヤツヤしたジョスキーとハスキーがかったダリエンストのヴォーカルのコントラストがおもしろい。

 みてきたように、本盤の勝因は、フランコ時代とさほど変わらぬ豪華な歌手たちを取りそろえていながら、予算の関係でギターやホーンズなどの楽器が最小に抑えられた結果、歌のよさが際立つタイトでスリムな疾走感あふれる音楽に仕上がったところにあると思う。そして、みずからが楽しむかのようなメンバーたちのリラックスしたプレイが聴けるのも、親分の心理的な重圧から解き放たれた証といえるのかも。

 ところで、本盤の正式なアルバム・タイトルがわからない。ジャケットのクレジットをそのまま書くと"LE COMMANDANT DE BORD JOSKY KIAMBUKUTA DJO SEX DANS CHANDRA VOL.1" とある。'LE COMMANDANT DE BORD'“艦長”の意味だからたぶんジョスキーの愛称。'DANS CHANDRA' は英語でいえば'IN CHANDRA'。問題はその前の'DJO SEX' である。たしかにアルバムのラストに収録のダリエンスト作品'LIMBISA' のセベン・パートで「ジョー・セックス」なるアニマシオンが聞かれる。これもジョスキーの愛称なのか。そして末尾の'VOL.1' の表示。ということは'VOL.2' があるはずだが、寡聞にしていまだその存在を知らない。



(6.14.05)



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by Tatsushi Tsukahara