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Artist

KING SUNNY ADE AND HIS AFRICAN BEATS

Title

JUJU MUSIC


ade juju music
Japanese Title ジュジュ・ミュージック
Date 1982
Label MANGO162-539 712-2(US)
CD Release 1989
Rating ★★★★★
Availability ◆◆◆◆


Review

 ワールド・ミュージック第1号は、1982年にマルタン・メソニエのプロデュースでISLAND傘下のレーベルMANGOからリリースされた本盤であるとされている。
 『ミュージック・マガジン』連載の湯浅学氏の名エッセイ「てなもんや三裸笠」の書き出しをマネすると、わたしはメソニエの手法にヴェトナム春巻を思い出す。外来音楽の影響を受けながら独自のエスニシティを保ちつつ発展を遂げた非西欧世界のポピュラー音楽にたいし、メソニエは最新のテクノロジーと方法論でもって加工を施し、エスニックなフレイヴァーただよう口当たりのいいおシャレなポップスに仕立て上げた。イトーヨーカドーのお総菜売場で“サラダ春巻”の名ですっかり定着したそれに「こんなのニセモノだ!」と思いながらも、それはそれで気に入っている自分がいるのだ。
 
 発売当時、アデの音楽は日本でもかなり注目され、大隈講堂でおこなわれた就職説明会に来た電通の社員が「サニー・アデぐらい知らないと‥‥」とかほざいているのを見て「こいつアホか」と思った。記憶は不確かだが、パルコかなにかのCMに起用されるぐらいアデは話題になっていたわけで、逆にいえば、高度大衆消費社会ということばが定着しはじめたこの時代に、アデはたんなる「記号」としてまたたくまに消費され忘れ去られていったといえる。
 MANGOからは、このあと同じメソニエのプロデュースで"SYNCHRO SYSTEM"(MANGO CCD 9737(US))"AURA"(MANGO/ISLAND 7D-10018(JP))がリリースされているが、本盤の衝撃度をこえることはついになかった。

 80年代はじめのポピュラー音楽シーンは、シンセなどのテクノロジーの普及によって、それまでのテクニック至上主義(その究極がフュージョンだった!)からアイディアに重きを置いた感性の時代になっていた。60〜70年代をリードしてきたロックが飽和状態に達したため、ニューウェーブと称されたひとたちはロック以外のジャンルに目をむけ、目新しいものをみつけるとちゃっかり拝借してくるのだった。元セックス・ピストルズのジョン・ライドン、元クラッシュのキース・レヴィン、それにジャー・ウーブルらが結成したPILや、元ポップ・グループのブルース・スミス、ネナ・チェリーらが結成したリップ・リグ&パニックなどがその典型といえる。
 
 そんな時代背景のもと、彗星のようにあらわれたアデの目新しさは格別だった。当時はレゲエがもたらしたダブ・サウンドの影響で、霧がかかったような重低音のモコモコした音づくりが一般的だっただけに、アフリカの空のようにカラッと音が抜けたライトなサウンドは好きとかキライ以前に出会ったことがない類のものだった。とくにハワイアンの古くさいイメージしかなかったスティール・ギターが使われていたのにはかなり衝撃を受けたのを覚えている。
 また、アンチ・テクニックの結果として当時のビートはどれも単調で反復的だったので、トーキング・ドラムをはじめとする大編成のパーカッション群が繰り出す変幻自在で大迫力のポリリズムにはとにかく圧倒された。
 
 ただ、なんだろうか。音に慣れてくるにしたがって、アデの音楽がワン・パターンの、耳に心地よいたんなるイージー・リスニングに聞こえるようになってきてしまい、アデがきっかけとなってアフリカのポピュラー音楽にはまるということはついになかった。いまにして思えば、ジュジュの奥深さがなんにもわかっていなかったし、本盤よりもシンセやテクノロジーをフル活用した"SYNCHRO SYSTEM"のほうがおもしろく感じられたのだからさもありなんというところだ。
 
 80年代の終わりごろ、サリフ・ケイタユッスー・ンドゥールの音楽が脚光を浴びたのを機に、アデ本人のレーベルATOM PARKから86年に現地リリースされた3枚のアルバムを音源として、ひさしぶりに世界リリースされたのが、"RETURN OF THE JUJU KING"(MERCURY 832 522-2(US))である。スピーディでキレはすばらしいが、サリフやユッスーの洗練されたサウンドにくらべるとシンセや打ちこみが安っぽいし、全体にサラリとし過ぎてしまって、アデはすでに過去のひととの印象を強くした。でも、いま聴くと、とくにトーキング・ドラムをフィーチャーしたアルバム後半部の迫力はなかなかのものです。かえすがえすシンセが惜しい。
 
 ようやく本盤を語るところまでたどりつくことができた。ギター、ベース、パーカッションからなるジュジュの基本編成に加えて、耳に飛び込んでくるのは、ジャズっぽいキーボードの伴奏。クレジットにはメソニエとアデとあるが、おそらくほとんどがメソニエによるものであろう。また、シンセの使い方には、フランス制作にふさわしくミュージック・コンクレートの影響がみられる。いま聴いてもかなり過激だ。
 ジュジュはどちらかというと循環的で、曲と曲のつなぎ目がわからないほど徐々に変化していくのがつねなのだが、ここには時間軸に沿ったはっきりした「展開」がある。したがって、1曲1曲がメドレー形式でなく分離している。5曲目の'MA JAIYE ONI' にいたっては、レゲエ的というかカリブ的なムード。すばらしいスティール・ギターのソロは、アフリカというよりもハワイ的な南国情緒にあふれている。久保田麻琴が作りそうなサウンドだと思った。
 
 本盤の目玉といえそうな'365 IS MY NUMBER/THE MESSAGE' は、ダブの手法を駆使したオルターナティブな、その意味でもっとも非ジュジュ的なナンバー。だがこの曲にこそ、プロデューサー、メソニエのねらいが凝縮されていると思う。メソニエはジュジュの素のままの姿を紹介したかったわけでも、ダンス・ミュージックを作りたかったわけでもなく、ヘヴィなレゲエとは異質のドラッグ・ミュージックを作りたかったんじゃないか。そして、アデはかれの期待にじゅうぶんに応えるものであったといえる。サリフ・ケイタの"SORO"がリリースから10年以上経過してずいぶん古くさく感じられるのに反して、20年の時をこえた現在も新鮮に聞こえるのは、“ワールド・ミュージック”のカテゴリーを超越した傑作だったからだと思う。 
 
 近作では"ODU"(MESA/ATLANTIC 92796(US))に続いて、欧米人アンドリュー・フランケルをプロデューサーをむかえて臨んだ2000年リリースのアメリカ録音"SEVEN DEGREES NORTH"(MESA 91100-2(US))が評判がいい。音質はクリアだし、演奏もむちゃくちゃうまい。洗練度も"RETURN〜"とは雲泥の差だ。しかし、これではエスニックなジャズ・ロックではないか。第一、合ってんだかズレてんだかわかんないようなアフリカ的なコーラスが魅力だったのに、ここでは見事なハーモニーを醸し出している。きまりすぎだぜ。なんたる予定調和の世界。サウンドはぜんぜんちがうが、質感がジャマイカのベテラン・ギタリスト、アーネスト・ラングリンがアフリカのミュージシャンらと作った"MODERN ANSWERS TO OLD PROBLEMS"(TELARC CD-83526(US))に似ていると思った。
 
 好みの問題であるが、アデを聴くなら、やはりMANGO時代以前の演奏がいい。そこでまずおすすめしたいのが、先ごろアメリカのレーベル、シャナキーからリリースされた"THE BEST OF THE CLASSIC YEARS"(SHANACHIE 66034(US))。これは、代表曲'SYNCHRO SYSTEM'のオリジナルをはじめ、アデがアフリカン・ビーツ結成前に率いていたグリーン・スポッツ・バンド(I. K. ダイロのブルー・スポッツをもじったもの)時代の貴重な音源をふくむおそらく70年代前半の録音をCDにまとめたもの。
 
 アデのライバル、エベネザ・オベイもそうだったが、70年代前半のジュジュでは代名詞というべきスティール・ギターが使われておらず、代わりにワウ・ペダルを多用したロックっぽいギターがフィーチャーされている。70年前後といえば、コンゴではラテン系音楽からつよい影響を受けたフランコやロシュローらの第2世代にたいして、ザイコ・ランガ・ランガら第3世代がロック・ギター・バンド編成で殴り込みをかけ、コンゴの音楽シーンに革命をもたらした時期である。ザイコ・ランガ・ランガとよく似て、この時代のアデの演奏には発展途上ならではのザクザクしたロック・スピリットが感じられる。また、'IBANUJE MON IWON'ではクラベスによるシンキージョ(キューバ音楽に多い5つ打ち)のパターンが聞かれ、アデの音楽のバックボーンにもラテン系音楽の要素が脈々と流れていることが確認できる。
 だが、目玉はなんといっても18分におよぶ'SYNCHRO SYSTEM'。長年慣れ親しんできたMANGO盤のそれは、メソニエの手により加工を施され似てもにつかぬ姿になった別の曲と考えたほうがいい。とくにウネるようなベースと内臓に響くようなトーキング・ドラムがやたらとかっこいい。ひたすらクールでグルーヴィ。ジュジュの最高傑作のひとつといっていいだろう。
 
 このほか、ナイジェリアでリリースされたLPを音源にCD6枚にまとめた〈KING SUNNY ADE CLASSICS〉というシリーズもチェックしておきたい。ナイジェリアのMASTER DISC(アデの個人レーベルか?)から発売されているこのシリーズのオリジナル発売年は、調べたところによると、VOL.1が86年と90年、VOL.2が74年と94年、VOL.3が88年と87年、VOL.4が75年と87年、VOL.5が92年と83年、VOL.6が87年と82年。いずれも前半部にはLP1枚分がまるごと収録され、残りのぶんをCD収録時間に合わせて別のLPからとってきた曲で埋め合わせるという構成になっている。

 わたしはこれらのうち "THE GOOD SHEPHERD AND THE CHILD: CLASSICS VOL.2"(MASTER DISC MDCD008(Nigeria))"MO TI MO AND DESTINY: CLASSICS VOL.4"(同 MDCD010)の2枚を持っている。この2枚は、アデが設立したレコード会社SUNNY ALADEの第1弾と第3弾として発売された"SUNNY ADE & HIS AFRICAN BEATS VOL.1""VOL.2"をメインに収録。ここでもスティール・ギターはまだないが、"BEST OF〜"の演奏にくらべて、ハイライフのセレスティーン・ウクウを思わせる肩の力が抜けたゆる〜い演奏がつづく。"CLASSICS VOL.2"では、ラテンの要素が随所に感じられるのに比して、"CLASSICS VOL.4"は、ラテン色は後退し、'APALA SYNCRO'が象徴するようにヨルバの伝統的なリズムとロックとの融合がより強く押し出されているようだ。いずれもナイジェリア音楽シーンの頂点にのぼりつめたアデの余裕さえ感じられる好演にちがいない。
 ちなみに"CLASSICS VOL.2"後半に収められた94年の曲はジュジュの面影はなく、カリブの香り漂う健康的なリンガラ。いっぽう"VOL.4"後半部は、ひところのワールド・ミュージックを思わせるダンサブルなジュジュで、スリリングなパーカッション・プレイは、それなりに聴かせるが70年代の演奏を聴いたあとでは少々分が悪い。


(4.4.03)


 この項を書いたすぐあとに、MANGOの3部作で一躍、時のひとになる真っ直中にナイジェリアのSUNNY ALADE RECORDSからリリースされた2枚のアルバムを音源とする"SYNCHRO SERIES"(INDIGE DISC ID0004(US))が発売された。1枚は82年(81年)の"GBE KINI OHUN DE""ARIYA SPECIAL"とも)、もう1枚は83年の"SYNCHRO SERIES"
 目玉はなんといっても後者だろう。アデ本人によるアルバムのあとがきによると、日頃のご愛顧への感謝の意味で制作したアルバムだそう。MANGOのアルバム"SYNCHRO SYSTEM"は、メソニエによってズタズタに加工されてしまったと思っていただけに、同盤収録の'SYNCHRO FEELINGS-ILAKO''SYNCHRO SYSTEM''SYNCHRO REPRISE' の別ヴァージョンが聴けるとあって期待に胸を膨らませていた。だが、じっさいはダブを使ったり、西洋的なビートを用いたりとMANGO盤とよく似たつくりにちょっとガッカリ。一部の熱狂的なアデ・ファンむけ。


(4.27.03)



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by Tatsushi Tsukahara

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