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Artist

CHEO MARQUETTI Y SU CONJUNTO

Title

REGION MATANCERA


marquetti tcd
Japanese Title 国内未発売
Date 1955-1957
Label TUMBAO TCD-107(EP)
CD Release 2001
Rating ★★★★☆
Availability ◆◆◆


Review

 グァヒーラという音楽は、もともとキューバ内陸部に住んでいた貧しい白人農民(グァヒーロ)の民謡だった。スペインに起源を持つ“デシマ”'decima' といわれる韻を押さえた十行詩で田舎の生活などを歌にしていた。音楽的にもスペイン音楽そのままに4分の3拍子と8分の6拍子の組み合わせから成っていて、マイナー調の旋律が強烈な哀感を呼び起こす。

 1930年代、ギジェルモ・ポルタバーレスによってグァヒーラのポピュラー音楽化がはじまり、50年ごろにはソンと融合した4分の4拍子のダンス音楽までグァヒーラと呼ばれるようになっていた。この「堕落した」グァヒーラの最右翼にいたのがチェオ・マルケッティである。

 チェオが得意としていた“グァヒーラ・ソン”または“ソン・グァヒーラ”は、グァヒーラのヴァリエーションというよりグァヒーラの哀愁味をとりいれたソンである。そのさきがけはセプテート・ナシオナールのイグナシオ・ピニェイロが書いた'ALMA GUAJIRA''LEJANA CAMPINA''CANTA LA VUELTABAJERA' あたりだろう(『セプテート・ナシオナール・デ・イグナシオ・ピニェイロ』(Pヴァイン PCD-2147)収録)。

 ホセ“チェオ”マルケッティは1909年生まれ。30年代はじめには、チェオ・ベレン・プイグやエルネスト・ムニョーツのダンソン系楽団で歌手をつとめた。1940年、トレス奏者マヌエル“モゾ”ボルゲーラが30年代はじめに結成したセプテート・カウトに参加。
 カウトは名門セプテート・ナシオナールの歌手だったアルフレディト・バルデースとビエンヴェニード・レオーンが在籍し、若き日のベニー・モレーが腕を磨いたという伝説的なソンのグループ。

 2002年に、チェオとアルフレディトがリード・ヴォーカルをつとめた時代の(セカンド・ヴォーカルはともに名手ビエンヴェニード)レアな音源が SEPTETO CAUTO "CONGO SE DIVIERTE"(TUMBAO TCD-113)としてはじめてCD復刻された。
 このなかの1曲'A MI PATRIA' は“グァヒーラ・ソン”とあり、この時代から“グァヒーラ・ソン”はすでにかれの十八番(おはこ)だったようだ。ちなみに、本盤唯一のチェオ自作曲'EFI EMBEMORO' は、レコード化された最初の“アフロ・ナニーゴ”Afro-Nanigo'らしい(それにしても「ナニーゴってナニーゴ?」とクソギャグ)。キューバ音楽ファンなら必聴のアルバム。

 カウトをやめたあともファセンダやアバネーロなどのソンのグループを渡り歩き、またみずからはセプテート・アトゥエイを率いた。しかし、ミュージシャン仲間の評価が高かったわりには、一般大衆の人気はいまひとつだったという。そこでチェオは決意してメキシコへ渡り、そこで数年間活動するも満足できるような成功は収められなかった。

 53年に帰国すると、アバネーロとナシオナールの2つの名門楽団に在籍したアベラルド・バローソを歌手に迎えたチャランガの楽団、オルケスタ・センサシオンに参加。この楽団でチェオがうたった'GUAJIRAS DE HOY' は、“グァヒーラ・チャチャチャ”というチャチャチャ・ブームに便乗しためずらしい音楽スタイル。

 このあと、ミゲリート・クニーレネ・アルバレスといったアルセニオ直系のソネーロたちがいたチャポティーンのエストレージャスに参加。プチート原盤によるCD"CHAPPOTTIN Y SUS ESTRELLAS"(ANTILLA CD-594)には、全12曲中、チェオ自作のグァヒーラ・ソン'AMOR VERDADERO' をはじめ、'ORIENTE'(グァヒーラ・ソン)、'ERES MI TORMENTO'(ボレーロ)、'TRASNOCHANDO'(ボレーロ)、'JOVENES DEL MUELLE'(グァグァンコー)の5曲でうたっている。聴いたかぎりでは、'ERES MI TORMENTO' でアルバレスとのデュエットがあるのみで、クニーとの共演曲は残念ながら確認できなかった。このほかにも、チャポティーン楽団での共演が縁でレネ・アルバレスのチャランガ楽団、ロマンス・ムシカルのレコーディングにも参加している。

 トゥンバオ盤の解説によると、そんなディープなソネーロたちとの交流が刺激になって、55年に自己のコンフント結成につながったとされる。しかし、わたしには前記チャポティーンのアルバム発売がどんなにさかのぼっても55年よりあと、50年代後半のような気がしてならない。本盤にある55〜57年録音の記載が本当なら、チャポティーン楽団へはそのあとか、せめて同時並行してに参加したとみるべきと思う。

 本盤は、“チェオ・マルケッティとかれのコンフント”の名義で50年代後半に吹き込まれたパナルト音源を中心とする全21曲構成。グァヒーラ・ソン、ソン、ソン・モントゥーノ、グァラーチャ・モントゥーノを中心に、世間に媚びないヘヴィで骨太な歌と演奏でグイグイと押しまくる。チェオは、けっして器用なタイプではないが小細工を使わないストレートな歌い方には“男の哀愁”があって味わい深い。
 たとえていえば「おやじの海」の村木賢吉。白フンドシをきりりと締めて玄界灘の荒波に立ち向かう益荒男(ますらお)の猛々しさと哀しさだ。グァヒーラ・ソンとは民謡ロックと知れ。

 チェオ自作の7曲に次いで、バルフリード・ゲバラ Walfrido Guevara の作品が6曲と、2人で全体の3分の2近くをしめる。ゲバラはサンティアーゴ・デ・クーバ出身のソングライター。カンシォーン、ボレーロからソン・モントゥーノまでこなした才人で、スペインのヴァージンから、ゲバラ本人のほか、チェオ、ベニー・モレーロス・コンパドレスオルケスタ・リバーサイドニーニョ・リベーラ、ロベルト・ファスらの演奏を収めた作品集"LA MUSICA DE WALFRIDO GUEVARA"(VIRGIN/YERBA BUENA 850821-2)が発売されている。

 こんな話をしてくると、ゆったりした大人のムードの曲ばかりを想像したくなろうが、ゲバラ作のソン・モントゥーノ'APRIETALA EN EL RINCON' を筆頭に、ハイテンポで陽気な曲調のものが意外と多く含まれている。この祝祭感覚はチャポティーン楽団のそれに近い。そのほか、表題曲になっている強靱なグァヒーラ・ソン'REGION MATANCERA'、泣きのグァヒーラ'LA REINA DEL CARIBE'、チャポティーン・マナーのグァヒーラ・チャチャチャ'BAILA AHORA'、コンフント・カシーノのアグスティン・リボー作の格調高いソン・モントゥーノ'SONERO' など、捨て曲なしの充実した内容。

 チェオのリーダー名義のCDは、さらにもう1枚、本盤の前年にスペインのヴァージンから発売された"EL REY DEL RITMO"(VIRGIN/YERBA BUENA 850819-2)がある。全18曲中、トゥンバオ盤とは10曲重複。録音年は50年代末とあり、こちらはわたしの説に近い。
 トゥンバオ盤未収録の8曲のうち、4曲がビッグ・バンドをバックに歌っており、中村とうようさんによると“ペルチーン”ペドロ・フスティスのオルケスタとのこと。また、チャランガ・スタイルのアフロ2曲はオルケスタ・センサシオン、'ORIENTE' は前述の"CHAPPOTTIN Y SUS ESTRELLAS" から。残る1曲はコンフントによるゲバラ作の濃厚なソン・モントゥーノ(なかでもピアノがすばらしい)。まとまりではトゥンバオ盤、ヴァリエーションの豊富さではヴァージン盤に軍配といったところか。

 このように50年代、クオリティの高い作品を生み出してきたチェオであったが、またしてもヒットに恵まれなかった。失意のうちに国を出てパナマへ向かう。帰国後、再起を図るも日は二度と昇らなかった。67年3月没。享年58歳。


(3.19.05)



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by Tatsushi Tsukahara