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Artist

DON AZPIAZU

Title

DON AZPIAZU



Japanese Title 国内未発売
Date 1930-1934?
Label HARLEQUIN HQ CD10(UK)
CD Release 1991
Rating ★★★★
Availability ◆◆◆◆


Review

 ラテン音楽を少しでもかじったことがあるひとなら、知らない者はまずいないモイセース・シモンが作った名曲「南京豆売り」'EL MANISERO'。1930年11月、アントニオ・マチーンをゲスト・ヴォーカルにむかえたドン・アスピアス楽団の演奏でヴィクターから発売されるや、たちまち全米で大ヒットし、翌年にはミリオン・セラーを記録した。ブームはヨーロッパにも飛び火し、レクォーナ・キューバン・ボーイズなどが大活躍した。

 日本でも、驚くべきことに1931年(昭和6年)に、日本のジャズのパイオニアのひとりである鉄仮面こと、作間毅が早くもリメイクしている(『リズムの変遷』(ビクター VICG 60229〜30)収録)。このことひとつをとってみても、「南京豆売り」が世界のポピュラー音楽に及ぼした衝撃がいかに大きかったかわかるだろう。

 ドン・アスピアス楽団の「南京豆売り」は、30年5月30日にニューヨークで録音されたが、じつはそれより早くキューバの歌姫リタ・モンタネールやトリオ・マタモロスの録音があったことは意外に知られていない("25 VERSIONES CLASICAS DE EL MANISERO"(TUMBAO TCD-801)などに収録)。しかし、歌と演奏の完成度の高さの点で、今日にいたるまで、この「南京豆売り」をこえる「南京豆売り」はないといっていい。
 わたしが、アスピアス楽団の「南京豆売り」をはじめて聴いたのは、中村とうよう氏の選曲・解説による『キューバ音楽入門』(オーディブックAB05)においてであったが、まだ古いキューバ音楽に慣れていなかった当時の耳に、この曲のなんと親しみやすく感じられたことか。

 このことは、裏を返せば、アスピアス楽団の「南京豆売り」は万人向けに薄められたキューバ音楽だったということであり、たとえばセプテート・ナシオナールとか、アルセニオ・ロドリゲスといったディープな音楽の魅力にふれてしまった耳にはどうしても食い足りなさが残る。というか、「南京豆売り」に象徴されるルンバといわれる海外向けに新しくつくられたジャンルの音楽そのもののが、このような傾向をはじめから身に帯びていたということだろう。

 キューバ中部のシエンフエゴスにあったバスク系の裕福な家庭に生まれたアスピアスは、アメリカの大学へ留学して帰国すると独立戦争の英雄の娘と結婚。大統領のつてでグァテマラ領事の地位を約束されたほどのエリートだった。しかし、好きな音楽の道をあきらめきれず、21年、アスピアス28歳のとき、ついにミュージシャンになった。29年、兄のアントバルの誘いで渡米、30年4月26日にニューヨークのパレス・シアターでおこなったコンサートがセンセーションをまき起こし、同年5月の「南京豆売り」ほかのレコーディングに繋がる。

 本盤は、このニューヨーク初録音から32年にヨーロッパへ演奏旅行へ旅立つまでの演奏を中心に全22曲収録。正直なところ、「南京豆売り」のみが飛び抜けてすばらしく、これに次ぐのは発売当初「南京豆売り」のB面にカップリングされた30年7月20日録音の「真実の愛」'AMOR SINCERO'ぐらいで、残りはとりたてて騒ぎたてるほどの内容ではない。

 アスピアス楽団は、基本的にダンソーン楽団だったから音が甘っちょろいし、白人のおぼっちゃまらしいこざっぱり感があって、聴いてるうちについあくびが出てしまう。キューバ出身ということをいっぽうで売りにしながら、意識はアメリカの中流階級以上の白人と同化してしまっているのだ。英語で歌っている曲も結構あって、'BE CAREFUL WITH THOSE EYES'などにいたってはバンジョーも入っていたりして、たんなるアメリカのジャズ系ポピュラー音楽ではないか。もちろん、ラテン風味がうまく生かされた'GREEN EYES'のようなロマンチックな好演もあるのだけど。

 いまは残念ながら廃盤だが、アスピアス楽団のほかに、兄のアントバル楽団、エンリーケ・ブリヨーンやナノ・ロドリーゴ楽団などのニューヨークで活躍したルンバに焦点を当てた『ルンバの神話 第2集』(オーディブック AB112)を持っていれば、わざわざ本盤を買う必要もないと思う。


(8.20.02)



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by Tatsushi Tsukahara