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Artist

FRANCO & OK JAZZ

Title

ORIGINALITE [REMASTERED]


originalite
Japanese Title 国内未発売
Date 1956? - 1959
Label RETROAFRIC RETRO 2XCD(UK)
CD Release 1999
Rating ★★★★
Availability ◆◆◆


Review

 フランコこと、フランシス・ルアンボ・マキアディ Francois Luambo Makiadi は、10歳のとき、鉄道労働者だった父を亡くした。学校へ通えなくなったかれは、自宅近くのマーケットで揚げ菓子を売って家計を支える母を助けようと客寄せにギターを弾いていたという。フランコにギターの基礎を教えてくれたのは、かれより4歳年長のポール・ドゥワヨン・エベンゴ Paul 'Dewayon' Ebengo であった。やがてふたりはワタム Watam というグループを結成する。フランコ12歳、ドゥワヨン16歳のときであった。

 ワタム結成から3年近く経った1953年、ふたりは新進のレーベル、ロニンギサのオーディションを受けると、オーナーであったギリシア人、ベイシー・パパディミトリウ Basie Papadimitoriou の目にとまり、見事合格。パパディミトリウは、若いミュージシャンたちと積極的に契約を結んでは、楽器を貸し与え自由にスタジオを使わせた。かれらがつくった曲は、一般人を含むコンゴ人とヨーロッパ人からなる審査委員会で吟味され、これにパスした場合はギャランティがもらえた。そんなことでフランコは大いに曲づくりに励んだのである。

 フランコらロニンギサに集った若きスタジオ・ミュージシャンたちは、当時、ロニンギサのドル箱スターだったアンリ・ボワヌ Henri Bowane のバック・バンドとして、ボワヌが所有するナイト・クラブ“クィスト”に出演していた。かれらの演奏はたちまち評判となり、かれらはいつしか“バナ・ロニンギサ(ロニンギサの子どもたち)”と呼ばれるようになった。

 1956年はじめごろ、クィストのすぐ近くで“O.K. バー”を経営するオスカー・カシャマ Oscar Kashama のオファーを受けて、フランコ (lead g,vo)、ヴィッキー・ロンゴンバ Victor 'Vicky' Longomba (vo) 、ロシニョール Philippe 'Rossignol' Lando (vo)、ジャン・セルジュ・エッスー Jean Serge Essous (cl)、ドゥ・ラ・リュヌ Daniel 'De La Lune' Lubelo (bass,rh.g) 、パンディ Saturnin 'Ben' Pandi (perc) の6人をコア・メンバーとして、かれらはO.K. バーのステージに立つようになった。

 かれらの演奏は評判を呼んで、やがてO.K. バー以外のダンス・ホールでも演奏するようになる。バナ・ロニンギサはかれら若きセッション・プレイヤーたちの総称でしかないし、やはり正規のグループ名が必要だということで、オーナーであるオスカー・カシャマのイニシャル、Orchestre Kinois(キンシャサの楽団の意味)、それからアメリカ流の「OK」をもじって、O.K.ジャズとした。フランコが18歳の誕生日をむかえた1か月後の1956年6月6日のことである。

 O.K.ジャズのオリジナル・メンバーについては、どうもはっきりしない。ここではGARY STEWARTの著書"RUMBA ON THE RIVER"(VERSO, 2000)によったが、フランコ研究の決定版ともいえるGRAEME EWENSの"CONGO COLOSSUS: THE LIFE AND LEGACY OF FRANCO & OK JAZZ"(BUKU PRESS, 1994)によれば、ヴィッキーが参加したのは翌57年で、代わりにロアトレとデスーアンの2名を加えた7人が発足当初のメンバーとされている。バナ・ロニンギサは、もともとセッション・プレイヤーの集まりでメンバーがはっきり固定していなかったし、O.K. ジャズ結成後にも、たとえばフランコ、ヴィッキー、ロシニョールの名義でレコードが発売されていることからこうした混乱が生じたのだろう。ちなみに、O.K.ジャズのアーキタイプとでもいうべき演奏は、"ROOTS OF OK JAZZ 1955-1956 - ZAIRE CLASSICS VOL.3" (CRAMMED DISCS CRAW 7)などで聴くことができる。

 しばらくしてロアトレ Augustin 'Roitlet' Moniania (rh.g, bass) をメンバーにむかえて7人編成となったO.K.ジャズの若き面々は、ロニンギサで共同生活しながらスタジオとダンス・ホールを往復する多忙な日々を送る。かれらの人気は日増しに高まり、ついにはボワヌをしのぐまでになった。
 ところが、印税をめぐるトラブルから、その年の12月、パンディとロアトレはロニンギサとの契約を解除されグループを離脱するハメに。そこで、あらたにデスーアン Nicholas 'Dessoin' Bosuma (rh.g, conga) をメンバーに加えて57年はじめにレコーディングされたのが、グループとしてのデビュー曲'ON ENTRE O.K. ON SORT K.O.' 「入る時はオーケー、出る時はノックアウト」である。
 ‥‥と"RUMBA ON THE RIVER" にはある。

 本盤は、英国のレーベル、レトロアフリークから87年にリリースされたLP(90年CD化)収録の16曲に、あらたに4曲を追加したリマスター盤である。ファースト・リリース盤にはあったスクラッチ・ノイズがすっかり除去されたおかげで、O.K.ジャズがロニンギサに残したデビュー曲から59年ごろまでのSP音源をおどろくほどクリアな音質で聴けるようになった。

 87年(90年)版 "ORIGINALITE" の解説によると、デビューから数週間おきに立て続けにリリースされた前半の8曲は56年録音、残りは57年以降の録音とある。前半部分を56年録音とするか、スチュワートにしたがって57年録音とするかは説が分かれるところだが、前半と後半部分では曲の雰囲気がかなりちがっていることはまちがいない。
 というのも、デビューしてまもなくグループのリーダーだったクラリネット奏者エッスーと、ヴォーカルのロシニョールが脱退してしまっているのだ。

 エッスーのクラリネットは、ジャズよりもラテン、とくに仏領マルティニークの音楽ビギンやマズルカでパリにブームを巻き起こしたステリオのプレイを思わせる流麗でスウィートな響きだ。じっさい、パンディが書いた'NINI CHERIE' とエッスーの作品'LINA' の2曲は、ビギンとあり、おそらくエッスーの好みを反映したものだろう。
 エッスーのクラリネットとフランコのエレキ・ギターは、合わせ鏡のような関係にあって、主旋律をユニゾンで奏でてみたり、からみ合ったりしながらO.K. ジャズのサウンド・カラーを決定づけていた。いっぽう、リズム・ギターは、まだアコースティックで、後年のルンバ・コンゴレーズに特徴的なつづれ織りのようなギター・アンサンブルはなく、ひたすら堅実にリズム・キープに徹しきっている。
 ロシニョールとヴィッキーのツイン・リード・ヴォーカルは、まだいかにも素朴で、ふたりのハーモニーにはバラツキが感じられる。なんでもロシニョールとヴィッキーとどちらがメインをとるかのいさかいがロシニョール脱退のきっかけになったとも。

 このようにサウンド面では未完成であらけずりなところもあるのだけれども、これはこれでいい味を出している。'ON ENTRE O.K. ON SORT K.O.' のB面で、同じくフランコの作品 'LA FIESTA' は、当時、最新のラテン・リズムであったチャチャチャにチャレンジしているし、パンディ作のルンバで、O.K. ジャズ最初のヒット曲となった 'PASI YA BOLOKO' は、フランコの乾いたアコースティック・ギターのフレイジングがどこかカントリー&ウェスタンっぽかったりしてほほえましい。フランコ、ヴィッキー、パンディ、エッスーがそれぞれ2曲ずつ提供したこれら最初期の録音8曲のなかでは、個人的にはビギンとメレンゲとキューバ音楽とコンゴ音楽の要素がブレンドされた'LINA' が気に入っている。
 
 主要メンバーの脱退で結成早々にグループの建て直しを迫られたO.K.ジャズは、エド Edouard 'Edo' Ganga (vo)、ニーノ・マラペ Nino Malapet (sax)、ウィリー・ムベンベ Willy Mbembe (tp) をメンバーに迎え入れる。そして、さらに同年中にセレスティン Celestin Kouka (maracas,vo)、ブラッツォ Antoine 'Brazzos' Armando (rh.g) 、エド・ルトゥーラ Edo Lutula (cl) 、ローデシア(現ジンバブウェ)出身のイサーク・ムセキワ Isaac Musekiwa (sax) がメンバーに加わったとあるが、あまりにメンバーの入れ替わりが激しくて前後関係がよくわからない。

 わかっているのは、すくなくともフランコ、ヴィッキー、エド・ガンガ、セレスティン、ドゥ・ラ・リュヌ、デスーアン、ブラッツォ、イサークの8人のメンバーが59年まで不動であったこと、そしてこの鉄壁のコンビネーションによって初期O.K. ジャズのスタイルがかたちづくられたということである。

 再編O.K. ジャズのサウンドを特徴づけるキイは、なんといっても高低音を巧みに使い分けたエドとヴィッキーのヴォーカル・ハーモニーだろう。エド作の美しいボレーロ'MARE NDE KOLIMWA' などはまるでキューバの至宝トリオ・マタモロスにおけるミゲール・マタモロスとシロ・ロドリゲスのようだ。
 エドによれば、ふたりはフランスで活躍していたイタリア人デュエット、パトリス&マリオのヴォーカル・スタイルをマネたのだという。なんでも、当時、まだベルギー領だったレオポルドヴィル(キンシャサ)とコンゴ川をはさんで対岸にあるフランス領のブラザヴィルにかれらがやって来てセンセーションを巻き起こしたのだそうだ。そうか、ルンバ・コンゴレーズの代名詞となった、あの絶妙なヴォーカル・ハーモニーのルーツにはかれらの影響があったのか。パトリス&マリオって、いったい何者なんだろうと思って、ALL MUSIC GUIDEをあたってみたが、ついに正体がつかめなかった。

 本盤最大の注目曲は、フランコの作品'MERENGUE' であろう。エッスーとロシニョールが脱退して、新しいスタイルを模索している時期の録音なのであろうか。デュエットではなく、おそらくヴィッキーが単独でメイン・ヴォーカルをつとめているのは異例だし、リズム・ギターらしき音も聞こえない(入っていたとしてもマラカスと一体化してはっきり聞き取れない)。代わりにウィリーらしきキューバ系のミュート・トランペットが入っている。
 これにベースとパーカッションが加わったシンプルな編成で、ひときわ気を吐いているのが、アコースティック・ギターに持ち替えたフランコ。ドミニカ共和国出身のアンヘル・ビローリアによって世界中に広まった当時最新のリズム、メレンゲは、グィラ(金属製のグィロ)とタンボーラが繰り出す2拍子系の跳ね上がるようなビートが特徴であったが、この感覚をパーカッションではなく、フランコがギターで表現しているように聞こえる。例の乾いた音色で変幻自在にとびまわるフランコのスリリングなプレイは、初期のベスト・プレイのひとつといっていいだろう。

 サックスの音がはっきりと聞き取れるようになるのは、13曲目の'TONDIMI LA MODE' から。クラリネットではフランコのエレキ・ギターとよく似たトーンになってしまっていたが、テナー・サックスに代わったことでフランコのギターとのコントラストが生まれ、サウンドにふくらみが出てきている。ここにいたって、O.K.ジャズのルンバの基本型が完成したといえるだろう。'TANGO EKOKI NABATELA MWANA' でのサックスのブローは、のちにヴェルキスに引き継がれていくスタイルの原型といえるだろう。

 リマスター盤で追加された4曲は、それまでの演奏とはあきらかに異質。曲の構成力も演奏能力が格段に高くなって、サウンドがグッとひきしまった。
 2曲のチャチャチャ、'TCHA TCHA TCHA DE MI AMOR''TCHA TCHA TCHA MODERO' も、かたちばかりのチャチャチャであった'LA FIESTA' にくらべると、かなり本格的で本場キューバにも引けをとっていない。なかでも、セネガルのバンド、ムベンゲとソン・チャチャチャ・ボーイズ・ドゥ・ダカールのホーン・セクションをゲストに迎えた58年録音の 'AH BOLINGO PASI' は、サックスによるぶ厚いリフが異常にかっこよく、フランコのジャズへの関心の深さがあらわれた幻の傑作といわれていたもの。
 エドとヴィッキーのヴォーカル・ラインは、その美しさにますます磨きがかかってきたが、反面、ときに平坦に感じられる部分がないこともない。そこに、よりドライで金属的なトーンになったフランコのギターがからんでくることで、音楽にメリハリが生まれてくる。O.K.ジャズの演奏が、アフリカン・ジャズをはじめ、同時代のバンドの演奏とくらべてきわだって聞こえるのは、このようにスウィートとメタル、調和と破壊の両方の側面をあわせもっていたことによるのではないかと思った。それもこれも、ひとえにフランコの天才のなせるワザといえるだろう。


(7.18.03)



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by Tatsushi Tsukahara