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Artist

MANUEL GUAJIRO MIRABAL

Title

BUENA VISTA SOCIAL CLUB PRESENTS
MANUEL GUAJIRO MIRABAL


guajiro
Japanese Title 国内未発売
Date 2003
Label WORLD CIRCUIT/NONESUCH 79810-2 (US)
CD Release 2004
Rating ★★★★☆
Availability ◆◆◆◆


Review

 60年前後にプチート(アンティージャ)から発売された2枚の名盤、アルセニオ楽団の"SABROSO Y CALIENTE"(Pヴァイン PCD-2141)と、チャポティーン楽団の"SABOR TROPICAL" (Pヴァイン PCD-2143)のジャケット・イメージをヘタクソにパクったデザインと、“ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ・プレゼンツ”の表示をみて、悪い予感がしていたが、いざフタを開けてみれば「なかなかいけるじゃないか!」

 本盤は、マヌエル“エル・グァヒーロ”ミラバルという33年生まれの白人ベテラン・トランペット奏者の初リーダー・アルバムらしい。なんでも、50年代はコンフント・ルンバヴァーナなど、いくつもの楽団に籍を置いて、ラジオ、テレビ、キャバレーなどの仕事をしていたという。近年では、オスカール・デ・レオーン楽団のリード・トランペット奏者として活躍していた。しかし、かれの名を一躍世間に知らしめたのはなんといってもブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ(以後BVSC)への参加だろう。

 かれのことは意識したこともなかったが、BVSCシリーズの最高傑作"BUENA VUSTA SOCIAL CLUB PRESENTS OMARA PORTUONDO"(WORLD CIRCUIT/NONESUCH 79603-2)をみてみたら、インナー・スリーブにオマーラとのツー・ショットで大きく写っていた。ライ・クーダーとのクソ・アルバムにも参加しており、BVSCの中心メンバーだったことをはじめて知った。

 20年代のセステート(セプテート)・アバネーロ以来、ソンを演奏する楽団のトランペットは、チャポティーンに代表されるようにきらびやかさのなかに強烈な哀愁がこもっていた(ヘタレがあっても“味”になる)。しかし、グァヒーロのプレイは、元イラケレのアルトゥーロ・サンドヴァルに似て、どこまでもツヤツヤでブリリアント。こんな音がアルセニオに向いてるわけがない。

 プロデューサーのニック・ゴールドは、現代キューバ音楽にありがちの高音部が多いサルサ風のペラペラな音づくりを避けて、アルセニオ楽団のヘヴィでウェットな質感を再現しようとしたようだ。このことが、適切な人選でなかったにもかかわらずアルセニオ・トリビュート盤としては最良の結果を生んだ。

 基本的な楽器編成は、トランペット3管、ピアノ、トレス、ギター、ベース、コンガ、ボンゴ、ティンバーレス、グィロ、マラカスと、アルセニオの、とくにNY時代のそれにまあ近い。歌もソロよりコーラスに重きを置いたところなど、いかにもアルセニオ・マナー。

 本盤のどこに感心したかというと、'EL RINCON CALIENTE' など、いくつかの曲でエレキ・トレスが使われていること。伝統主義者ではなく、ラディカルなイノヴェイターだったアルセニオをよくあらわしているのがエレキ・トレスだと思う。
 アルセニオと並ぶトレスの名手であったイサーク・オヴィエドを父に持ち、チャポティーン楽団やエストレージャス・デ・チョコラーテにも在籍したパピ・オヴィエドが、アルセニオのそんなラディカルさをうまく表現したすばらしいプレイを披露してくれている。なかでも、かれのエレキ・トレスをフィーチャーした'PARA BAILAR EL MONTUNO' は出色。

 歌にはときおりサルサの悪影響が感じられるものの、ミラバルのかつてのボス、ド・レオーンやBVSCのエリアデス・オチョアのCDのように、即座にリモコンのスイッチに手が伸びるほどではない。ミラバルのつんざくようなトランペットも尊大ぶってて好みではないが耳ざわりとまではいかない。これらのマイナス面を、よくバウンスするがズシリとくるパーカッションがよくカヴァーしている。

 収録曲(全11曲)は、すべてアルセニオ楽団、しかも大半がキューバ時代のレパートリーの比較的忠実なリメイクなので悪かろうはずがない。逆にいうと、ミラバルらしい“オリジナリティ”を出そうとした部分では失敗している。

 ミラバルの個性とアルセニオの個性とがもっともうまくフィットしたのは'ME BOTE DE GUANO' だろう。この曲は、新加入のトランペット奏者、アルフレッド“チョコラーテ”アルメンテロスがバンドのユニフォームを調達する資金に当てるようにと、アルセニオが曲の権利を譲ってやったものである。オリジナルがレコーディングされた49年には、チョコラーテのほかにチャポティーンもいて楽団のトランペット隊は最強を誇っていた。これをフィーチャーしたのが同曲。だから相性がいいに決まってる。

 グァヒーロにかぎらず、BVSCの面々はコアなソンを歌ったり演奏してはいても、BVSC以前にはちがうタイプの音楽をやっていたひとが意外と多い。たとえば、オマーラはフィーリン系の歌手だし、イブラヒム・フェレールはグァラーチャを得意としていた。一時期、アルセニオ楽団に在籍していたルベーン・ゴンサレスにしたところで、グァラーチャやチャチャチャなどをレパートリーとした楽団でプレイした期間のほうが長かったんではないか。

 それをいかにも「むかしからキューバ伝統のソンをやってました」といわんばかりの態度をとっているのは、どうにも納得がいかない。79年にチャポティーンやミゲリート・クニーを含めたキューバのオール・スターからなるエストレージャス・デ・アレイトによるセッション("LOS HEROES"(ワーナー VPCR-19006/7)として復刻)がおこなわれたが、もしかしたら、このときが真の意味でのソネーロが記録された最後の大舞台だったのかもしれない。

 こんなにけなしておいて★★★★☆(9点)は甘すぎると思ったが、アルセニオ楽団のピアニストにして作編曲家でもあったリリー・マルティネスに捧げた"TRIBUTO A LILI MARTINEZ"(UNICORNIO UN-CD8007 ※アオラがマノイート・シモネー『親愛なるリリー・マルティネスに捧ぐ』として輸入配給)が涙が出るほど無残な出来だったことを思えば、これが現代のキューバのミュージシャンにできる限界と考えるべきだろう。


(2.20.05)



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by Tatsushi Tsukahara