山と旅のつれづれ




巨樹巡礼第三部


主として中部地方で出会った巨樹についての雑文です。

自分の足で観察した上で文章を付け加えています。
収録データを競うものではありません。あくまで気楽な雑文集です。




以上八編収録。第四部へお進みください。





 恵那神社の夫婦杉

 岐阜県中津川市、恵那山(2190メートル)の中腹、恵那神社の拝殿の両脇にまるで仁王像のように 屹立している。
 屋久島やその他の地でも千数百年或いは数千年を生き抜いてきた杉の木の多くは、まっすぐ成長する杉の特徴が失われかけている
ものが多い。このことは古代の建築材として不適であったことが 幸いして利用されずに残ってきているのだろうと私は以前に書いたこと
があるが、ここの杉は奈良時 代であれば巨大寺院建築の主柱として伐採利用されてしまっていたであろうと察せられるほどに、 型に
はめたようにまっすぐ屹立している。

 上部の太い枝は、さすがに風雪に耐えかねてか痛々しさが目立っているが。
 樹齢は比較的に若く600〜800年、杉の木としては度肝をぬかれるほどの巨大樹ではないが均整 のとれた姿かたちが印象的な大樹
だ。 唯、このような優等生的な樹形は写真に収めるとき、その大きさを表現するのが非常に難しい。なにしろ、製材したら柱が一本しか取
れないような若木と同じ姿かたちをしているので、若木を拡大し ただけのようになってしまう。

 写真には社殿が入っているので比較が出来てまだましだが 、比較対象物との対比に一工夫が求 められる。それにしてもこういう素
直に成長した樹形を見ると私は東大寺南大門の、あの巨大な杉 の丸柱を必ずと言ってもいいほど連想している。


若木がそのまま巨大化して風雪に耐えた跡を微塵も感じさせない
清清しさが神社の社殿に心憎いほどマッチしている。







  大船神社の弁慶杉

 岐阜県恵那郡上矢作町大船神社境内。
 良弁の弟子、弁慶という僧が植えたという説の他に、文治のころ、義経主従が奥州下向のとき、 大船寺の本尊に祈願したとき弁慶が
杉の小枝を折って「この願いむなしからずんばこの枝生い栄え よ」と地に挿し、それが繁茂し今の弁慶杉となり義経主従はご本尊の加
護により無事奥州の平泉に 下ることができたとも言われている。

 以上は「岐阜県上矢作町教育委員会」の現地説明版をそのまま引用しました。
 また、別の資料によると樹齢2500年という、途方もない年月を生き抜いてきていると言う。
 とすれば義経一行がそんな昔にもいたことになる、おかしな話だがつまらぬ詮索はやめよう。

 各地の杉の巨木を見てきた私の推察では600〜800年ぐらいかと思われる。であればば義経一行 にまつわる伝説には説得力があり
そうだ。 この杉は神社の裏側の斜面にひっそりと、しかし、堂々とそびえ立っている。まさに弁慶のイメー ジだ。
 義経主従が奥州へ落のびる際に通ったというのだから付近に街道があったのだろう。それにして も、標高1000メートルの山のてっぺ
ん付近が「街道」になっているとは信じがたいが、この付近には それらしい松並木が残っている。

 大船神社もそうだがそこは、本当に信じられないほど人里を離れた深い山の中だ。明らかに街道の松並木の風情だが「松並木」の小さ
な案内板以外には何の説明も見当たらない、或いは神社の参 道であったのかも知れない。
誰もいない静まり返った荒れ放題の山道をおそるおそる、分け入ったその昔の街道らしき赤松の並 木道は規模こそ大きくないが保存
整備されたそれと違って本物の風情に満ちている、と私は思っ た。ほとんど埋もれてしまった歴史遺産だ。


弁慶杉。大きな節くれが如何にも弁慶のイメージだ。
右は荒れ放題の山道を分け入った先に忽然と現れる
静寂の中の赤松の並木道。








  岐阜県美濃加茂市川合の大ムク

 岐阜県美濃加茂市川合町、国道41号川合交差点を木曽川の今渡ダム湖に向かって東進、集落 の中の複雑で狭い生活道路をウロ
チョロしながらダム湖に出たら駐車スペースを探し、あとは満々と 水を湛える湖面に眼を奪われながら上流に向いて左岸の上下流を
湖に沿って歩いてみればきっと 出会える。

 現地に至る道中に存在を示す案内看板は全く見当たらないと思うので、地元で聞くことになるが静かな集落は道端では中々人に出会
えない。幸い巨樹はその名のとおり巨大なので見つけやすくこ んな時、私はハイキングだと思って、敢えて人を探して聞くことなく歩き回
ることにしている。地元の 住人は意外に昔からあるものについては意識していないことが多く、尋ねても知らないことが多いのには驚か
される。其の上、そんなものを見るためにわざわざ時間とお金使ってここまで来なさった か、などと訝しがられることさえある。

 人はえてして灯台下暗しと言うか、足元には興味を示さずまったく見過ごしていることが多いの だ。私など家から歩いて10分の所に著
名な美術館があるのに、何時でも行けると思うからか、未だ に行った事がない。で、その内、あること自体忘れかけてしまっている。
 このムクの木、樹齢800年との説明があるがもっと永い歴史を重ねているような気がする。珍しく同 属で別種の「榎=えのき」を抱き込
んでいる合体樹である。

 生活道路に株元を押さえつけられてしまっていて、この先が思いやられるが、鏡のような湖水の上 に大きく枝を伸ばしたその風情が
素晴らしい。
 岐阜県の指定天然記念物になっているようだが、国指定天然記念物としての価値は十分に備え ている早く指定して手厚い保護をし
てやらないと、朽ち果てて湖底に沈むことになり兼ねないほど に、傷みは激しい。
 傷みに耐えて枝葉を広げる姿が巨樹の魅力でもあるのだが。


鏡のような湖面に映える老樹の佇まいが何と言ってもこの樹の魅力だ。
右は榎を抱き込んだ株元。








  岐阜県南木曾町与川白山神社の大杉


 復元宿場妻後宿の北方20キロほど。国道19号から木曽川の支流与川の渓流に沿って曲がりくねっ た民家が点在する狭い道路を19
号から15分ほどで左側上方に小さな鳥居が目に入る。これを見逃 すと分かりにくくなりそうだ。
内陸部の集落は国道や主要地方道を観光目的で通過するとき、静かで伸びやかなその環境に、 多分都会人の勝手かもしれない一
種の羨望を感じる。

巨樹を求めて探訪をはじめたら、そんな山里の集落はほんのさわりの部分であって、主要道から集 落の生活道路に入りこむとあちら
に一軒こちらに一軒と集落とは言えない一軒家が緑の中に溶け 込むように点在して沈黙した風景があることに気が付いた。そんな風
景に出会うとき私は何時もこ れこそ人間の暮らす環境だと思う反面、そのまったく逆のことも連想して自問している。

  ここの、白山神社の周囲も典型的なそんな風景で大声をあげても隣家にはとどかないほど十分な 距離をおいている。それでいてこ
のか細い曲がりくねったみちはかつて賑わったであろう中山道その ものなのだ。
 民家の人たちはイノシシやその他の野生動物と緊張関係にありながら共同生活をしているらしく、 農作物を野生動物の被害から守る
ために空砲を大小取り混ぜて自動的に撃ちだしていて、初めて 訪れる「よそ者」をギョッとさせる。渓流と風の音以外に何も聞こえない
景の中に突然、強烈な発 砲音が耳をつんざくと思わず身構えて立ち止まってしまう。やがてそれが実弾の発砲に比べて異常に音が
大きいことと繰り返されるのを聞いて納得する。

 山の斜面にへばり付く小さな神社の社殿の後ろに大杉はあった。
 幹は真ん丸く真っ直ぐに天を付く二本の大杉がある、樹齢800年と言われそれほどの巨樹ではな いが材木としても極めて優良材だ、
二本が並ぶように成長した樹は大抵が夫婦とか女夫とか云った 名前をもらっているのが普通だが、珍しくここのそれはそういう形容が
ない。
 社殿の奥に急な石段が空に達している、少なくともそんな風に見えるのだ。
 そういう風景に出会うと思わず知らず登りだしてしまう。真夏とは言っても標高800メートルはいくら か涼しく、その気になってしまう。
 登りだしてみると次々と石段が現れ、なんと400段の先に奥社が鎮座していた。それにして も、この程度の石段で体力を使い果たすよ
うなことはないはずだが、異常に暑い今年の夏は表を歩 く気になれず、一日中エアコン漬け読書三昧で体がなまってしまっていたのだ
ろう、五六時間山歩き して疲労を溜め込んだときと同じくらいに疲れを感じて愕然としてしまった。日常的な適度な運動の 意義を痛感し
ている。
 今日は8月30日、そろそろ秋の気配もはっきりしてくる、体力維持のためにも里山歩きにせいを出 したいと楽しみにしている。


与川白山神社の大杉、精悍な木肌が印象的だ。
右は大杉のある神社周辺の静かな集落の土手にいくらでも見られた小さくて可憐な真夏の花々。
こんな可愛い花たちが何種類も混在して咲き競っている。








  長野県清内路村小黒川のミズナラ

 長野県清内路村、中央自動車道園原または飯田インターから国道256号線を妻籠宿、中津川方 面、つまり、伊那谷から木曾谷へと
たどりその途中、清内路村、小黒川橋手前を小黒川に沿って右 折。
 案内板に従って数分、小さな園地の一角に大事に保護されている。
 杉やクスノキのような巨大樹ではないが姿かたちは本当に見事な素晴らしい大樹だ。樹齢は300 年とあるが、いままで各種の巨樹を
観察してきた経験からすれば600百年は下らないだろうと思わ れる。

 巨樹にありがちな枝を支えるための「ほおづえ」はまったく見られないし、外科手術の跡も気が付 かなかった。
 標高900メートル、深い山の中とはいえ開けた台地状の環境が幸いしたのかもしれない。こんな見 事な佇まいに接すると、巨樹の木
陰で渓流のせせらぎ、小鳥のさえずり、そよ風になびく梢の葉擦 れのやわらかな音色に包まれながら昼寝か読書で時間を忘れてみた
くなる。

 現地の説明版によるとミズナラと云うのは「オオナラ」とも云い「コナラ」と区別していてオオナラとコ ナラは大小の違いではなく親戚同
士の別種だという。
 従って大きなコナラも小さなオオナラもあるという事になる。
 ここで面白いのは以前に「二つ森山の大楢」について書いたことがあるが、その大楢は小黒川の ミズナラと大楢であれば同種のはず
なのだが、木肌がまったく違うことに気が付いた。不思議だ。象 の皮膚のようなのっぺりした二つ森山の大楢に対してここの見事なオ
オナラ(ミズナラ)は鰐皮のよ うだ。

 察するに、ここのミズナラは大きなオオナラであり、一方の大楢は大きなコナラなのだろうと勝手に 納得してみたが、それにしても腑
に落ちない気分だ。 親戚同士でこんなに違うものかと、ゾウとワニの違いだ。
 どちらかが間違った表示になっていることも考えられると思う。
 そんな、どうでもいいような事を思い巡らせながら時間をつぶしていられる今の自分の生活環境に私 は妙な充足感にひたっている。
 中山道の復元宿場、妻籠、馬籠はほど近い所にあり、立ち寄ってみたいところです。


小黒川沿いの渓流に沿って林道のどん詰まり、開けた台地の一角に見事な
枝葉を絶妙なバランスで展開している。
キャンプが出来そうなロケーションも楽しい雰囲気だ。
偶然居合わせた観光客とおぼしき人物を捉えたことで樹との対比の妙を得た。





 

  西蓮寺門前の椋の木

 岐阜県揖斐郡揖斐川町和田、西蓮寺駐車場横にある。
 椋の木がどんな木で木材としてどれほどの価値があるのか、落葉樹なのか常緑樹なのか、その 他もろもろ私は何にも分かっていな
い。
 それで、いろいろ調べてみたがそういう樹種が存在していること以外に有用性とか性質などについ ては、解りやすく解説している情報
に接することが依然としてできない、私は永年木材に関わる職業 に携わってきただけに森の木を木材としての価値から入ってみたくな
る癖を持っている。そういう視 点で森の木の保護育成の重要性も認識しているつもりでいる。

 ところが現役時代、木材に関して「むく」と云えば「無垢」つまり本物の木材を意味しており、人工的 な化粧板との区別として使われて
いる。
 木材としての椋の木にはお目にかかったことがなく、また、話題として聞き及んだこともまったくな い。だから、悲しいことに、椋の木と
人の生活との関わりについてはなんにも語ることができない。

 そんな訳で、この椋の木についてはこれ以上のことが書けません。
 この木も巨樹の常で隙間からのぞき見る木のウロの中は明るく、かなり広い空洞と上部に大きな 開口部があることを示している。
 株元にはどういう訳か大きな切石が無造作に積み上げられていて理解に苦しむ。台風や地震によ る倒壊を、根元を押さえることで防
いでいる積もりなのかも知れないが、木にとっては虐待であり、ま してや、お寺の門前にはまったく不似合いだ。


切石がごろごろ、この光景にはあきれる。
椋の木の木肌の特徴かも知れないが、深い大きなしわが
老樹の逞しさと同時に痛々しさを訴えているようだ。







  豊田市八幡神社のクスノキ

ご存知、自動車の街豊田市。トヨタ元町工場に程近い八幡神社の境内にある。
枝をホウキ状に広げるクスノキも巨大化すると、重力の影響からか左右に広げていることが多い が、このクスノキは限りなくすなおに
上に高く広く展開していて一見する限りは旺盛な樹勢を誇ってい る。しかし、根元は仰天したくなるほどの痛々しさに満ち満ちている。

 樹幹の断面がまるで三日月形だ、巨樹の樹幹は殆どが芯部は空洞になっていてそれを一般的に は「うろ」と言い、冬眠する野生動
物などの快適なベッドになるのだが、この樹は大きなうろの周りに 頑丈に張り巡らせていたはずの外周部の半分が朽ち果てて丸太をく
り抜いた「くり舟」を立てたような おぞましいほどの形相を無残にさらけだしている。

  一方から見ると悠久の歴史を刻んでふしくれだったぞくぞくするほどのたくましい巨樹そのものなの に、その反対側へ回るとまるっき
り違う朽ち果てた丸木舟だ。しかし、眼を見張るのはその朽ち果て た部分にもわずかな縦の生命線がしぶとく残ったのだろう。やがて、
その部分が朽ち果てることな く、新たな成長をはじめたようだ、断面が典型的に丸い樹幹を形成していて樹皮も発生して事実上 別の
若樹のような形で成長を続けている。

将来的には朽ちた母樹の跡に何本かの若木に分かれるであろうと思われるような雰囲気になって いて非常に珍しい現象の過程を見
ているような気がする。
それでいて、枝葉の部分は雄大に展開していて若々しさを保っている。
満身創痍のクスノキの樹幹は珍しくないが、この樹の生命力のしぶとさには恐れ入るものがあふれ ている。

目を見張るほど巨大ではないが堂々たる巨樹も反対側に回るとご覧のとおり。
残った部分が事実上別の木として成長している。








  島田市 智満寺の巨樹群

 静岡県というと私は太平洋に長い海岸を接する温暖で明るいイメージでとらえている。なだらかな 斜面にお茶とミカンと石垣苺、どこ
からでも視界に入る雄大な富士の稜線、海水温の関係で霜が降 りない海岸地域では真冬にアロエの花が彩りを添える。そんな静岡県
も北上すればそこは南アルプ スの山ふところだ。
 島田市の郊外、千葉山智満寺。

 島田市の繁華街をぬけると道はあっという間に山間の曲がりくねった狭い林道になってしまう。集 落とはとても云えないほどの数件の
民家らしき建物を従えただけの神社「智満寺」。1200年の歴史 を刻み源頼朝とのかかわりもあるという古刹だ。急斜面にへばりつく伽
藍は一見しただけで歴史の 重みが伝わってくる、大きくはないが荘厳な雰囲気に満ちている。

 境内には大木が随所に見られる。
 主なものだけでも、大杉、よりとも杉、だるま杉、かみなり杉、一本杉、それに巨樹でありながら無 名で天然記念物にさえ指定されても
いない個性豊かなクスノキが二本、台風で倒れてしまったも の、朽ち果てて残骸だけのもの、切り株になってしまった大イチョウなど、
枚挙にいとまがない。

 多くの巨樹たちは神社やお寺によって保護されるような形で存在しているがこれほどの巨樹群を従 えた社寺は珍しい。
 見たかぎりでは自然の植生だと思うが800年から1200年の樹齢を誇り、杉に関しては当事のこの 地域の豪族や高僧によるお手植え
という伝承も多いという。
 真偽のほどはともかくとして、言い伝えはいにしえ人の足跡を見ているようで観るものにとって夢を 与えてくれて楽しくなる。


巨大杉群。「智満寺の十本杉」と云われているが一部は枯死していて
主だったものだけで八株はある。目通り(人の目の高さでの樹幹の周囲)
七メートルから十メートル、わが国に現存する杉の最大目どおりは十七メートルは
あるとおもうので極めて巨大というわけではないが狭い地域にこれほどの群生は珍しい。
写真は一つひとつが別の木です。

この杉の巨樹たちは山道の階段状の急斜面を20分ほど登りつめた先の
粗末な奥の院を囲むように寄り添っている。

由緒正しき「よりとも杉」右はさっぱり解らないが奇奇怪怪な風情が人目をひく。



収録終了。第四部へお進みください。