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Artist

MACHITO AND HIS AFRO-CUBANS

Title

GUAMPAMPIRO
CANTAN: MIGUELITO VALDES - GRACIELA - MACHITO


guampampiro
Japanese Title 国内未発売
Date 1945 - 1947
Label TUMBAO TCD-089(EP)
CD Release 1997
Rating ★★★★☆
Availability ◆◆◆


Review

 アフロ・キューバン・ジャズは、平たくいうと、キューバに伝わるアフリカ起源の楽器や民俗音楽の要素をジャズのフォーマットに取り込んだもの。つまり“アフロ・キューバン”は枝葉であり、幹はあくまで“ジャズ”ということになる。しかし、もとをたどればジャズもアフリカ起源だし、ジャズ揺籃の地といわれるニューオリンズはカリブ音楽圏だった。たとえば、20、30年代に活躍したジャズ・ピアニスト、“ジェリー・ロール”モートン 'Jelly Roll' Mortonの音楽には、ハバネーラ風のリズムとフレーズが使われた演奏がいくつかある(『大衆音楽の真実 II』(オーディブック AB52)参照)。

 これとは別に、キューバでは1920〜30年代、オルケスタ・エルマーノス・パラウ Orquesta Hermanos Palau、オルケスタ・エルマーノス・カストロ Orquesta Hermanos Castro、オルケスタ・チェピン・チョーベン Orquesta Chepin-Chovenオルケスタ・カシーノ・デ・ラ・プラーヤ Orquesta Casino de la Playa など、ジャズのビッグ・バンドの編成や演奏スタイルに影響された“ジャズバンド”と称される楽団がいくつも誕生した。かれらはジャズの手法を模倣すると同時に、ボンゴやマラカスのようなローカルな打楽器を入れて、“らしさ”を出すことも忘れていなかった。しかし、かれらの演奏を聴くと“アフロ・キューバン・ジャズ”というより、“ジャズの影響を受けたキューバ音楽”という印象を受けてしまう。
 もっとも、“アフロ・キューバン・ジャズ”の名称が使われるようになったのは40年代から。正確には、マチートとアフロ・キューバンズが43年に発表したマリオ・バウサの作品'TANGA' が最初とされるから「さもありなん」である。

 ところで、アフロ・キューバンズのトランペット奏者で音楽監督だったマリオ・バウサ Mario Bauza は、マチートの古くからの親友で義理の弟にあたる。クラシックの音楽教育を受け、ハバナ・フィルハーモニー管弦楽団でクラリネットを演奏していたが、1930年、マチートよりひと足早く19歳でNYへ渡った。30年といえば、ドン・アスピアス Don Azpiazu 楽団がアントニオ・マチーン Antonio Machin の歌で発表した'EL MANICERO'「南京豆売り」が大ヒットして世界中にルンバ・ブームが巻き起こった年。マリオはNYで腕のいいトランペット奏者が不足していると聞くと、以前すこしかじったことがあったトランペットに転向した。

 当時、ポピュラー音楽の世界では、正規の音楽教育を受けたプレイヤーがめずらしかったことからマリオは重宝がられ、33年から38年まで、伝説のジャズ・ドラマー、チック・ウェブ Chick Webb のビッグ・バンドでトランペッター兼音楽監督をつとめた。その後、ドン・レッドマン Don Redman やキャブ・キャロウェイ Cab Calloway といった名だたるジャズ・バンドに在籍した。キャブ・キャロウェイ楽団の同僚にディジー・ガレスピー Dizzy Gillespie がいて、ガレスピーはマリオをつうじてキューバ音楽の虜となっていった。大戦後、キューバップの原動力となったトゥンバドーラ奏者チャノ・ポソ Chano Pozo をガレスピーに引き合わせたのもマリオである。

 いっぽう、マリオより1歳下の1912年生まれのマチートがNYへ来たのは37年。クァルテート・カネイ Cuarteto Caney(TCD-005TCD-038)など、NYの人気ラテン系音楽グループで歌っていたマチートは、39年(38年とも)、親友マリオと新しくオープンしたナイトクラブ“ラ・コンガ”でアフロ・キューバンズの旗揚げすることになった。ところが、当夜、不幸にも照明装置の不備から出演は急きょ取り止めに。デビュー時のつまずきがたたったのか、クラブから契約の解除を申し渡され、楽団はあえなく解散してしまった。いつの日にか再起を夢見ながら、マチートはザビア・クガート Xavier Cugat の楽団へ(TCD-002)、マリオはキャブ・キャロウェイの楽団へ身を寄せた。

 40年12月20日、悲願だったアフロ・キューバンズの再結成公演がおなじ“ラ・コンガ”でおこなわれた。翌年にはデッカへデビュー・レコーディング、42年にはおなじくデッカでミゲリート・バルデース Miguelito Valdes のバック・バンドとしてレコーディング・セッションに参加(TCD-008)するなど、順風満帆の滑り出しだった。
 ところが、43年、バンド・リーダーのマチートがアメリカ軍に徴兵。マチートの妹のグラシエラ Graciela がキューバから合流し、マリオを中心にバンド・リーダーの留守を守った。同年中に負傷で名誉除隊したマチートが復帰。そして、記念碑的作品'TANGA' が日の目を見た。

 しかし、アフロ・キューバン・ジャズが広く大衆に受け容れられたのは第2次大戦後のこと。このころ、NYではチャーリー・パーカー Chalie Parker、ディジー・ガレスピーを中心にビ・バップ・ムーヴメントが盛り上がっていた。バードも、ガレスピーもラテン系音楽が好きだったこともあり、ジャズとキューバ音楽の距離はこれまでになく近くなった。バードがマチート楽団と共演した'AFRO-CUBAN SUITE'「アフロ・キューバン組曲」や、ガレスピーとチャノ・ポソとのコラボレーションによる“キューバップ”はその成果といえよう。

 しかし、“アフロ・キューバン・ジャズ”の決定盤は、ノーマン・グランツ Norman Granz のプロデュースで48年と49年にレコーディングされたアフロ・キューバンズのセッションであろう。このころ、マンボ・ブームが起こって、かれらも乗り遅れじとマンボをとりいれている。

 じつのところ、これらはあまりわたしの好みとはいえない。演奏力はずば抜けているが音がハード・エッジで構築的すぎる。キューバ音楽の醍醐味といえる芳潤さが薄らいで、冒頭に述べたようにストイックなジャズになってしまっていると思うのだ。マチートも、妹のグラシエラも最高の歌い手だと思うのに、演奏が前面に出て歌が完全に後退してしまっている。

 だから、歌が演奏をリードし、キューバ音楽がジャズを凌駕していたほとんど最後の時期に思えた本盤をあえて選んだ。ビ・バップやマンボの洗礼を浴びる前夜の45年から47年までのレコーディングで22曲すべて歌入り。これらのうち、マチートが9曲、グラシエラが7曲、ミゲリート・バルデースが6曲でリード・ヴォーカルをとる。音楽スタイルは、グァラーチャが群を抜いて多く、これに次ぐのがルンバ、ソン、アフロなど。さすがに“アフロ・キューバン・ジャズ”だけあって、同時代のキューバのビッグバンドとくらべると、演奏の切れ味が鋭く立体的な構成だ。

 ところで、キューバ音楽は、トップとセカンドの二重唱のスタイルをとるのが一般的だった。トリオ・マタモロス Trio Matamoros がそのいい例。マチートはバリトンに近い太いテノールだったから、クァルテート・カネイなどではセカンドを任せられることが多かった。しかし、甘さや繊細さよりも力強さを身上としていたアフロ・キューバンズには、かれの野太くストレートなヴォーカルはうってつけだった。ミゲリートと相性が良かったのもおなじ理由によるだろう。

 ミゲリートは十八番のアフロを中心に、野性味あふれるすばらしい歌声を披露してくれている。どれも最高だが、なかでもマリアーノ・メルセロン Mariano Merceron 作のアフロ'TIERRA VA TEMBLA' での芝居気たっぷりの変幻自在な歌いっぷりはまさに独壇場。ミゲリートのなかでも名唱のひとつに数えられるだろう。

 そして、マチートとミゲリートに負けず劣らず、グラシエラのヴォーカルがこれまたいい。ラテン系ならではのおちゃめで陽気でクラクラくるようなお色気にあふれていて、ストイックな印象のサウンド世界に和らぎを与える“花”の役目を十二分に果たしている。グラシエラがいなかったら、もっと息苦しくなっていたにちがいない。

 じつはここまでにふれた楽曲は、本盤収録曲を除けば、41年のデビューから51年までの演奏73曲を収録した2002年発売のお徳用4CDボックス・セット"RITMO CALIENTE"(PROPER PROPERBOX 48/P1289-1292にほとんど網羅されている(ただし'TANGA' は51年録音)。

 グランツ・プロデュースの48、49年の音源はグランツがのちに設立したレーベル、パブロから2枚組LP、MACHITO AND HIS AFRO-CUBAN SALSEROS "MUCHO MACHO"としてまとめられ、91年にはCD発売されていた(PABLO PACD-2625-712-2)。一般的にはマチートの最高傑作とされるこのアルバムも、Amazon.co.jp を覗いてみたらいつのまにか入手不可になっていた。
 "RITMO CALIENTE" には、このパブロ盤全24曲のうち16曲が収録されており、またトゥンバオ盤の"TREMENDO CUMBAN"(TCD-004)"CUBOP CITY"(TCD-012)"CARAMBOLA"(TCD-024)、中村とうようさん選曲によるデッカ音源盤『アフロビートの真髄/マチートとミゲリート』(ユニバーサルビクター MVCE24123)などにあった曲もかなりはいっているので、これからマチートをというひとにはまずおすすめしたい。これだけのヴォリュームで約3千円というのは安すぎ。

 ただし難点は、41、42年のデッカ録音のあと、47年にチャノ・ポソと共演したセッション(CHANO POZO & ARSENIO RODRIGUEZ "LEGENDARY SESSIONS"(TUMBAO TCD-017)にも収録)までの約4年間の音源がなぜかまったく収録されていないこと。本盤は、ハーレクィンの"BAILA BAILA BAILA: 1943-1948"(HARLEQUIN HQCD139)とともに、この空白の期間を埋めるものであると同時に、大多数が本盤でしかCD復刻されていないレア音源であることからして、きわめて価値のあるアルバムといえるだろう。


(4.17.05)



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by Tatsushi Tsukahara