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Artist

VARIOUS ARTISTS

Title
・COMO TRAIGO LA YUCA
・CON UN SOLO PIE
・INTRANQUILIDAD
from

CUBAN SEXTETOS & CONJUNTOS



Japanese Title 国内未発売
Date 1940-1942
Label HARLEQUIN HQ CD 64(UK)
CD Release 1996
Rating ★★★★☆
Availability ◆◆◆


Review

 1940年から42年に収録された8組のセステートとコンフント編成によるレアな音源を集めた知られざる名盤。

 セステートとは、6人編成のことで、ギター、トレス、ベース、ボンゴ、マラカス、クラベスに、2人以上のメンバーがヴォーカルを兼ねるのが一般的なスタイル。1920年代なかばに人気を博したセステート・アバネーロセステート・ナシオナールが代表格。のちにトランペットが加わり、セプテートになる。
 これにピアノ、コンガ(キューバではトゥンバドーラともいう)、セカンド・トランペットを加えて、よりパワフルにしたのがコンフント(の典型的なスタイル)である。一般にコンフント・スタイルは1940年前後に普及しはじめたとされ、その先駆けとなったのがアルセニオであった。アルセニオが自己のコンフントを結成したのは、1939年か40年というのが定説。

 これらは、アルセニオのコンフントによる最初期の音源。40年代はじめにしては音質がよく、そのためか"OYE COMO DICE..."に収められたほぼ同時期のものよりも、構成がしっかりし演奏も引き締まった印象を受ける。アルセニオの力づよいトレスに導かれるように、いずれの曲もおそるべき完成度の高さを誇る。

 注目すべきは、トゥンバオ盤やPヴァイン盤には入っていなかったミゲリート・クニーマルセリーノ・ゲーラのデュエットが聞けることだろう。ミゲリート・クニーは、いうでもなく同楽団のトランペッター、フェリックス・チャポティーンと、アルセニオがアメリカへ旅立ったのちにキューバで鉄壁のコンフントをつくりあげた人物。マルセリーノ・ゲーラは、あのセプテート・ナシオナールの元メンバーで、1944年にニューヨーク移住後はマチートのアフロ・キューバン・オーケストラなどで活躍した。96年に死去するまでラテン音楽界の重鎮的存在だった。ピアノ、ボンゴ、トランペット、いずれも申し分ないが、とりわけ'COMO TRAIGO LA YUCA'でのアルセニオのソロは、かれのなかでもベスト3に入る出来映え。

 アルセニオのほかにも、セプテート・ナシオナールの元メンバーたちの伴奏でナシオナールのナンバーを歌ったミゲリート・バルデース、グァヒーラの大作曲家だが録音数がかぎられているニコ・サキート率いるコンフント・コンパイ・ガロ、セステート・アバネーロやコンフント・マタモロスなどのレアな音源など聴きどころ満載である。わからないのは、セプテート・ナシオナールは36年ごろの録音を最後に、58年に再結成されるまで20年以上も休止状態が続いたといわれているのになんでここに収められているの? まっ、演奏がいい(とくにトレスがスゴイ!)からよしとしよう。


(9.3.01)

※追記
"OYE COMO DICE..."のスペイン語のライナーノーツを見ていたら(読んでいたのではない!)、コンフントのデビューは1940年で、'COMO TRAIGO LA YUCA'は1942年録音のようだから、他の2曲も同年だろう。


(9.4.01)


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by Tatsushi Tsukahara