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Artist

GRAND MAITRE FRANCO ET SEIGNEUR ROCHEREAU

Title

LETTRE A MONSIEUR LE DIRECTEUR GENERAL


lettre a monsieur
Japanese Title 国内未発売
Date 1981 / 1983
Label SONODISC CDS 6857(FR)
CD Release 1994
Rating ★★★★☆
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Review

 サム・マングワナとの共演アルバム"COOPERATION" の成功で気をよくした在アビジャンのセネガル人プロデューサー、ダニエル・キュザックと、NYのレコード・ディーラー、ロジャー・フランシスが次に仕掛けたのは、ザイール音楽の三大スター、フランコ、タブ・レイ・ロシュローヴェルキスの共演アルバムをつくろうというものだった。

 それは、東宝の三船敏郎、日活の石原裕次郎、大映の勝新太郎、東映の中村錦之助が共演するようなもので、かぎりなく実現がむずかしい企画であった。しかし、70年にこの四大スターの共演で「待ち伏せ」という時代劇映画が作られているのだから(ただし錦之助は東映退社後)可能性がまったくないとはいいきれない。ただし、この種の映画、必ずといっていいほど出来は芳しくない。あちらの顔もこちらの顔も立てなくてはいけないので作品の焦点がぼやけてしまうのだ。「座頭市と用心棒」がいい例だ。

 「待ち伏せ」は、日本の映画産業が斜陽を迎えていたからこそ実現できた企画であった。だけどこの時期、ザイール音楽は絶好調。キュザックの願いもむなしく、ヴェルキスが固辞したことで結局、この企画は実現しなかった。なんでもヴェルキスは「まだ心の準備ができていない」と答えたそうだ。考えてもみれば、いまやプロデューサーとしても実業家としても大成功をおさめていたヴェルキスとはいえ、フランコとロシュローが相手とあってはちと分が悪すぎる。新御三家でいえば、フランコが郷ひろみ、ロシュローが西城秀樹とすれば、ヴェルキスはしょせん野口五郎どまりだった。

 しかし、“グラン・メートル”フランコと“セニョール”ロシュローという二大スターの共演がかなっただけでも大収穫といわねばならない。当時、ヨーロッパにいたフランコについては再三述べてきているので、ここでロシュローにすこし目を向けてみることにしよう。

 73年にアフリカン・ジャズ・スキサを解消した「ギターの神様」ドクトゥール・ニコがかつての同僚ロシュロー率いるアフリザ・アンテルナショナルに参加したのは80年5月のこと。さらに、ステュワートの著書"RUMBA ON THE RIVER" によると、なんと!エウェンズのフランコ伝"CONGO COLOSSUS" では74年に死んだとされていたクァミーが同時期にアフリザに参加していたとある!しかし、この旧友復活劇もドクトゥール・ニコが翌81年に早くも脱退し、クァミーが死んだことでつかの間の夢と終わった。

 さすがにロシュローもこんなペイジ&プラントみたいなことをやってたんでは発展がないと思ったのか、方針を転換して81年末、ムビリア・ベル MBILIA MBOYO 'MBILIA BEL' という22歳の若い女性歌手兼ダンサーをパートナーに大抜擢した。ザイールの女性たちが抱える問題をキコンゴ語で歌にした'MPEVE YA LONGO' でいきなりヒットをとばすと、83年発売のムビリアをフィーチャーしたシングル'ESWI YO WAPI' は国内外で大ヒット。ムビリア・ベルを一躍スターダムへと押し上げた'ESWI YO WAPI' は83年のベスト・ソングに、アフリザはベスト・バンドに選ばれロシュローは第二の絶頂期をむかえていた。この人気を支えた功労者に、ギタリストですぐれたソングライターでもあったディノ・ヴァング Dino Vangu (フランコとマングワナの"COOPERATION"セッションにも参加)の存在も忘れてはならないだろう。

 フランコとロシュローとは、ンドンベとミシェリーノをめぐる78年のゴタゴタ騒動以来、完全な敵対関係にあるとされていただけにこの世紀の顔合わせはさぞ世間をあっといわせたにちがいない。レコーディングにはいる前に、キュザックとフランシスは、モブツ大統領を仲介人として二人が和解したことを宣言するセレモニーをテレビ中継させた。じっさいは二人はライヴァルではあっても世間が思っていたほど仲が悪いわけではなかったらしい。

 こうしてフランコが新たに起ち上げたCHOCレーベルの第1弾としてリリースされたダブル・アルバム"CHOC CHOC CHOC 1983" にちなんで、「パリCHOCセッション」と呼ばれる世紀のレコーディングがおこなわれた。バックはTPOKジャズとアフリザの混成部隊に、以前両バンドに在籍していた“ミシェリーノ”マヴァティク・ヴィシをゲストにむかえた編成でかためられた。ほかにもリコ・ジャズ解散後、15年間マヌ・ディバンゴと活動を共にしてきたギタリスト、ジェリー・マレカニ Jerry Malekani など、パリで活躍するおもだったザイール人ミュージシャンが参集したという。

 最新の機材を駆使し、ザイール音楽としては異例の3ヶ月のレコーディング期間を要したというサウンドは、ザイール音楽のエッセンスをとどめながらも、あきらかに世界市場を意識したと思えるようなモダンでダンサブルなビート感覚がとりいれられている。

 このダブル・アルバムは、各面1曲(13分39秒から17分12秒)構成。A面は'LETTRE A MONSIEUR LE DIRECTEUR GENERAL' 、B〜D面は'SUITE LETTRE NO.1 - 3' となっていて、すべてフランコ作品でしめられている。組曲仕立てのコンセプト・アルバムということになろうが、それぞれ独立して聴いてもじゅうぶんに楽しめる内容になっている。
 また、'SUITE LETTRE NO.2' にはロシュローが参加していない。これらからわかるとおり、「パリCHOCセッション」は終始フランコのイニシアチブでおこなわれた。
 他方、このレコーディングから数ヶ月後に、グラン・カレの死を悼んで二人がふたたび邂逅した"L'EVENEMENT"「最後のイベント」の意)は、ロシュローのレーベルGENIDIAからリリースされたように、こちらはロシュロー主導。

 さて、俗に'D.G.'と称される'LETTRE A MONSIEUR LE DIRECTEUR GENERAL' で、フランコはキンシャサで衰退していった企業の官僚主義者たちを痛烈に批判した。要は、ザイール経済破綻の責任は、モブツ大統領にではなく、その取り巻きどもにあるとフランコはいいたかったのであろう。こんなところにフランコの限界をみえてしまうのだが、こと音楽にかんしてはきわめて高いクオリティを誇る。
 CHOCレーベル第2弾として発売されたダブル・アルバム"FRANCO ET JOSKY KIAMBUKUTA DU T.P.O.K.JAZZ"FRANCO,JOSKY,MATALANZA DU T.P.OK JAZZ A PARIS 1983 / "MISSILE"(SONODISC CDS 6864)としてCD化)は、本盤のダンス路線をさらに推し進めたようなポップな仕上がりになっていて、これもミシェリーノとのコラボレーションによるところが大きいという。

 こんなアップビートの曲調も悪くないが、注目したいのはアコースティック・ギターでひさびさのボレーロ調に挑んだ'SUITE LETTRE NO.1' 。身体にまとわりつくような粘着質のフランコとロシュローのヴォーカルと、サラリとドライなギターとのコントラストがたまらない。それから間奏部にはいるフランコと思しきアコースティック・ギターのソロはたとえようのないほど繊細で力強く美しい。ザイール版「天国への階段」前半部だな。ロシュローの歌のうまさ、声の艶っぽさもハンパじゃないと思った。

 'SUITE LETTRE NO.1' のつぎに好きなのがつづく'SUITE LETTRE NO.2' 。ビートルズの'TWO OF US' のようなバスドラムがくり出すシンプルなビートにのせて、アコースティックなギターが清々しいアンサンブルを奏でる。ロシュローの参加がないぶん、湿り気が除去されて本当に気持ちいい。フランコは歌う。「オレが本心からキンシャサを抜け出したかったかと思うかい?バカなことをいうな。じっさい、いまオレたちはまたこうしてキンシャサで会おうといているではないか」。初夏のだれもいない草原でコロコロと転げ回ったときに感じる「至福」の瞬間を音で表現すればこうなります。

 'SUITE LETTRE NO.3' も同様に祝祭気分にあふれた軽快な曲調。ここでも澄みわたるコーラスに導かれ、フランコとロシュローのヴォーカルは快調そのもの。後半部セベンでのギター、ベース、ドラムス、パーカッション、サックスのコンビネーションも抜群。

 じつは本盤には、ロシュローとの"CHOC CHOC CHOC 1983"(92年にフランコの3回忌を記念して遺族のレーベルからCD復刻。ヴァケーションから国内配給)全曲ほかに、ボーナス・トラックとして81年にEDIPOPからリリースされた4部作"LE QUART DE SIECLE DE FRANCO DE MI AMOR ET LE T.P.O.K. JAZZ" からジョスキー作の'BIMANSHA' という12分におよぶナンバーが収録されている。


 "LE QUART DE SIECLE" は第3集までA面1曲構成になっていて、第1集がフランコの'NALINGAKA YO YO TE' 、第2集がダリエンストの'BINA NA NGAI NA RESPECT' 、そして第3集がこの曲というわけだ。それぞれがアルバムのメインを張るだけあってさすがに聴き応え十分。オーセンティックなTPOKジャズ・サウンドだ。

 みてきたように、巨匠(グラン・メートル)と閣下(セニョール)の共演という「両雄並び立たず」のたとえとは裏腹に、カドがとれポップでありながらそれぞれの個性がうまく発揮された中身の濃いアルバムに仕上がったということはある意味、奇跡だと思う。わたしはこのアルバムを後期フランコ・サウンドの始まりを告げるものと位置づけたい。


(12.18.03)



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by Tatsushi Tsukahara