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Franco et O.K. Jazz (1956-89)

Gilbert Youlou Mabiala, vocal(1966-76)


Artist

YOULOU MABIALA & KAMIKAZE LONINGISA

Title

THE BEST OF YOULOU MABIALA & KAMIKAZE LONINGISA - 1977/1985 VOLUME2


youlou_kamikaze
Japanese Title

国内未発売

Date 1977/1985
Label SONODISC CDS 6831(FR)
CD Release 1994
Rating ★★★★☆
Availability


Review

 ユールーには“O.K.ジャズ学校の悪童”のイメージがある。

 66年、元メンバー、クァミーによって大量にメンバーを引き抜かれたフランコは、O.K.ジャズ再建のため対岸の都市ブラザヴィルへやって来る。ブラザヴィルは、エッスー、エド、ドゥ・ラ・リュヌ、ボーイバンダをはじめ、多くの出身者を抱えるO.K.ジャズにとっては第二の拠点というべきところ。

 前年11月には、軍最高司令官モブツ大佐はクーデタを起こして政権を掌握。'LUVUMBU NDOKI'FRANCO ET VICKY ET L'OK JAZZ "CESAR ABOYA YO/TONTON 1964/65" (AFRICAN/SONODISC CD 36588) 収録)という曲でモブツを痛烈に批判したことから、当局の追及を逃れるためのブラザヴィル行だったともいう。

 フランコらO.K.ジャズのメンバーは、この地に6ヶ月間滞在した。このとき、スカウトされたのが、バントゥ・ドゥ・ラ・カピタルのメンバーだった“セリ・ビチュウ”Celi Bitshou こと、ベース奏者のフランシス・ビチュウマヌー Francis Bishoumanou、“ドゥ・プール”Du Pool こと、コンガ奏者のジャン・フェリックス・プーエラ Jean Ferix Pouela 、そしてまだティーンエイジャーだった歌手のジルベール・ユールー・マビアラ Gilbert Youlou Mabiala の3人だったといわれる。

 ユールーらが加入した直後のO.K.ジャズは、相変わらずクオリティの高い音楽を作り続けていたが、レコードの売り上げもバーへの出演回数も伸び悩んでいた。そんなせいもあってかメンバーに対するフランコの統制力は低下していたようだ。

 67年末には、グループの人気者、サックス奏者のヴェルキスがフランコに内緒でメンバー数名とレコードを作ったことが発覚。このときさそわれたメンバーに、シマロ、シェケン、ビチュウとともにユールーの名があった。翌年9月、ヴェルキスとユールーは新レーベルVEVEの設立を宣言。まだ、ふたりともO.K.ジャズに籍があってのことだから、これはフランコに対するクーデタ宣言だった。
 フランコとヴェルキスとは裁判にまで発展し、69年2月、ヴェルキスはグループを脱退。ユールーは、結局、O.K.ジャズに残留することになった。
 
 このころ、もう一人の柱、歌手のヴィッキー・ロンゴンバは体調を崩していて満足に音楽活動ができず、そういう意味でユールーは必要だった。事実、60年代末から70年代はじめにかけて、ユールーはO.K.ジャズの看板歌手として活躍した。

 70年8月5日、当時O.K.ジャズをしのぐほどの人気があったグループ、ネグロ・シュクセのギタリストで、フランコ最愛の弟バヴォン・マリー・マリーが交通事故死した。バヴォンのガール・フレンドをユールーがO.K.ジャズのツアーに連れて行ったことへの怒りが原因だった。

 ヴェルキスの一件落着後、ユールーは凝りもせず、今度はギタリストのファンファンを中心とした、シマロ、ビチュウ、サックス奏者のエンポンポとのレコーディング・セッションに参加。70年にオルケストル・ミ Orchestre Mi としてシングルを発売したところ、その正体がやがてフランコの知るところとなる。フランコはビチュウとユールーのブラザヴィル出身者を首謀者とみて告発。72年、ユールー、ビチュウ、ファンファンの3人はO.K.ジャズを脱退。かれらに先だってO.K.ジャズを辞めたヴィッキーのオルケストル・ロヴィに合流した。

 ところが、ほどなくヴィッキーが病気になってロヴィは活動停止に。そこで3人は74年に新グループ、オルケストル・ソモ・ソモ Somo Somo を結成するが、すぐに資金難に陥り解散。こうして、同年ユールーはO.K.ジャズにカムバックする。

 しかし、復帰したO.K.ジャズは、かつてのO.K.ジャズとは大きく様変わりしていた。サム・マングワナ、ジョスキー、ンドンベ、ウタ・マイ、ミシェリーノといった新しい才能がきら星のごとく輝くなかで、“悪童”ユールーの存在感はかすんでしまった。

 O.K.ジャズ結成20周年を記念して76年に発売されたアルバム"20eme ANNIVERSAIRE VOLUME 1"(AFRICAN/SONODISC CD 50382)収録の'KAMIKAZE' が、O.K.ジャズへのユールーの置き土産になった。2集からなるこのアルバムは、ユールー、ボーイバンダらブラザヴィル出身者の流れと、ンドンベ、ミシェリーノらアフリカン・ジャズ・スクールの流れとが絶妙なバランスで拮抗し融合した記念碑的アルバムである。
 同時にそれはO.K.ジャズにおけるブラザヴィル・ルートの終わりを告げるアルバムでもあった。モブツ大統領が推し進めるオタンティシテ政策によって、ブラザヴィリアンであったユールーやボーイバンダはキンシャサを去らざるをえなくなったのである。

 活動基盤をブラザヴィルへ移したユールーは、みずからリーダーになってオルケストル・カミカゼ・ロニンギサ Kamikaze Loningisa を結成する。本盤は、ユールーとカミカゼ名義による77年と85年発表の音源からなるとされるベスト盤。8分台から11分台の楽曲を全7曲、ラストの2曲'NSONA''LILI' はライヴ音源のようだが、どの曲が77年で85年なのかわからない。

 ユールーは“フランコお気に入りの息子”といわれたように、流麗なヴォーカル・ハーモニーといい、ピックを使わず指で弾くメロウなギター・アンサンブルといい、重厚なホーン・セクションといい、これほどO.K.ジャズ・スタイルに忠実な演奏はそうはない。しかし、たんなる模倣で片づけてしまうにはあまりにクオリティが高く、O.K.ジャズとくらべても遜色ない演奏内容だと思う。

 カミカゼは、20人あまりのメンバーからなる大所帯で、ユールーの右腕として音楽監督にザイール出身のギタリスト“スーザ・ヴァング”Souza Vangu ことジャック・バジジラ Jacques Bazizila が就いた。そのほか、メンバーにジョスキーの弟“セルジュ”ことンレンボ・・キャンブクタ N'Lembo 'Serge' Kiambukuta がいた。

 じつはカミカゼより前に、ユールーはO.K.ジャズ時代の仲間ミシェル・ボーイバンダ、ヴェルキスのオルケストル・ヴェヴェにいた元トリオ・マジェシの(というより近ごろケケレのメンバーとして再脚光を浴びた)ロコ・マセンゴ Loko Masengo と、レユシット・デ・トロア・フレール La Reussite des Trois Freres“大当たり三兄弟”というヴォーカル・グループを組んでいた。(ひばり・チエミ・いづみの「大当たり三人娘」という映画があったのを思い出した。)

 “大当たり三兄弟”の歌と演奏は、ンゴヤルトから LA REUSSITE DES TROIS FRERES & L'INTERNATIONAL ROUMBAYA "L'HEURE DE MIDI"(NGOYARTO NG059)のタイトルでCD復刻されている。これらは80年と82年の音源とあるが、カミカゼとくらべると音が古い感じに聞こえる。カミカゼが80年代TPOKジャズ風とすれば、ヴォーカル・スタイルや、ギター、ホーンズの使い方にR&Bの影響が感じられるところなど、70年代後半のオルケストル・ヴェヴェ風だ。

 だからというわけではないが、わたしにはカミカゼに77年の演奏があるとはどうしても信じられない。あえてというなら5曲目の'MWANA BITENDI' がO.K.ジャズのもっとも古いスタイルをとどめているが、それでも80年は遡らないと思う。しかし、たとえそうだとしても、もっとも芳醇で良質なルンバ・コンゴレーズであることに変わりはない。

 O.K.ジャズを離れても、O.K.ジャズ・サウンドを追い続けてきたユールーが90年代になってO.K.ジャズを率いることになろうとはだれが想像しただろうか。
 フランコの死後、O.K.ジャズはシマロ、ジョスキー、マディル・システムらメンバーたちによって運営された。ところが、93年、シマロらO.K.ジャズのメンバーたちとフランコの親族との確執が表面化。シマロらと袂を分かったマディルにO.K.ジャズ再建が託されるも約半年で挫折。
 こうしてO.K.ジャズは巡り巡ってユールーに委ねられることになった。ユールーとTPOKジャズ名義のアルバムは"OLEI OLELI"(SONODISC CDS 8821)"INFRACTION"(SONODISC CDS 8831)の2枚がCD化されている。はっきり言おう。「時期すでに遅し。ユールーに名門O.K.ジャズを率いていける才覚はすでに残っていなかった」と。


(12.12.04)



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by Tatsushi Tsukahara