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Artist

FRANCO ET LE LE TP OK JAZZ

Title

MAKAMBO EZALI BOURREAU 1982/1984/1985


1982/1984/1985
Japanese Title 国内未発売
Date 1982/1984/1985
Label SONODISC CDS 6858(FR)
CD Release 1994
Rating ★★★★☆
Availability


Review

 2004年12月22日、アクセス数が10万件に達したのを記念して、ひさしぶりにフランコのアルバムをとりあげることにした。

 フランコの音楽はライバル、タブ・レイとの比較で、より“土着的”といわれることがある。「まさしくそのとおり」といいたいところだが、伝統音楽をそのまま素材に調理した音楽は意外と多くない。
 ブラザヴィルのレーベルGLENNから発売された"LE FOLKLORE DE CHEZ NOUS"『オラが民謡』(GLENN GM 312084)は、文字どおり伝統音楽またはこれをベースにしたオリジナル曲ばかりを集めた異色の編集盤(ただし、全12曲中、'12600 LETTRES''12600 LETTRES DEBAT' の2曲は除く)。多くはリンガラ語ではなく、おそらくフランコの出身部族の言語であるキコンゴ語で歌われていて、いつものO.K.ジャズ・サウンドとくらべるとかなり泥くさい。

 フランコは、'LUVUMBA NDOKI'"CESAR ABOYA YO/TONTON 1964/65" 参照)のように、民間伝承を借りて現代の政治や社会を諷刺するとき、伝統音楽を好んで援用した。しかし、フランコは民間伝承をたんに利用したのではなく、一般のコンゴ人同様、俗信・迷信を本気で信じていた。「呪術は近代化によって衰退する」としたマックス・ウェーバーの説とはうらはらに、西欧文化の急速な普及はかえって呪術をはびこらせると聞いたことがある。都市化の進展によって部族社会から切り離され規範を喪失したひとびとは、孤独と不安から猜疑心や嫉妬心を育み呪術に奔るというのだ。

 ネグロ・シュクセのギタリストであった実弟バヴォン・マリー・マリーの不幸な交通事故死は、バヴォンが人気と引き替えに魂を呪術師に捧げたせいとまことしやかにささやかれた。また、弟の人気を妬んだフランコが呪術師を使って呪い殺したといううわさも立ったという。

 『オラが民謡』にバヴォンの死後にフランコが発表した'KINISIONA' という曲がはいっている("1972/1973/1974" にも収録。"LIVE IN EUROPE" では'MONO MUNTU' として再録)。弟を失った悲しみを伝統音楽をモチーフにキコンゴ語のキンタンドゥ方言で切々と歌ったものだが、呪術に直接言及してはいないようだ。

 ところが、バヴォンの死から(13回忌ならぬ)14年も経った1984年に発表された'KIMPA KISANGA MENI' では、「呪術師の集会」のタイトルのとおり、弟の事故死は呪術のせいだと断定する。
 84年は、タブ・レイとのセッションを終え、'NON''TU VOIS?'(通称'MAMOU') などのヒット曲を連発して、コンゴ・ミュージックのゴッド・ファーザーとしての地位をいよいよ盤石のものとしていった円熟期にあたる。しかし、絶頂なればこそ、嫉妬と憎悪の標的となって、いつなんどきその地位から逐われるかとフランコ自身、疑心暗鬼にかかっていたことが、この曲発表の背景にあったように思えてならない。権力を持つとひとは疑い深くなるというが、フランコもおなじ心情だったのだろうか。

 余談だが、フランコは生涯に1度だけバヴォンの自作曲をとりあげている("GEORGETTE/INOUSSA"(AFRICAN/SONODISC CD 36572)収録)。'BAKOKA TE FIANCEE' と題されるその曲は、穏和で美しい表情をもった心温まるルンバ・コンゴレーズ。モノローグのようなフランコの淡々としたギター・ソロも聴きもの。録音は70年代なかばか。

 'KIMPA KISANGA MENI' は、伝統音楽をモチーフにした曲としてはO.K.ジャズ史上もっとも演奏時間が長く(10分5秒)、レコーディング時期としてはもっとも新しい。
 コーラスのシンプルなリフレインとフランコのヴォーカルとの掛け合いがおなじテンポで延々とつづくという構成は、この時期の典型的なフランコ作品(わたしが“ぼやき節”と名づけたスタイル)と基本的にはおなじ。しかし、'KIMPA KISANGA MENI' が“ぼやき節”を踏襲したとみるのはまちがいだろう。むしろ、晩年のフランコ作品にみられるシンプルなパターンの反復は、伝統音楽にならったものとみるべき。'KIMPA KISANGA MENI' こそ、このことが実感できる典型例だと思う。

 この'KIMPA KISANGA MENI' を含む本盤(『オラが民謡』にも収録)は、80年代のTPOKジャズを知るうえで見逃せない粒ぞろいの名演全5曲からなる。
 
 アルバム・タイトルになっている'MAKAMBO EZALI BOURREAU' は、フランコの作品で、'KIMPA KISANGA MENI' とおなじ84年発表のLPに収録。リード・ヴォーカルはマディル・システム。淡々とクールにつづられていくこの曲はマディルの代表曲のひとつとしてフランコ没後のO.K.ジャズによる91年の名ライヴ"LE T.P.OK JAZZ EN LIVE VOL.2" (A.P.L. APL26)(『全能のOKジャズ/スフィンクス・フェスティヴァル(後篇)』(グラン・サムライ PGS-45D))でも再演されている。
 
 残りの3曲はサム・マングワナとのコラボレーションと同時期の82年にリリースされたLPから。
 ヨーロッパ組の大番頭ジョスキー(キンシャサ組はシマロ)の手なる'NOSTALGIE' は、ハーモニーが美しく、いかにもジョスキーらしい端正なナンバー。リード・ヴォーカルはもちろんジョスキー。曲後半セベン・パートでの夢見心地の“たゆたい”は、かれの温厚な性格そのもの。

 マイナー調のギター・イントロが切なさを掻き立てる'TANTINE' は、ンテサ・ダリエンストの代表作のひとつ。ダリエンストの声にはジョスキーやマディルにはない哀感があって思わず胸を締めつけられる。セベン・パートでのつづれ織りのようなギター・アンサンブルも繊細ではかなく美しい。個人的には本盤ベスト・トラック。この曲は"THE BEST OF NTESA DALIENST VOL.II" にも収録されていた。

 ラストはもうひとりの看板ヴォーカル“ぺぺ”ことンドンベ・オペトゥムが書いた'MAWE'。ンドンベとコーラスとの執拗なコール・アンド・レスポンスのあと、クルクルと旋回するギター・アンサンブルがめまいを誘い、クライマックスは寄せては返す波のようなホーン・セクションの応酬。

 みてのとおり、本盤収録曲には、さしあたり欠点というものが見当たらない。あえてというなら、あまりに完成度が高いためにこの先の展開がみえてこないという点だろうか。入門者にはとくにおすすめしたいナイスなアルバムである。


(12.27.04)



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by Tatsushi Tsukahara