World > Latin America > Caribe > Cuba

Artist

THE LECUONA CUBAN BOYS

Title

VOLUME FOUR


lecuona 4
Japanese Title 国内未発売
Date 1932-1936
Label HARLEQUIN HQ CD10(UK)
CD Release 1991
Rating ★★★★
Availability ◆◆◆◆


Review

 史上初のワールド・ミュージック・ブームは、1930年代はじめ、ルンバと呼ばれたキューバ発のポピュラー音楽から生まれた。ブームの担い手は、北アメリカは「南京豆売り」を歌ったドン・アスピアス楽団(歌手はアントニオ・マチーン)、ヨーロッパはレクォーナ・キューバン・ボーイズが中心だった。

 ここでいうルンバとは、キューバ本国で本来そう呼ばれていたものとは似ても似つかぬシロモノだった。キューバのルンバは、パーカッションとヴォーカルだけで行われる黒人起源のかなり土臭いダンス音楽。グァグァンコーやヤンブーなどは、このルンバの系統である。
 これにたいして、ポピュラー音楽としてのルンバは、キューバでソンと呼ばれる音楽を外国むけに言い換えたにすぎないといわれている。そうではなくて、白人たちが作った偽アフロ音楽に黒人らしさをイメージさせるルンバの呼び名を借用したのだとも。

 どっちにしても、ここに紹介するレクォーナ・キューバン・ボーイズ(以下LCB)が全世界のポピュラー音楽に与えた影響力は絶大であったことは紛れもない事実。その余波は第2次大戦前後にはアフリカにも波及し、フランコらによるルンバ・コンゴレーズ(欧米ではスークース、日本ではリンガラ音楽ともいわれる)誕生のきっかけになったといわれている。

 また、日本でも、たとえば服部良一が昭和12年に作った「小鳥売の歌」は、フルートとミュート・トランペットが奏でるおしゃれなラテン・リズムといい、松平晃の甘い歌声といい、タイトルの元になったであろう「南京豆売り」のドン・アスピアスより、LCBからの影響のほうがつよく感じられる。二葉あき子が歌った戦後の名曲「バラのルムバ」にしても、流れるように華麗な旋律とリズムは、なるほどLCBっぽい。(服部良一『僕の音楽人生』

 レクォーナ・キューバン・ボーイズは、キューバを代表する白人作曲家エルネスト・レクォーナにちなんで命名された。ピアニストでもあったレクォーナが、自分のコンサートでダンス音楽を演奏させるために、オルケスタ・エンカントというバンドのメンバーをオルケスタ・レクォーナと名のらせて、キューバ国内のツアーに同行したのがそもそものはじまりであった。

 1932年のはじめに、レクォーナは、スペインとフランスへコンサート・ツアーへ出かけた。数ヶ月後、レクォーナからお呼びがかかって、かれらはスペインへやってきた。スペインでのコンサートは大成功し、初コンサートからわずか3週間後の1932年10月31日と翌11月1日に、はじめてのヨーロッパ録音をおこなっている。

 本盤には、まだレクォーナ・キューバン・ボーイズと名のる前の、“エルネスト・レクォーナとかれのオルケスタ・クバーナ”名義でおこなった、このときの貴重な録音10曲が収録されている。レクォーナの作品を中心としたこれらの録音には、レクォーナ本人は演奏に参加しておらず、アルマンド・オレフィチェ(p)、エルネスト・バスケス(tp,g)、ゲラルド・ブルゲーラ(reeds)ら、おもだった顔ぶれがみられることから、事実上、レクォーナ・キューバン・ボーイズの演奏といってよい。

 この録音をはじめて耳にしたとき、驚いたのは、想像していた以上に、緻密に編曲が施されていて、しかも演奏がしっかりしているということ。全編つうじて聴くと、キューバの伝統音楽をエッセンスとして盛り込んだ組曲といったおもむきで、音楽監督としてのレクォーナの面目躍如といったところだ。だが、同時に、のちのLCBにはないキューバ的な土臭い濃密さも断片的にかいま見えたりもする。たとえば、セプテート・ナシオナールのイグナシオ・ピニェイロが作曲した'LA CACHIMBA DE SAN JUAN'セステート・アバネーロの名演で知られるスタンダード「ベレンの丘」'A LA LOMA DE BELEN' は、結構ソンの基本形に忠実な演奏だ。ただし、オペラ的に声を張り上げる女性ヴォーカルの曲だけはいただけない。

 後半の10曲は、1935年3月から翌年4月のパリ・セッションを収録。33年12月にレクォーナが体調を崩してヨーロッパを去ったのちも、かれらは同地にとどまって演奏活動をつづけた。そして、34年、レクォーナ・キューバン・ボーイズを名のるようになったかれらは、イギリスとパリでレコーディングをおこない、これをきっかけにヨーロッパ中にルンバ・ブームが巻き起こる。

 パリのムーランルージュの前支配人に認められ、かれのマネージメントでヨーロッパ各地をツアーしていた、LCB絶頂期の演奏だけに、アルマンド・オレフィチェを中心に、こざっぱりとまとまったLCBサウンドを楽しむことができる。かれらの最大ヒット曲「アマポーラ」'AMAPOLA' をはじめ、プエルト・リコのラファエル・エルナンデスが作曲し戦前の日本人にも広く親しまれた「ルンバ・タンバ」'RUMBA TAMBAH'、エルネストの姪マルガリータ・レクォーナが作曲した「タブー」'TABOU'、オレフィチェによるかれらの代表曲「青のルンバ」'RUMBA AZUL' などのヒット曲が、ヨーロッパナイズされた、華麗なアンサンブルと異国情緒にのせて淡々と綴られていく。

 しかし、アルセニオ・ロドリゲスら、濃厚なキューバ音楽を知ってしまった耳には、薄っぺらに感じられてしまうのはやむをえまい。わたしはLCBサウンドそのものよりも、1930年代、このサウンドが世界中の人たちを魅了し、多くのエピゴーネンを生んだ事実にこそ興味がある。

 ハーレクィンからのLCBのシリーズは、現在、第9集までリリースされているが、よほどのマニアでないかぎり、ヨーロッパ録音を収めた5集までのなかから1、2枚もっていれば十分だと思う。


(4.17.02)


back_ibdex

前の画面に戻る

by Tatsushi Tsukahara