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Artist

渡辺マリ

Title

マリのドドンパ


watanabe mari
Date 1961-1963
Label Pヴァイン PCD-1560(JP)
CD Release 1997
Rating ★★★☆
Availability ◆◆


Review

 純国産のラテン系ニュー・リズム“ドドンパ”を一躍世に知らしめた「東京ドドンパ娘」(61年)の大ヒットを受けて、2匹目のドジョウをねらったコミカルなノヴェルティ・ソングばかりを歌わされたばかりにキワモノ扱いされがちの渡辺マリだが、ハスキーな声色とダイナミックな唱法から江利チエミの再来といわれ、見砂直照と東京キューバン・ボーイズの専属歌手をつとめたほどの本格派であった。お色気はからっきしだが、元気で一途な「東京ドドンパ娘」のイメージは、渡辺の声にドンピシャ合っていた。渡辺なくして、この大ヒットはありえなかっただろう。
 
 “ドドンパ”は、エレキ・ギター、コンガ、ボンゴ、タンバリン、グィロ、ハイハットなどで奏でられる4拍子の跳ねるような楽しいリズムで、一度聴いたら不思議と頭に染みついて離れない。“ドドンパ”のことばの響きに惑わされて、ラテン系リズムと思われがちだが、親しみやすさからして日本の祭ばやしあたりにルーツが求められるのではなかろうか。

 正直いって、わたしは、このアルバムを手に入れるまで、「東京ドドンパ娘」以外の渡辺マリの歌を聴いたことがなかった。心ときめかせて聴いてはみたのだけれど、残念ながらというか、案の定というべきか「東京ドドンパ娘」をこえる楽曲はなかった。しかし、それなりには聴かせるものはある。

 アート・ブレイキーのジャズ・メッセンジャーズっぽいホーン・セクションがファンキーな「銀座ジャングル娘」(61年)は、笠置シヅ子「ジャングル・ブギ」の渡辺ヴァージョンといえそう。彼女独特のざらざらしたハスキー・ヴォイスと粘りつくような節まわしがすばらしく、「東京ドドンパ娘」に次ぐ名唱であろう。(このあいだ、ケーブル・テレビのチャンネルをパラパラいじっていたら、若き日の浅野忠信が出演していた青春映画「パンツの穴」シリーズで、この歌を劇中女子高生たちが歌い踊っていてビックリした。なんたるマニアックな選曲センス!)
 
 名古屋人として捨て置けないのが「おきゃあせ娘」(61年)。「おきゃあせ」とは、名古屋弁で「やめておきなさい」の意味だが、作詞の清水みのるが、名古屋に思い入れがあったというより、「おきゃあせ」ということばの響きのおかしさからこの詞をつくったんじゃないか。もっといえば、「おきゃあせ」のフレーズさえあれば、あとはどうでもよかった。例によってドドンパのリズムにのせたコミカル・ソングで、水準以上の出来ではあるのだが、残念ながら「おきゃあせ」の響きが十分に生かされているとはいいがたい。歌の節目節目に「おきゃあせ」をもっと連発すべきであった。
 
 その反省に立ってつくられた(とわたしが勝手に決めつけている)のが、「東京レジャー娘」(61年)。「ヒマ、ヒマ、ヒマ、ヒマ、ヒマ」のフレーズが、男性コーラスと渡辺自身の声によって、あたり一面のべつまくなしにばらまかれる。ここではホーン・セクションを廃し、ボンゴ、ハイハット、ギターにコーラスのみのシンプルな編成で、剥き出しになったアーシーなヴォーカルがとってもファンキー。
 
 青島幸男が日本語詞を付けた坂本九の歌「悲しき六十歳」として知られる「ムスタファ」(60年)は、もとはレバノンの歌。歌詞は異なるが、ムスタファという男が、恋するひとのためにコツコツ働いて大金持ちになったが気づけばいつしか老いさらばえていたという似たようなストーリー。わたしはこれをシンガポールのディック・リー、それからエジプトのポップ・バンド、アメリカーナ・ショウが歌ったもので知っている。いったい、この歌の世界的な人気は何なのか、いつも不思議に思う。
 
 また、メキシコのスタンダード・ナンバー「ク・ク・ル・ク・ク」(60年)で、東京キューバン・ボーイズのすばらしい伴奏にのせて渡辺はこのときとばかりに歌唱力をいかんなく披露。けだる気なムードは浜村美智子につうじるものがある。マンボ・アレンジもおもしろい。「チャキチャキ・パチャンガ」(61年)は、パチャンガのリズムとは無関係の純国産歌謡曲で、ドドンパよりも軽やかだがアクが感じられない。「香港マリ」(61年)は、西田佐知子「アカシアの雨がやむとき」を意識してつくったと思われる曲。それまでの元気いっぱいのイメージから一転しているが、西田のようなけだるさがないのはいかんともしがたい。
 「ドリアンは恋の味」(62年)は、軽快なラテン・ビートにのって歌われるのだが、雪村いづみのキュートなヴォーカルのほうが似合う。「チンコロ姐ちゃん」(62年)までくると、タイトルはグッドだけれど、三木トリロー調のよくあるコミック・ソングの域を出ていない。
 
 すっかりイメージ・チェンジした『渡辺マリのアズ・ラテン・タイム』(62年)からの6曲は、海老原敬一郎とロブスターズをバックにしたがえて、オチャラけなしのジャズ・ラテン・スタンダードを英語とスペイン語で直球勝負。渡辺本来のダイナミックな歌唱を心ゆくまで味わうことができる。ここでの彼女は凡百の歌手にくらべたら格段に歌が上手なのだけれども、ゴージャスを身にまとってしまって、前田憲男のアレンジ、世良譲のピアノが入った「サウンド・イン・S」と同列じゃんと思ってしまう。ジローさんも藤田まことも歌がうまかったけど、コント55号と“てなもんや”がなければ、それだけだったのとおなじ。


(5.28.02)



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by Tatsushi Tsukahara