山と旅のつれづれ




巨樹巡礼第五部


主として中部地方で出会った巨樹についての雑文です。
ときとして遠路旅先で出会った巨樹を含みます。

自分の足で観察した上で文章を付け加えています。
収録データを競うものではありません。あくまで気楽な旅日記の一ページです。



以上十編収録。第六部へお進みください。






  岐阜県本巣市 伊野の一本杉

 所在地は岐阜県本巣市根尾町伊野
 平成の大合併で地方自治体の線引きが各地で改められている。
 「熊出没注意」の立て看板と「何々市」の案内表示を同一地域に見て市とは何ぞやと考え込んでし まう。市=市街地という概念の前に
何処かに中心市街地があると常識的にイメージしていたもの が、場合によっては完全に意識を変えなければならない。こういうことが
珍しくなくなって、一時的か も知れないが地理不案内なドライバーはほんとに戸惑うことになる。

 この巨樹「一本杉」の所在地も、つい最近までは岐阜県本巣郡根尾村伊野であった。それが、一 挙に市に昇格してしまったのだか
ら、戸惑うことはなはだしい。 険しい山肌を縫い、出口入り口さえ地形や緑に隠れるように穿たれた鉄道トンネル、根尾川の渓 流を渡
り返しながら、おもちゃのようにうねる線路、樽見鉄道。橋の上などから深い緑の中に見え隠 れする線路を見下ろす風景を眺めている
と、箱庭の一角に佇んでいるようなメルヘンチックな気分に なる。そんな鉄道の駅「たかしな」から南方1キロほどの、国道とは川を挟ん
で反対側の、のどかな 集落の一隅に、ひっそりと佇む小さな神社「新宮神社」の境内にこの巨杉はそびえている。

 眼を見張るほどの巨樹ではないが、その姿の美しさには圧倒されるものがある。
 巨樹の多くは根元や目通りの雄大さ、節くれだったごつごつの木肌に最大の魅力を感じるのだ が、眼を転じて枝葉の広がりを見ると
総じて気の遠くなるほどの年月と風雪に逆らい耐え忍んだ姿 に痛々しさがにじみ出ている。
 この一本杉にはそれがない。のびのびと、杉特有のもくもくとした梢がほんとうに印象的な絶妙の バランスで集落のどの位置からでも
視界に入っている。

 モチノキ、センダン、桜などの比較的に大きな木を幹の中にすっぽりと包み込んで共生しているとこ ろも驚嘆させられる。
 1000年を生き抜いてなお、旺盛な生命力でそれに比べれば短命な人間たちの、それでも、幸せな 人生を送ってきたであろう、その終
末を楽しく静かに迎えようとする人々が集う施設、老人介護施設 「ふれあいセンター」に隣接するかたちで、大きく枝を広げて見守って
いるようだ。
 新宮神社の入り口には樹齢二百年のご神木とある。また、別の朽ち果てかけた表示板には千年 になっている。巨樹の推定樹齢のい
いかげんさの見本みたいだ。

 巨樹ではないが、幼かりしころ、遊び場だった鎮守の森の木が五十数年を経た現在もそのころと ほとんど変らない風情を保っている
ことがある。つまり、半世紀前に子供心に大きな木としてかくれ んぼに興じたその木が、現在も変らない大きな木のままか、自分が大
人になって眼の位置が高くな ったぶんむしろ小さくなったように見えることがある。五十数年という年月は何だったのだろうと思う 一方
で、虫害による松枯れの森が数年後には広葉樹の若葉に覆われていたりする。
 推定樹齢なるものは、無視して見る人の主観で心をうごかしていれば、それで私は充分だと思って いる。


太い主枝が三本に分かれた「一本杉」なぜか、三本杉ではない。
広葉樹の大きな木をしっかりと抱き込んで共生している。








  兵庫県朝来町、八代の大ケヤキ

  瀬戸内の播磨と日本海の但馬地域を南北にほぼ直線状に結ぶ高規格自動車専用道、播但連絡道朝来インターのすぐ近く、児童公
園のような広場の一角にある。
道路上には案内板がまったく見当たらないので、事前情報に基づいて探し回らなければ見つから ない。ひっそりと隠れるような?それ
でも巨大な存在だ。
かなり疲弊していて、本来は放射状に美しく広がるはずの枝は太い一本だけを残して他はばっさり と整理されている。それほどに体力
が衰えているのだろう。

当然、バランスが非常によくない。これほどの巨樹になると主幹は大きな空洞になっていて外側までも朽ち果てている部分があるのが
普通なので、バランスが崩れれば倒壊の危険もあるのではない かと素人ながらに思う。
 鉄柱で支えられているのはそのためだろう。それにしても見かけ上のアンバランスはどうしようもな い風景だ、観る方まで体を反らせ
てみたくなる。
株元の表面に人が出入り出来そうな大きさの切り抜き跡が見られる、多分蓋?を開けてはらわた の傷み具合を観察した後、またもと
に戻したのでしょう。

そんな事が可能なほどに巨樹というのは空洞が広く張りぼてみたいになっているはずなのだ。キノ コの家とか、大木の根元にドアを描
いた童話の挿絵のような他愛のないことを年甲斐もなく連想して みたが、図体が大きすぎて不似合いだ。他のケヤキの 巨樹と表皮の
状態が異なっているような感 じがするので、樹勢の衰えが樹皮にまで及んでいるのか或いはケヤキにも色々な種類があるのか 私に
は解らないが,はっきりとした違いは認められる。


放射状に美しく展開していたはずの枝は一本だけを残してばっさりと切り落とされている。
身軽になって樹勢が回復したのか、その一本が勢いよく成長している。
ただ、何ともアンバランスで不自然な感じはまぬがれない。
右は、よく見ると右側根元に四角く切り取った跡が見られる。
開腹手術の修復跡のようだ、おそらく中はがらんどうだろう。






 兵庫県養父町建屋の左巻きカヤ

 八代の大ケヤキから、主要地方道を10キロほど北上した道路西側へ数百メートル入り込んだ集落 の中、この巨樹も国指定の天然記
念物でありながら、また、詳しい地図には表示されていながら現 地では案内板は見られない。こんな時、カーナビゲーションシステムが
威力を発揮してくれてほんと に助かる。
 目的地の設定に間違いさえなければ確実にその付近まで案内してくれるし付近まで来ればなにせ 目立つ存在なので、例外は時には
あるが大抵は見つけやすい。 この左巻きカヤ、なぜヒダリマキかと云うと、飢饉の時の非常食になるという「カヤの実」の模 様を云うの
だそうです。

それに、カヤの樹は一般的には馴染みの薄い樹種だが大木になると碁盤や将棋の、あの、分厚い 巨大なサイコロをおもわせる台盤
の材料として、信じられないほどの高値で取引されるといい、引く 手あまたで屋敷や民有地で大事にされていた大木も、度重なる引き
合いの誘惑に抗しきれず、家 が一軒建つほどのお金と引き換えに、数百年の歴史を閉じたという話を聞いたこともある。
 カヤの碁盤は碁を打つときの、音の響きが絶妙なのだそうです。

繊細で微妙な感覚を尊ぶ古来の日本人のわびさびの世界に通じるのでしょう
非常食と云い、碁盤材としての超高級材と云い印象深い樹種です。

 この樹は二本の主幹があり、合体樹だろうと思われる。こういう現象は意外に多い。今回のヒダリ マキカヤと前出の八代の大ケヤキ
は鳥取砂丘、但馬海岸の旅の途中の寄り道で得たものだが、こ の旅の帰りに立ち寄った天橋立でも群立する松並木の中に「夫婦松」
とか「仲良し松」とか楽しい名 前を貰った、根元が繋がった合体松を数箇所で見ている。



合体樹か、或いは落雷による樹幹の亀裂跡か、太い鎖で
しっかりと保護されている。民有地でこれほどのカヤの巨樹の
存在は珍しい。と思う。家宝並みに大事にされているのだろう。








楕円形に巨大化した樹幹。
小さな鳥居がしつらえられていて人物と相まって大きさを強調している。



  秋田県藤里町 権現の大イチョウ 

 珍しく、遠い東北秋田県の巨樹です。秋田県側白神山地の入り口につながる藤里町、秋田白神世 界自然遺産センターのすぐ近くに
巨体をふんばっている。
 名古屋空港(小牧)から、コミューターといわれる小さなジェット機で70分、観光バスが空を飛ぶよう なフライトで、あっという間に秋田
です。秋田県はその名も「秋田杉」の大産地だ。仕事が現役中ほ ぼ半世紀の長きにわたって関わってきた銘木秋田杉の産地を一度
は訪ねてみたいと思いながら、 仕事を引退してから、ようやく訪れる機会を得た。

 山も里もさすがに杉が多い。建築材として有用なヒノキが育たない東北以北は杉が主流だ。
 ヒノキによく似た樹林もあるが、たぶんアスナロ(ヒバ)だろう。そんな風景の中で今回は杉でもヒ バでもなく、外来種のイチョウです。
恐竜たちが繁栄した時代から連綿と命をつないできた生きた化 石のような樹種だが、自生地は中国大陸の一部に限られ、日本列島で
はとっくに絶滅していて化石 として産出している。

 わが国には千年ほど前に導入されたとされていて、それを超える長寿のイチョウの樹は存在しない ことになる。目の高さの樹幹の周
囲約8.5メートル。山里の平地に堂々たる存在感で屹立している。 イチョウの樹は大木になると斜め上にのびた大きな主枝は、その下
部に鍾乳石のような逆さ円錐状 の異様な垂れ下がりがいくつも見られる。その、垂れ下がりが二メートルはありそうで、硬い樹皮で 覆
われているが、見た目にはやわらかそうな自然な造形物だ。その、たれさがりを女性の乳房に例 えて、母乳不足に悩む若い母親たち
の信仰の対象になっていることがよくある。

 この大イチョウはそういう信仰のいわれはないようだが、たぶん巨大過ぎてふくよかな女性の色っ ぽさより、グロテスクな感じでそうい
う連想が起きないのだろう。住吉弘法大師(どんなお大師様か、 私は不勉強でさっぱり分からないが空海とは別人なのか)が東北地方
巡錫の途中、この地に立ち 寄られ、清水を汲んで昼食をとられた際の箸を地面に突き刺したところ、このギンナンの樹になった と伝え
られる。と、表示されている伝説が、いかにも嘘っぽくて楽しい。

 そんな昔々の時代に、食事のときの大事な道具を粗末に扱ってはいけません。ましてや、人の道 を説くお大師様が、なんという愚行
か・・などとは言わないことにしよう。使っていた杖を突き刺したら 根付いたとか、箸を挿したとか、この種の伝説はどこにでもある。10月
も半ばになると、各地でイチョ ウの黄葉がニュースになる。しかし、あの、たわわに実ったギンナンの実を競って拾い集める光景に は、
辟易するのだが、拾い集める皆さんはどんな気持ちなのだろう。

 昔々の話になるが、旅の途中、広場の片隅に大きく枝を広げていたギンナンの、黄色く熟した果実 の匂いを気にしながらも、近くで開
かれていた菊花展に見入っていて、その落ちた実を不用意に靴 で踏み潰してしまった果肉が、ふき取っても洗ってもあの強烈な悪臭
が残り、帰りの車の中はウンコ とまったく同じ匂いが充満していて、吐き気さえもよおしそうになった記憶が蘇る。この季節イチョウ の
見事な黄葉をテレビで観ながら、取材する人の気持ちを押しはかっている。きっと、ふくよかな? 香りと我慢比べだろう。悪臭に満ちた
果肉の中の、あの、ギンナンの実が甘くも辛くもなく、独特の味 を持つ嗜好食品であることが、なんとも不思議な取り合わせにおもえ
る。

 この巨木、権現の大イチョウともなると、どうなのだろう。雌雄別株なので、雄樹であれば鮮 やかな黄葉の観賞を楽しめるが。この樹
は黄葉の後、落葉が一斉に起こり、大音響を発するという。 落葉樹の葉っぱが一斉に落ちるというようなことは、幾種類かの樹種にあ
る。植物ホルモンの働き でそういうことが起こるのだろう。しかし、巨樹の膨大な量の葉っぱが一斉に落ちても、葉っぱは葉っ ぱだ、大
音響にはなるまい。とすれば、あの、臭い果肉をまとったギンナンが一緒に落ちるのだろ う。きっと、匂いも一緒に落ちてくる、そして、
集落をやさしく?包む・・・この、夜中に起こる大音響で 土地の農家は作柄を占っているのだそうです。

 ギンナンが落ちるころは、水稲の収穫は終わっていて、占う必要はないはずなので、ギンナンの実 自体の作柄なのでしょう。
 或いは翌年の稲作を占う、農家にとっては楽しい落果現象なのかも知れない。昔から農家が秋や 翌年の作柄をいろんな方法で、中
には笑ってしまうような愉快な占い行事が大真面目に行われてい るが、その結果は絶対に不作とか凶作のような悲観的な予測は用意
されていない。お天気任せの のどかで平和な?農耕民族をご先祖様にいただく、農民のささやかで自然の営みと一体になった暮 らし
を希求する素朴でほほえましい行事だと思う。

 一億五千万年前からの生き残りといわれるイチョウの葉は、落葉樹でありながら肉厚で他の樹種 には見られない扇形の特異な葉形
はそれ自体が恐竜たちと共存してきた証だと、私は勝手に信じ ている。

 この、権現の大イチョウは、「第五十九話田沢湖白神山地」五日間の旅の途中で発見したもので、 巨樹巡りの好きな私にとって、期
せずして大変な収穫でした。旅の途中に寄り道して、巨樹巡りをや ろうものなら、助手席のかみさんに、また始まった・・と苦笑いされる
のがおちなので、距離のある寄 り道は、後ろ髪を引かれる思いで諦めるが、道沿いにデンと現れたとき









  伊富岐神社の杉

 関が原古戦場に近い山あいの平地部、現地の説明によると古代伊富岐山ろくに勢力を張ってい た伊福氏の祖神を祀ってあるという
小さな神社の本殿脇に形にはめたような端正な樹形で、眼を見 張るほどの巨樹ではないが、その美しさには驚嘆する。巨樹大木はほ
とんどがいびつなかたちをし ており、複雑怪奇な樹肌がその歴史を象徴していて、特有の魅力にもなっているが、この杉は柱を 立てた
ように限りなく真っ直ぐに伸び、幾たびか遭遇したであろう風雪を何処吹く風とばかりに、まる で温室育ちのように伸び伸びとしている。

 しかも、この杉は現地の解説には記述がないが、四本の木の合体樹と判断したほうが当たってい るのではないかと思っている。
 対角線条の四本の杉の木が生長するにしたがって根元で同化しながら競い合うように成長してい るとしか思えないような雰囲気に満
ちている。
 過日、ある公園に設置された丸太をぶつ切りにしただけの腰掛椅子の木目が、直径40センチほ どのほぼ真ん丸いかたちでありな
がら、その年輪の渦巻きが三箇所もあることに驚嘆したことがあ る。三本の木が合体していることの動かしがたい証明だ。まして、樹
幹の周囲が9.8メートル(現地で 観察した限りではそんな大径木ではなさそうだが)もあれば合体の結果の大木だと判断しても間違 い
はなさそうだ。いきさつがどうであれ見栄えのする巨樹であることに変わりはない。

 関が原の戦の折、神社は戦火に堕ちたがご神体はこの杉の股のところに安置されていて難を免 れたという言い伝えがあるという。
 4百年まえといえば、この杉はまだ大木といえるほどになってはいなかったと思いたいが、伝説は 何時の間にか語り継がれて確立さ
れるもの、楽しい、或いはありがたい伝説はすなおに受け入れま しょう。

 伊福氏とか云う豪族について現地で語られている、それに、すぐ近くには伊吹という地名も存在 し、それほど遠くない背景にはドライ
ブウエイや高山植物で名高い伊吹山も聳えているが、その山や 地名との関係はありそうな気がするが私には分からない。
 似たような例に北海道の「函館」が、かつては箱館と云われていたことと、秀吉の出身地、「清須」 が清洲町になり、平成の大合併で
清須市になっていることがあげられる。それぞれに歴史的な背景 があるのだろう。


関が原の合戦のとき、ご神体を木の股に安置して守ったという。
合戦はおよそ400年前。この杉の樹齢はそれを大きくは上回らないはずだが、
まあ、そういうことにしよう。ありがたいご神体のありがたい守り神です







  岡崎市額田町寺野の大楠

 所在地は愛知県岡崎市。つい最近まで額田郡額田町だった.。
 平成の大合併で「市」の眼に見えるイメージが場所によっては様変わりして、あきれるほどに戸惑う。ましてや、この地 域は三河の山
間地域への入り口といった勝手な?先入意識があるためか「自動車産業の町」に隣接地域」とされて も、旅人には違和感ばかりが先
に立つ。

 初めて走るこの地域は山ざととはいえ、クルマの町豊田市の奥座敷というより離れ座敷の感がある。点在する集落 から一歩離れる
と、そこは多くが別荘地だ。日常的な生活地域と距離しにてみれば非常に近く利用頻度が高いのだろ う。
 小規模な別荘地でも生活感がにじむ生きた別荘地の雰囲気が楽しい。
 ひなびた集落と都会人の洒落た手作りと思われる立ち木と共に揺れ動く愉快なツリーハウス、それに、イノシシとおぼ しき毛皮がずら
りと干された猟師の家らしき屋敷などなど。

不景気知らずの自動車の町豊田市の背後に展開する山里は広範囲に中小規模の別荘地が混在していて、集落と不 思議な調和を保
っているようでドライブが飽きない。
 そんな静かな,しかし見方によっては繁栄しているかもしれない山里の一隅に小さな神社の建物を抱え込むようにこの クスノキはあ
る。
 急斜面を二十段ほど登った猫の額ほどに平地の背後は垂直の小さな崖になっていて、何とこのクスノキは、その崖を 保護するかの
ように巨大な根株が平面ではなく立面を覆いつくしている。露出している巨大な根株を見ていると、何処 からが根で何処からが木なの
か判然としない。
愛知県下で三番目に大きなクスノキとの表示があるが、一つ一つ形が違う固体を大きさで比較するのは難しい、それ に、比較すること
そのものが無意味だとおもう。このクスノキは樹幹の規模はそれほどでもないような気がするが、根株 のそれは驚嘆に値する凄いもの
だ。
そんな、凄い自然の造形美がまことにひっそりと隠れるように存在している。


巨大怪獣の足? 垂直に近い斜面をせき止めるように張り付く強烈な根株。
神社の建物と比較するとその大きさが一目瞭然だ。
こんな見応えの大きな自然の造形物も一段低い道路からは、まったく見られず、
広げた枝葉だけが視界に入る。





  中坪のアカガシ

所在地は岐阜県瑞浪市三郷町佐々良木。
国道418号が中央自動車道の下をくぐるとほぼ南方へ5キロほど、地方道へ西進して間もなく、民家の屋根上に大きく 枝を広げた深緑
の木立だが、周りにも常緑樹が多く、その上、急斜面なので冬でもあまり目立たない。
探し回った挙句に、どうしても分からず、静まり返った山村集落の中で玄関が半開きになっている民家に尋ねてみたら 「そこにあるよ」
と裏手を指された。

 何と、そこは隣家の裏山だった。お礼を述べて表へ出たものの、道が見当たらない。右往左往していても埒があかな いので、呼びか
けても応答のない隣の民家の庭先と軒下を恐る恐る通らせていただいて、ようやくこの大木にお眼にか かることができた。
見落としがちで小さな案内板が設置されていたがこのことには後で気が付いた。それに、民家の敷地を通らなければ 行けない場所で
も、急斜面の株元に至る粗末な鉄ハシゴも掛けられていて、情報を知り得て探し回る巨樹ファンたちに けっこう利用されている様子がう
かがえる。

 場所がら、保護がされにくいし、観光資源にもなりそうにない立地がかえって生存条件の上で幸いしているのかも知れ ない。
杉やクスノキのような大木にはなりにくいカシの木だが、樹勢は素晴らしく、あまり痛々しさを感じさせない堂々とした雰 囲気が楽しい。
里山や鎮守の森にカシノキは多いがこれほどに巨大化したカシノキを私は知らない。根元から概ね三本に枝分かれし てバランスよく
成長していることも珍しい現象だと思う。

  この地域はかつて田舎暮らしを夢見て土地の出物を探し回ったことがあり、何となく親しみ深い山里だ。一時は商談に 持ち込もうか
と真剣に考えた高台の土地のその後が気になって立ち寄ってみると、一目で都会からの移住者が建てた と思われる瀟洒な新築住宅
が建っているのを見て、その佇まいがかつて私が思い描いた理想そのものであることに、 何とも複雑な思いにかられてしまった。


  田舎の土地とは言え、条件のいい所は考えられるほど安くはないし、ゆったり暮らすためには都会の平均的な土地面 積の二三倍は
必要になる。そんな中で絶好の条件に近く、気持ちが動いた忘れがたい土地だが、商談を進める勇気 を持ち合わせなかったことが良
かったか良くなかったか誰にも分るものではないが、踏み切れなかった者の味わう後悔 は覆うべきもない。

 新築住居の周りを羨望の眼差しで、しかし、一通行人になりすまして何気なくゆったりと巡りながらそれでも間違いなく 今が幸せだと
思うことができれば、それで良かったのだろうと自分を慰めていた。
 家庭を支える責任を全うした後の自由な日々、旅へ行き、巨樹を巡り、田舎でもなく、大都会でもなく、日常的に便利 な地方都市でお
だやかに暮らす今の環境は、たぶん理想卿なのかも知れない。
そんなことを思い巡らせながら、気が付いてみれば希少なアカガシの巨樹に接した感動をほとんど忘れて帰途に着い た。感慨深い一
日でした。


見る角度を変えるとまるで別の木になる。
明るい台地に根を下ろしているような感じになってしまうが、実際は
民家の裏山の急斜面にあって民家を覆うように枝を広げている。







  上高地散策路脇のイチイの樹

 長野県松本市から国道158号で安曇野の伸びやかな風景の中の快適なドライブが間もなく山間部に入ると一転してト ンネルだらけの
リバーサイトコースだ。 中にはトンネル内でY字路があり、緊張を強いられる場面が続く。
 水力発電所としては大出力62万キロワットを発生するという奈川渡ダムの威容に接すると間もなく上高地シャトルバ スの発着地だ。
ハイブリットバスに乗り換えて快適な二車線に生まれ変わった新釜トンネルを通過すると別天地「上高 地」に到着だ。環境保護や景観
保持の観点からマイカー規制は当然だが、独占運行のバス運賃は一観光客がほざく ほどのことでもないが、やはり高いと云わざるを
得ない。ただ、運転手の客を運ぶだけではない、ガイドサービスを兼ね た対応には楽しいものがある。こんなところも、都会に多いぶっ
きらぼうな運転手とは違って、飾らない温かみを感じ る。

 久しぶりの上高地はバスセンターの片隅に積み上げられた残雪ゴミが3メートルほどの山になっていたほかは、芽吹 きの春のまった
だなかだった。
 大正池のほとりを歩き、河童橋を渡って田代池、明神池へと続く林間の散策路脇に二本の大きなイチイの樹に出くわ す。第一級の山
岳景観に眼を奪われがちで、何となく通り過ぎてしまいそうな雰囲気だが、奇観と言ってもいいような複 雑な放射状に枝分かれした針
葉樹は見応えがある。

 針葉樹は概ね主幹が一本通ってほぼ真っ直ぐに成長し、それが針葉樹林の景観をなしていると思うのだが、このイ チイの樹はその
枝ぶりが奇異なのか本来の性質なのか私には解らない。
 イチイの木に接するとき、私は別名の{アララギ」のほうが詩的な感じがして、同時に歌人斎藤茂吉があららぎ集落を 見下ろす峠で詠
んだという『麓にはあららぎという村ありて吾にかなしき名をぞとどむる』という歌碑と、其処に隣接する 島崎藤村が小説『夜明け前』の
構想を練ったと云われる木曾と伊那を結ぶ信州大平街道の大平峠(木曾峠)にいまも ひっそりと佇み、自動車でまばらに行き交う旅人
を迎え入れている小さな茶店を決まって意識している。

 岐阜県高山市を中心とした木彫りの名品「イチイ一刀彫」がこの木から作られることを思うと、大木と云えども無数に 枝分かれした比
較的に細いそれぞれの樹幹からは彫刻材のイメージが湧かない。イチイ一刀彫はたった一本の彫刻 刀で彫り刻むものと、ながねん勘
違いしていたが、無数の彫刻刀を使いこなして彫るのだそうです。 何で一刀彫りなのだろ。


上高地のイチイ(アララギ)
全体を見れば大木だが、無数に分かれた枝からは
彫刻材のイメージには程遠い。









 木曾義仲旗挙げのケヤキ


佐渡の旅の帰り道、長野高速道塩尻〜岡谷間が豪雨災害により、通行止め。
 やむなく、コースを変え国道19号線を木曾谷に沿って南下することにして割合交通量の少ない幹線国道をひたすら走 り、奈良井の復
元宿場で昼食を摂ろうとハンドルを切ったところ、ゲートに阻まれてしまった。
 奈良井宿は災害の危険が迫っているとして、避難勧告が出ており営業どころではないという。眼下を流れる木曽川の 溢れんばかりの
濁流と相まって、改めて前日の豪雨の凄まじさを思い知らされた。

 しかたなく、道の駅を探しているうちに、それも、うっかり通過してしまい、しばらくしてから、ひなびた蕎麦屋が目に付 き、風情のある
派手に飾らない雰囲気が気に入ってクルマを休めた。
 石臼で挽いた自家製のそば粉を使った「ざる」は、期待に違わず旨かった。山野草のてんぷらも400円でたっぷり二 人分。店の周りで
ただで収穫できるのだから当たり前かと、勝手なことをつぶやきながら、窓の外に何気なく眼をやっ たら、そこに、巨大なケヤキが飛び
込んできた。

 長野県木曽郡日義村、平成の大合併で行政区画の事情が変っているかも知れないが、ここは、木曾義仲の出生地 であることには何
ら変りはない。巨大な看板がそれを示していた。
 悲劇の武将木曾義仲挙兵の際、このケヤキの元で旗挙げしたとか、或いは武運を祈って植樹したとか、言い伝えら れているという。
伝説に過ぎないが樹齢800年は目の当たりにすれば説得力がある。
大部分が朽ち果てていて、残存する樹勢に合わせて大枝も小枝も整理されており、身軽になった効果があったのか 一本だけ残した枝
が、しっかりと繁茂している。大手術でかろうじて形を保っているためか、天然記念物の指定がされ ていないようだ。

それにしても、高速道の通行止めを迂回して、それも、塩尻〜岡谷間を避ければ高速に復帰できたものを、時間に 余裕があるから
と、わざわざ谷を隔てた国道19号に回って、その上で奈良井の宿で災害の危険という理由とは云え、 門前払いに遭い、道の駅をうっ
かり通過してしまった上、何気なく立ち寄った蕎麦屋の目の前に私のライフワークであ る「巨樹巡り」の大きな目玉が忽然と現れる幸運
に接して、神がかり的に何かに導かれているとさえ思えて楽しい旅の しめくくりでした。


素朴な田舎蕎麦をすすりながら、ふと見渡した窓外に引き寄せられる
ように現れた木曾義仲旗挙げのケヤキ。








  戸隠神社の三本杉

佐渡への旅の行きの寄り道、7月17日の小谷村、小雨そぼ降る栂池自然園は随所に分厚い残雪を踏み固めながら の散策に、この
冬の雪の多さを実感させられた。水芭蕉は既に残り花がさみしく留まっている程度で、花とはまるで印 象が違う巨大な葉っぱが、本物
の芭蕉の葉っぱのように展開している。
 そんな自然園を巡った後の偶然の巨樹との出会いです。今回の旅は雨にたたられながら、行きも帰りも私にとってラ イフワークであ
る巨樹との出会いに、しかも、下調べもせず偶然に恵まれて、雨もまた楽し、というか、幸運な旅だった のかも知れない。

 戸隠神社は以前、と言っても30年も昔のころだったが、路肩の駐車スペースに車を一時的に止めたとき、かみさん が腕時計を落とし
たことに気がついた。 当時は腕時計はいまほど使い捨ての時代ではなかったので、数時間後、諦 めながらも現地に行って探したとこ
ろ、草むらの中にじっと落とし主を待って時を刻み続けている「タカラモノ」があるで はないか。そんな楽しい記憶がある。

 また、そのときの旅では、神社の賽銭箱の一角にこともあろうに、財布を置き忘れ、気がついて大慌てで戻ったとき、 そこに財布がじ
っとしていた。神様のお導きかほんとに忘れ得ない、どじな記憶を思い出しつつドライブ中、戸隠神社中 社(だったと思う、違うかもしれ
ない)の境内と道路を跨いで三本の巨木の最も大きな一本の杉が目の前に現れた。巨 樹大木に興味を持つ者でなくても非常に目立つ
位置にある。

 眼の高さの周囲が16メートルと表示されているが、罪の無い嘘とされても仕方がないだろう。屋久島の巨樹でも17メ ートル前後と云
われている中で、それらと肩を並べるほどのサイズとはとても思えない。
 しかし、深い山道を分け入らなくても巨樹を三本も同時に観られる楽しさがここにある。しかし、足を労せずして手軽 に観ることができ
ると何となく感動が薄れる。このことは、足で何時間もかけて山頂にたどり着いたときと、クルマで登 頂してしまったときとでは、達成感
がまるで違うことに似ている。


道路の両側にそびえる大杉。右側の樹は、巨大なウロの開口部をウレタンフォームか
発泡スチロールで保護され、お化粧されているが何ともぎこちない下手なおめかしだ。

三本の巨樹の内の一本だが、この樹は三本の合体樹のようだ。
三本杉とは、この樹を指しているのかもしれない。