山と旅のつれづれ




巨樹巡礼第四部



主として中部地方で出会った巨樹についての雑文です。
ときとして遠路旅先で出会った巨樹を含みます

自分の足で観察した上で文章を付け加えています。
収録データを競うものではありません。あくまで気楽な旅日記の一ページです。





八編収録。第五部へお進みください。





 

 岐阜県恵那郡明智町の団子杉

 岐阜県恵那郡明智町、「日本大正村」として近年、地味だがユニークな観光開発で名を上げた山 間の小さな街だ。とりたてて資金を
投入するのではな
く、大正時代の特徴を示す建物が街の中にふ んだんに残されていることに目を付けた。街全体が博物館構想とでも云おうか、そんな
考え方が支 持されて大正ロマンを求めて熟年カップルなど、ゆったりと散策する風景が似合う静かな町だ。

 街の郊外に東海自然歩道が通り、かつて東海自然歩道を歩き回ったころの記憶の中にこの一帯 は鮮やかに残っている。その一角
にこの団子杉はあ
る。分かり難いところにあるが、日本大正村に 関連すると思われる新しい案内看板も設置され、大正村観光と一体化して整備されてい
る。 山里の静かな集落に英語の説明版まで完備されているのが印象的だ。

 この、「団子杉」杉でありながら杉の木の特徴というか性質がまったく見られず、
 何としても不思議な存在だ、杉は主幹が真っ直ぐに上に伸び、ほぼ水平に近い上方に枝を張る。 気象条件や人工的に抑えられてい
じけた成長をするものはあるが、この樹にはそう云った跡は見ら れない。まことに素直に放射状に枝を展開して梢は遠目にはかたちの
よい円形になっている。

 葉っぱを意識しなければ、姿かたちはまるでケヤキかクスノキなどの広葉樹と変わらないところが 樹に興味を抱くものにとっては、ま
か不思議な見どころだろうと思う。
 その、杉らしからぬ特徴的な枝ぶりを団子に例えたのだろう。かなりの昔からそう呼ばれていたよ うだ。北陸地方などの一部に「うら
杉」という、性質の違う杉の樹種が存在することを知りえた記憶が あるので、地域は違うが或いはそう云うことかも知れない。

 本来は樹高のある杉の巨樹にはほとんどあり得ないはずの「ほおづえ」を無数に設備してもらっ て、淡墨桜やその他の広葉樹の大
木と同じような保護をされている。
 すぐ近くに明知城の跡があり、その落城の際、武将の遺骸の多くをこの杉の根元に葬ったと伝えら れている。
 明智城跡には「明智光秀の学問所」なる建物が現存しているが、粗末な建物が400年もの年月持 ちこたえたとは思えないので、何回
か建て直されてい るか何時の間にか生まれた伝説だろう。出生 の謎の多いといわれる光秀伝説はこの地方でいくつかの地域で言い
伝えが見られる。

いずれにして も巨樹巡りのついでに歴史の跡を辿ってみるのも楽しいものです。
 巨樹自体が何百年或いは千数百年というとてつもない歴史を重ねているわけで、それにまつわる 悲しく或いはユニークな伝説に彩ら
れていることが多い。
 典型的な山城「岩村城址」はこの町のとなりにある。


杉らしくない杉として一見の価値があります。戦国武将の霊の守りでもある。
右は明智城址の一角にある明智光秀の学問所、小さく粗末な建物だが
日本大正村観光とともに立ち寄ってみたいところです。








  時瀬の大イチョウ

 愛知県西加茂郡旭町時瀬
  旭町役場交差点(確か三叉路)を矢作川に沿って東進1500メートルほどのところで山が開け複雑で 明るい交差点に出たら川沿いの
集落を見渡してみよう。
小さな神社の鳥居の奥にどっかりと根を下ろしている。 交差点の広場には大きな町内案内看板があり、大イチョウの案内もあるがどう
いう訳か実際の位置 とは正反対の所に表示されており、その位置から大イチョウが視界に入っているのに、無神経な案 内看板に惑わ
されて二時間も探し回ってしまった。散々探し回った上で表示とはまったく反対側に 発見した。

 域内案内がイラストなどで描かれた案内看板は見るのは楽しいが、正確な位置の把握が困難なこ とがしばしばあってその度に悩まさ
れる。まして今回のように結果的に目の前にあることに気がつい たときなど自己嫌悪にさえ陥る。それでなくてもこの大イチョウは案内
看板を頼りに探し回ったあげく 見つからず諦めて帰った過去があるのでなおさらだ。

  案内図に限らず山間部の道路標示など、例えば「どこそこ左折」に従って左にハンドルを切るとその 先がY字形に道が伸びていてあ
きれることなどはそう珍しいことではないのだ。しかも山里の道はひ とつ間違えると山の反対側に出てしまって自分が何処を走っている
のか、かいもく解らなくなることさ えある。
 旅人に対する配慮にいまひとつ工夫がほしいと思う。

 この大イチョウ、目通し(人の眼の高さの木の外周)が大きいわりに枝葉の展開が縮こまって いて迫力に乏しいのが惜しまれる。視界
に入らず発見に手間取ったのもそのためだ。
 多分主幹が何度も伐られているのだろう。イチョウという樹種は伐られても伐られてもしぶとく萌芽 するたくましさを備えているようだ。
 種としては一億五千万年まえから存在しているというので恐竜がのし歩いていた時代からの生き 残りということになる。わが国ではと
っくの昔に絶滅していて、中国大陸の一部などに生き残っていたものを鎌倉時代にわが国に導 入されたとされていて、この国ではそれ
を超える巨樹老樹はあり得ないことになる。

 自然の野山にはまったく見かけることがない。
 晩秋の公園や街路を彩る黄葉の代表的な樹種だが肉厚で樹脂分の多い落ち葉はすべる原因に なり時として交通安全の妨げになっ
ている。


のどかな山里の民家の脇に鎮座する小さな、意識していないと
見落としてしまいそうな神社の一角を覆うようにそびえている。
主枝が何度も伐り払われているようで、小枝が密生している。
行儀よくこんもりとしているが目の前で見上げればやはり大きい







屋久島の巨樹たち


  亜熱帯樹 ガジュマル

ガジュマルの大樹
生育の北限といわれながらも堂々たる風格に圧倒される。

 九州最南端、佐多岬からおよそ60キロ南、鹿児島市から160キロ南の太平洋と東シナ海を分け る位置に黒潮に洗われる山岳島、
「屋久島」。
 周囲130キロ、島を巡る一周道路はおよそ100キロ、その中に2000メートルに近い高山が20 数座、1000メートル以上を含めれ
ば60峰に及ぶという雄大な稜線のぎざぎざが何と言っても魅力 的な真ん丸い島だ。
山々にへばり付くような海岸周りの平地は緯度的には亜熱帯とは云えないと思うのだが、黒潮の影 響か亜熱帯色に彩られている。

 中でも象徴的な植物がガジュマルとアコウの巨木だ。
両種とも、生育の北限と言われながらそのことを感じさせないほど堂々とした巨樹が各所に見られ る。もっとも、ガジュマルやアコウは
どこまで巨大化するのか私には分かっていないので比較のしよ うがないが、一説では屋久島のガジュマルの木は多くもなく大きくもない
といった書物に触れたこと があるような気がするので、そういうことなのかも知れない。とすれば、この種の木は一体どれほど までに成
長巨大化するのだろうか。屋久島のガジュマルは比較さえしなければそれは十分に巨樹 だ。

 高い大きな枝から発生してぶらさがった木根は湿潤な屋久島の空気中からも水分を吸収し太く垂直 に巨大化し、やがて地面に到達
すれば地中にしっかりと結合して、どこからが根でどこからが木なの か、定かでなくなり事実上、木としてちょっとやそっとではびくともし
ない頑丈な支柱を何本も地中に 突き刺した奇怪な樹形はそれ自体でジャングルを思わせる。この木を一目見ただけで、ああ、ここは
亜熱帯なのだ,と納得していた。

 この亜熱帯ないしは熱帯樹は屋久島で多く見かけるのに対して、それより500キロから1000キ ロ近くも南西に位置する沖縄の島々
では、気が付かなかっただけかもしれないが、あまり目立たな かったのが不思議だ。
 この木が桑科ともイチジクの仲間だともいう。はて、イチジクとは何ぞや。桑とイチジクは同じ科の 植物なのか私にはさっぱり分からな
い。







屋久島の巨樹たちー2 ー

   くぐりツガ 

 屋久杉ランド入り口付近に通路を跨ぐ形で異形?を誇っている。
 多分、自然な倒木の上に発生した生命が老熟したものだろうと思う。
屋久島は杉の巨樹に目が行きがちだが、直径が2メートルはありそうなツガとハリモミの木が杉と 共生していて、登山道の周辺には場
所によってはツガやモミの巨木林になっていて杉が意外に少な い地域もある。

 何気なく通過する木の根のトンネルはおそらく千年を超える巨樹が生命を終えて横たわっていた跡 だろうと想像してみるだけでも目
の当たりにする価値がある。切り株の上に若木が育つ「切り株更 新」は多くが人工的な結果だが、「倒木更新」は老衰や台風による倒
壊の結果であり、自然な成り行 きが多いと思われる。

 太い直立した木々が一直線上に整列していて人工的な植林のような風景に、かつて、そこに母な る倒木が生命を終えて横たわって
いたのであろうと容易に想像できる。そんな事例が観察眼を持っ て注視しているといくつも見ることができる。
比較的に新しい倒木の上に幼木がまるで押しくらまんじゅうみたいに成長していく風景は随所に見 られるのが楽しい。やがて、それら
の幼樹たちは一直線のゆりかごの上で生存競争を静かに展開し 数本の選ばれた樹が悠久の歴史を刻むことになる。

  薄い表土より表面が腐食した倒木の上のほうが日当たりもよく根を張る条件にも恵まれているのだ ろう。「生命の島」といわれる屋
久島は決して理想的な植物環境ではなく、むしろ、年間9000ミリと いわれる降雨と湿潤な気候が薄い地表の土壌という劣悪といって
もいいかもしれない生育環境を補 って余りある特異な自然環境によって支えられていると思われる。


巨大な木の根のアーチ。
屋久杉ランド入り口に圧倒的な存在感で観光客を迎えてくれている。
屋久杉ランドはその名称から遊園地を連想してしまうが、
イメージとはまったく違い巨木の林立する、アップダウンのはげしい
鬱そうたる散策路が続いている。
巨杉に負けじとツガやハリモミも堂々たる巨樹だ。







屋久島の巨樹たちー3−

   アコウ ( 絞め殺しの木)

 屋久島のガジュマル園はじめ屋久島各地で見られる。
 ガジュマルに非常によく似ているが性質がまったく違う。と、私は思う。
 この木は、親木がなければ育たない。もっとも、親と言っても「取り付く島」のようなもので太い別の 木につる条の樹幹が網目条にから
みつき、下から上まですっぽりとがんじがらめに巻きつき、成長 してやがて太く長いその 親木というか、捕らえられたその大木は完全
に出口を封じ込められ死滅 する。

 そうして、朽ち果てたころには網目条のアコウの木は完全に癒着し網目の筒状にそそり立ちおぞま しい風情で周囲を威圧している。
 その名の通り、正真証明の絞め殺しの木だ。
 この木は他に不思議な性質があり、常緑樹でありながら数ヶ月に一回の割合で葉っぱが完全に 落ちるという。季節的にも冬であった
り夏だったり、それに一本の木の一部分が別々の時期に落葉 したりと固体によって違うという変な現象が起きるという。旅行中も若葉
のみずみずしい季節だとい うのに、アコウの木だけは枯れ木状態が多く何とも不思議なので農作業にいそしむおばさんから聞 いて納
得した。不思議な常緑樹です。

もっとも、常緑樹だからといって葉っぱが落ちない訳がなく、ほとんどの樹種は新芽が十分に展開 してから役目を終えた古い葉が落ち
るので、そのサイクルが少しずれているだけのことかもしれな い。
 着古した着衣をきれいさっぱり脱ぎ捨ててから着替える清潔好きな亜熱帯樹だなどと面白いかもし れない解釈を勝手にして楽しんで
眺めていました。

 それにしても、「絞め殺し」とはまた、清潔好き?にしては恐ろしくあくどいことをやるものです。
 この、アコウの木もガジュマルと同じく木根をたらして空気中から水分や養分を吸収するところがよ く似ていて、おまけに木の全体が
非常に似ている。
 大きな網目条の中の空洞や絞め殺され骸になってしまった別の木、また、死に掛けて痛々しい捕 らわれの大木など目の当たりにす
ると、植物の世界も弱肉強食それも小が、やがて大を食うという 非情を見せ付けられる思いだ。
 人間社会の弱小一市民としての立場に置き換えれば、「痛快」と言うべきか。


絞め殺されて朽ち果て見えなくなってしまった親?木。
事情を知ると凄まじい光景に見えてくる。
右は頑丈な網目条の樹幹に、がんじがらめに取り付かれて
なすすべもなく死を待つ大木。







屋久島の巨樹たち -4−


 紀元杉

  高層湿原「花の江河」を経由して主峰宮之浦岳に達する登山道の入り口のひとつ、淀川登山口入 り口の直前、林道に接する位置に
そびえていて車で容易に入れることから、登山者だけでなく、すっ 飛び観光客の貸切バスも多くが立ち寄り、入れ替わり立代わり賑わ
っている。
  樹齢3000年といわれ、車の中からでも観賞できる位置にあるのは屋久島ではちょっとめずらしい。
  おまけに、あの縄文杉に次ぐ屋久島の代表的な巨樹だ。

  屋久島観光ツアーの大忙しの一行がこの巨樹と観光バスとを見比べて驚嘆しつつ大満足の面持ち であっという間にお帰りになる、
もったいない話だと思う。
 かなり疲弊しているようで、部分的には巨大な白骨樹だ。ただし、屋久島ではこれでも十分生命を 保たれているという。

 屋久島の杉の巨樹は枚挙にいとまがない。しかし、大半が一部白骨樹か複雑な形をした変形樹 だ。500年も昔から伐採を繰り返し
てきて、大正時代には伐木搬出用の大規模な森林軌道が敷設 され機械力を動員してピークに達している。その頃には、伐木と搬出に
関わる人員とその家族が50 0人に及ぶ集落を形成していたという。屋久島の自然林の価値に目覚め500年前の「神」と崇めら れて
いた森の考え方に戻って保護をはかられるようになったのはまだ、つい、最近になってからのこ となのだ。

 近代になってからの切り株は森の保護を図りながら適時に利用されているのだろう。
 それらの切り 株(土埋木)は屋久杉細工としてみやげ物などに加工され店頭を賑わせている。私は過去半世紀近 く杉材に職業として
関わってきているので分かることだが、杉は一般的に木目は美しいが細かい細 工加工には材質として向いていない。特異な環境で極
めてゆっくりと成長した屋久杉は木目が細か く適度に樹脂分があり杉材として異質な存在なのだろうと思っている。

 土埋木として何十年も晒されていれば生きた木としてではなく、木材として性質が安定しているで あろうことも想像できる。いずれにし
ても屋久島では産業として成り立っているようだ。


紀元杉。車道脇の崖っぷちに巨体をふんばっている。
周りにへばりつくように観賞用の木道が設備されているが、
周囲の木に覆われていて見えない。
巨体は十分に観賞できるが、被写体としてはほぼこの位置からに限られるのが惜しい。







屋久島の巨樹たち -5−


 花の江河の白骨樹

標高が千数百メートルともなれば、如何に南の島とは云っても亜高山帯に属する。
海からの湿った強風は山岳部では凍りつき、雪は四月上旬まで残り、本州中部山岳地域のような 厳しい環境に晒されている。亜熱帯
から寒冷地まで「植物の垂直分布」と云われる所以だ。
白骨樹といわれるこんな痛々しい風情も湿原に以外なほどに溶け込んでいる、不思議な風景だ。 白骨樹であり決して枯れ木ではない
のだそうです。


日本列島最南端の高層湿原「花の江河」の一角にそびえる白骨樹という名の
生きている巨樹。亜熱帯性の植物が繁茂する海岸部から、
車で一時間、その後徒歩で二時間。ここには酷寒の冬がある。

癒しの森。光線の加減か暗く見えるが、一面に苔に覆われた別世界だ。
屋久島は程度の差はあれ全山が苔に覆われている。
ここは、観光客はあまり立ち寄らない登山者の世界だ。
別名を「もののけ姫の森」という。
癒し、ともののけ、では落差が大きすぎるとおもうのだが、
人気アニメに関わった命名とあれば納得といったちころか。
 







屋久島の巨樹たち -6−


くぐり大杉

小さなふたりの人影はまぎれもなく人物です。
とにかく,おそろしくでかくふんばっている。
たぶん倒木の上に発生した二代杉だろう。
したたかな生命力を思わせるこんな巨木がこの島の内陸部にはごろごろしている。