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Artist

XAVIER CUGAT AND HIS ORCHESTRA

Title

XAVIER CUGAT AND HIS ORCHESTRA 1940 - 1942
FEATURING MIGUELITO VALDES - MACHITO - TITO RODRIGUEZ


xavier002
Japanese Title 国内未発売
Date 1940 - 1942
Label TUMBAO TCD-002 (EP)
CD Release 1991
Rating ★★★★
Availability ◆◆◆


Review

 知名度が高いわりに、キューバ音楽ファンからいかにも人気がなさそうなのがザビア・クガート Xavier Cugart。

 クガートは、1900年、スペイン生まれ。かれが3歳のとき、家族とともにハバナへ移住。6歳からヴァイオリンを習い、12歳のときにはハバナ国立劇場楽団で第1ヴァイオリンを任された。このころ、ハバナ公演に来ていたイタリア人テノール歌手のエンリコ・カルーソ Enrico Caruso と出会い、かれのすすめでクガート少年はNYへ出る。20代はじめでベルリン留学を果たしカーネギー・ホールでコンサートを開くまでになったが、1920年代半ば、クラシックのヴァイオリン奏者になる夢を断念、ポピュラー音楽をはじめるようになった。

 その後、ロサンゼルスへ移ると、マンガの才能を見込まれロサンゼルス・タイムズの依頼でハリウッド・スターの公認の似顔絵描きになる。あるとき、売り出し中のメキシコ系女優の似顔絵を描くことになった。彼女にはおなじく女優で歌を勉強中だったカルメン・カスティージョ Carmen Castillo という双子の姉妹がいた。のちに2番目の妻となるカルメンとの出会いによって、かれはふたたび音楽の世界へ飛び込むことになった。27年、当時めずらしかったラテン系音楽専門のバンドを結成。これが大いに当たった。
 しかし、ラテン系音楽といっても、おもなレパートリーはタンゴ。キューバ音楽が北アメリカではじめて受け容れられたのは、ドン・アスピアス楽団が「南京豆売り」を大ヒットさせた30年からである。

 30年代になってふたたびNYへ戻ると、一流のウォルドルフ・アストリア・ホテルに出演。耳以上に目に訴えるショーマンシップに徹したステージが大いに受けて、32年から47年までの15年間、専属バンドを務めた。

 クガートは、みずからポピュラー音楽を演奏するようになるまで、ポピュラー音楽とは縁のない生活をしてきたそうだ。葉加瀬太郎とおなじく根っこがないから、どんなタイプの音楽にも順応できた反面、表層的になってしまうのも当然といえば当然。だから、ラテン・アメリカ系音楽を少しでも聞きかじった者の耳には、かれの音楽はラテン風味のお上品なイージー・リスニングにしか聞こえず物足りないと感じてしまうのもやむをえまい。

 だからといって、マーティン・デニーやレス・バクスターのような完全なマガイモノとまではいかず、本格的なラテン系音楽の味わいも忘れなかった。40年、カシーノ・デ・ラ・プラーヤを辞めてキューバからNYへやって来たばかりのミゲリート・バルデースを専属歌手に迎えたのがその好例。ミゲリートは42年まで約3年間在籍した。かれの後任はティト・ロドリゲスで、ほかにもマチート、ボビー・カポ、アルフレディト・バルデースといったキューバやプエルト・リコ出身のトップクラスの歌手たちが起用された。

 クガートのCDは、英国のレーベル、ハーレクィンからかなりの枚数がリリースされているが、わたしが持っているのはトゥンバオ盤の2枚きり。なぜなら、お目当てはクガートではなくミゲリートだから。本盤の9曲と"RUMBQ RUMBERO"(TUMBAO TCD-023)の13曲で、クガート楽団専属歌手時代のミゲリートの歌はすべて出揃うとある(中村とうようさんによれば、じっさいは27曲前後あるようだ)。

 ミゲリートといえば「ミスター・ババルー」。かれがこう呼ばれるようになったのは、41年にクガート楽団をバックに吹き込んだ'BABALU' の大ヒットがきっかけだった。'BABALU' は、38年(39年とも)にカシーノ・デ・ラ・プラーヤとしてレコーディングしたのが最初で、これが2度目の録音だった。'BABALU' という曲自体が、キューバを代表する作曲家エルネスト・レクォーナの姪に当たる白人の上流婦人マルガリータ・レクォーナが作った“偽アフロ音楽”であり、歌うミゲリートも白人系であったという虚構の上に、クガートはさらにエクゾティシズムの色をベタベタに塗りこめた。
 しかし、これこそ、わたしが子どものころイメージしていたアフリカの音楽そのもの。もっというなら富田勲が音楽を担当した「ジャングル大帝」。ミゲリートがクガート楽団をバックに歌った'BABALU' が、めぐりめぐって「ジャングル大帝」としてはるか極東に住む幼い少年の心にしっかり刻み込まれていたとはなんとも感慨深い。

 ところで、中村とうようさんが66年に本人から確認したところによると、その時点でミゲリートは'BABALU' を都合7回レコーディングしていた。その後もすくなくとも3度はレコーディングしたらしい。これらのうち、わたしが持っているのはつぎの5種である。

(1) RCAビクター(デ・ラ・プラーヤ)、(2) コロンビア(クガート楽団)、(3) デッカ(自己の楽団)、(4) ミュジクラフト(自己の楽団)、(5) シーコ(ノロ・モラーレス楽団)。CDでいうと、(1) は ORQUESTA CASINO DE LA PLAYA "MEMORIES OF CUBA"(TUMBAO TCD-003)ほか、(2) は本盤、(3) と(5) はMIGUELITO VALDES "MR BABALU" WITH NORO MORALES(TUMBAO TCD-025)ほか、(4) はミゲリート・バルデース『アフロ・キューバンの魔術師』(RICE ASR-426)に収録。

 なかでもベストは、『アフロ・キューバンの真髄 マチートとミゲリート』(ユニバーサルビクター MVCE24123)にも収録されていた (3) だと思う。同盤添付のデータによると51年9月4日NY録音とある。ところが、これと同一テイクがTUMBAO TCD-025 では、録音年と場所こそおなじだがバック・バンドはミゲリート本人の楽団ではなく、ノロ・モラーレス楽団とあるのだ。TCD-025 にもう1曲ある'BABALU' のほうは、ミゲリートの楽団で49年NY録音とあり、音のキレの点でノロ・モラーレス楽団とあるヴァージョンに及ばない。

 この矛盾をどう解釈すべきか、相当悩んだ。その結果、はなはだ心許ないが導きだした結論がこうだ。

 『アフロ・キューバンの真髄』収録の'BABALU' がデッカ音源であるのは動かしがたく、データの記載がしっかりしていることから録音年月日もまずまちがいないと思う。このデッカ音源をとうようさんが3度めの'BABALU' としたのは40年代半ばの録音と推定していたためで、おなじくデッカでマチート楽団と共演した42年の音源とカップリングでLP化されていたことからくる勘ちがいだと思う。

 ミゲリートは46年12月に友人のチャノ・ポソとともに一時キューバへ帰郷。翌年1月、ハバナでミュジクラフトのためにレコーディングをしている。これがおそらく3度めの'BABALU'。そして、ミゲリートが念願だった自分の楽団を結成したのが48年。TCD-025 に49年NY録音とある'BABALU' はこの楽団によるものとみてまちがいないと思う。

 52年にはシーコからミゲリートのアルバムが10インチLPで発売されている。これがおそらくノロ・モラーレス楽団との (5) の音源で、時期的に'BABALU' のベスト・テイクとした『アフロ・キューバンの真髄』のヴァージョンとちょうど重なる。ということは、ミゲリートの楽団とクレジットされていたデッカ盤の'BABALU' は、じっさいはノロ・モラーレス楽団の伴奏だった可能性が高いとわたしはみる。これは当時、モラーレスがシーコと専属契約していた関係で、デッカ盤にかれの名まえが記載されなかったということではないだろうか。

 わたしはシーコ盤、デッカ盤、ともに原盤を持っていないので確証はまったくないけれども、こうしてみてくると、(3) と (5) はレーベルちがいの同一テイクであり、TCD-025 にあるもうひとつの'BABALU' はこれらとは別の音源(MGM?)による正真正銘のミゲリート楽団の伴奏とみるのが自然な気がする。

 'BABALU' の謎を追って、クガートからずいぶん離れたところまで来てしまった。これには理由がある。モラーレス楽団との51年録音と推定したデッカ盤には(したがって (5) にも)、40年代はじめにミゲリートがクガート楽団の一員として吹き込んだナンバーが'BABALU'「ババルー」を筆頭に、'BAMBARITO'「バンバリート」'LA NEGRA LEONOR'「黒人娘レオノー」'RUMBA RUMBERO'「ルンバ・ルンベーロ」と計4曲もリメイクされているのだ。これらはミゲリートがアメリカ合衆国で成功をつかむきっかけとなった曲の数々であり、渡米から約10年、かれ自身の楽団を解散し、ソロ歌手として再スタートを切るにさいしての決意のあらわれだったのかもしれない。

 肝心のサウンドについてもふれねばなるまい。まずミゲリートの名を世に知らしめた'BABALU' から。「ジャングル大帝」みたいな大仰さはわかったとしても、クライマックスはなんといっても、曲の終盤でミゲリートがむかしタモリがやっていたハナモゲラ語みたいなアフリカ風の言葉を早口でまくしたてるところ。ミゲリートは擬似アフロ感覚にキャブ・キャロウェイのスタイルを巧みにとりいれて'BABALU' を完成させたけれども、ここでは後年ほどのジャイヴ感覚はない。

 'BAMBARITO' のせわしなくもリリカルで軽やかなアレンジメントはキューバというよりプエルト・リコのラファエル・エルナンデスの影響が感じられる。その他についても同様で、ラテン系音楽本来の持ち味を殺すことなくソフトにして、白人が頭に描いていたとおりの南国楽園のイメージをなぞっている。しかし、後年のクガート楽団やマーティン・デニーのような薄められたエキゾチック・サウンドになりきっていないのは、一にも二にもミゲリートという“野蛮人”のおかげ。かれは野性味あふれるダイナミックな歌声ばかりでなく、アルセニオ・ロドリゲスの'YO TA' NAMORA''(アルセニオが自己のコンフントを起ち上げた最初期に録音した曲)、チャノ・ポソの'ANNA BOROCO TINDE'ニコ・サキート'LA NEGRA LEONOR' のようなキューバのディープな楽曲の紹介にも大いに貢献した。

 本盤にはこれらミゲリートが歌った9曲のほか、マチートが5曲、ティト・ロドリゲスが1曲でリード・ヴォーカルをとっている。マチートは幼なじみでトランペット奏者のマリオ・バウサとアフロ・キューバンズを起ち上げていったん解散したころの参加だったと思われる。ミゲリートほどの濃厚さはないがそれでもすばらしい歌声。ただしクガート作の'AUTO-CONGA' のように、歌はすばらしくても、サンバのリズムを安易にとりいれた楽曲の薄っぺらさには辟易。

 ティト・ロドリゲスはミゲリートの後任として入団したというから42年の録音だろう。'BIM BAM BUN' は、ノロ・モラーレスが書いたグァラーチャで、クガート楽団脱退直後にミゲリートがマチート楽団とレコーディングした歴史的名演(TUMBAO TCD-008 ほか)のなかでもとりあげられている。出来からするとミゲリートとマチートのコンビにははるかに及ばないが、ティトならではのスマートで流麗な歌声で聴くのもこれまた一興。

 本論を締めるに当たって、もう1枚のトゥンバオ盤"RUMBA RUMBERO" についてもすこしふれておこう。こちらはミゲリートが13曲、名門セプテート・ナシォナールにいたアルフレディト・バルデース Alfredito Valdes による37年録音が2曲、ルイス・デル・カンポ Luis Del Campo による42〜43年録音が5曲構成。

 なにが驚いたって、アルセニオ・ロドリゲス初期の代表作で、ミゲリートがいたデ・ラ・プラーヤが放った大ヒット'BRUCA MANIGUA'「ブルーカ・マニーグァ」を、アルフレディトの歌でほぼリアルタイムにとりあげていたこと。このことといい、ナショナールの名曲'SUAVECITO'「スアベシート」のリード・ヴォーカルを起用したことといい、クガートはある種天才的な嗅覚の持ち主だった。出来の良し悪しは別として。

 デル・カンポはミゲリートのレパートリーだった'BABALU''LA NEGRA LEONOR'、'TABU' を歌わされている。かれについてよく知らないが、ノドをふるわせる歌い方がプエルト・リコの白人民謡ヒバロっぽくて、曲調にすこしも合っていない。ひどいをとおりこして痛々しいほど。あきらかな人選ミス。

 これらにくらべると、ミゲリートの13曲はアタマひとつ抜きん出ている。
 目につくところでは、51年のデッカ盤でリメイクされたミゲリート作の'RUMBA RUMBERO'。それからチャノ・ポソ作'BLEN BLEN BLEN'フリオ・グティエーレス'MACURIJE'、アルセニオ作'ADIOS AFRICA'、アルベルト・リベラ作'ELUBE CHANGO'。これらのオリジナルはすべて'BABALU' や前述の'LA NEGRA LEONOR' とおなじくカシーノ・デ・ラ・プラーヤだった。細かく調べれば、ほかにもきっとあるにちがいない。クガートがいかにミゲリートのセンスに信頼を置いていたか、このことからもよくわかる。
 しかし、ミゲリートの歌そのものを別にすれば、演奏の出来自体はオリジナルに及ぶべくもなく、多少キツイ言い方をすればオリジナルとの比較において楽しめるシロモノといえるかもしれない。

 ついでに付言。
 本論でふれた中村とうようさん選曲による2003年発売のライス盤、ミゲリート・バルデース『アフロ・キューバンの魔術師』(RICE ASR-426)は、最近まで93年にオーディブックから発売された『ベスト・オブ・ミゲリート・バルデース』(オーディブック AB117)の再発だと思っていた。しかし、いざ入手してみたら、収録曲がかなり差し替えられていた。なんでも著作権保護法が改定されたせいで、50年以上経過した録音しか使えなくなったというのが理由らしい。だからオーディブック盤では約半分を占めていた50年代以降の録音、具体的にいうとノロ・モラーレス楽団、ソノーラ・マタンセーラ、マチート楽団との再会セッション、メキシコ楽曲集、ラスト・アルバムなどからの楽曲はすべてはずされてしまった。その代わり、4曲だったミュジクラフト音源が8曲のふえるなど、これはこれで充実した内容になっている。


(4.8.05)



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by Tatsushi Tsukahara