偏った音楽体験(1)

〜1999

↓目次・・・記述の順番は崩れております。ご容赦...m(_ _)m

さほど濃くない、幼〜少年期期の音楽体験ラルフ・タウナーとオレゴン、その人脈(1)探して、見つからなくて、見つかって、買って。・・・その1
我が家にステレオが来た。 1971?・・・72?ラルフ・タウナーとオレゴン、その人脈(2)探して、見つからなくて、見つかって、買って。・・・その2
Rockの洗礼 1970年代中頃〜ラルフ・タウナーとオレゴン、その人脈(3)探して、見つからなくて、見つかって、買って。・・・その3
好みに変化がパット・メセニーとその人脈(1)探して、見つからなくて・・・
JAZZ・クロスオーバー体験パット・メセニーとその人脈(2)探したら、見つかるので買う・・・
DTMゴッコ(1) 1985?〜パット・メセニーとその人脈(3)【訃報】チャーリー・ヘイデン氏
首都圏勤務時代 1987〜パット・メセニーとその人脈(4)【訃報】ジョー・サンプル氏
DTMゴッコ(2)ジョニ・ミッチェル(1)【訃報】ジャック・ブルース氏
帰郷後 1999〜ジョニ・ミッチェル(2)【訃報】ケニー・ホイーラー氏
R&B(1)シャーデー【訃報】マイク・ポーカロ氏
R&B(2)ジェフ・ベックと新旧人脈【訃報】B.B.キング氏
R&B(3)キング・クリムゾンと、その人脈【訃報】オーネット・コールマン氏
ドラムを習う 2013〜チャカ・カーンとアヴェレージ・ホワイト・バンド【訃報】ルイス・ジョンソン氏
海賊盤DVD(1)チャー(竹中 尚人)【訃報】ウィルトン・フェルダー氏
海賊盤DVD(2)ラビ・アブ=カリルと、その人脈
DrumSet代わりの“オモチャ”を 20141104キース・ジャレットと、その人脈
まとめ告白楽曲“ WHITCHI-TAI-TO ”に絡むアーチストたち
スティーリー・ダン/ドナルド・フェイゲン

自身の偏りを強く自覚するのは、聴く音楽でしょうか。クラシックをほとんど聴きません。情けない事に、デリケートな「聞き比べ」などで良し悪しの判断が出来ないのです。

ついでに告白。聞いた「歌詞」に感銘を受けた楽曲は多くありません。洋楽なんざ特にです。詩に共感するセンス・感情が乏しいのかな?と自問自答・・・も、しないなあ。

注:ライブ体験も、聴いた時系列で並べるつもりでしたが記憶は曖昧。思い出す範囲で年月を調べつつ、書き込んでみました。前後の記述との関連性までは、整合をとりづらいのでテキトーかもしれません。

お詫びm(_ _)m:201806xxからHPスペース確保の為、画像ファイルサイズの縮小と、リンクの削除を進めます。抜本的解決が本筋でしょうけど・・・その際には復活する見込み。


さほど濃くない、幼〜少年期期の音楽体験

ラジオやで聞く歌謡曲が音楽体験の始まりでしょう。親が言う昔話を思い出すと・・・守屋浩“僕は泣いちっち”(昭和34年9月発売)を好んでいたらしいのです。いや、楽曲・歌詞は所々覚えているのですが、「好んでいた?」記憶がございません。TVが自宅に導入される前の話ですな。

TVが来てからは、ごくフツーの昭和歌謡体験です。画面によく出る(出てた)有名歌手は・・・ケッコウ覚えてますが、「楽曲」自体の印象が強いのは案外少ない。

若干だが映画音楽が混じる。映画館は結構あったし(東区筒井町?や・中区栄・同大須・千種区今池など)、TVでも多く放送されていた。おお、TVアニメやドラマの主題歌などの記憶も。


我が家にステレオが来た

1971?・・・72?

○NKY○製品です。matrix-4chステレオ・・・4ch?のステレオ?・・・などと、全く考えもしない**生時分の事。FM聞くのもはぢめてだった記憶です。

ナオミの夢 1971 初めて買ったレコードは・・・確か、「ヘドバとダビデ、ナオミの夢」と記憶。国内発売が1971年だから、第三次中東戦争のちょっと後・・・などと知る由も無い頃。

B面はヘブライ語Ver.ですが、後年のエスニック趣味に・・・関係無かったスね。

ヴィーナス 1969 一世を風靡したショッキング・ブルーの記憶に残る名曲。Voの“濃さ”に耳が向いてしまうが、ROBBIE VAN LEEUWENのソング・ライティングも秀逸。B面「HOT SAND」も良く聞いた。

「悲しき鉄道員」も名曲。かなり後だがベストCDも買う。

愛の休日 1972 ミッシェル・ポルナレフ。脇がムズ痒くなるよ〜な心地よさ・・・、ただそれだけで買った記憶。

ここまでの3枚以外でも、まだ「英米」アーティストは少なかった様子。

3行空けのために・・・こげなことを

注:本ページで掲げきれない「記憶に残る楽曲」を「その他」楽曲メモにぶちまけました。

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Rockの洗礼

1970年代中頃〜

ゲット・バック 1969 ブラック・ドッグ 1972 ハイウェイ・スター 1972 2学年上の兄が、ロックを聴きだしました。ありていなビートルズ入門から、イキナリLed Zeppelin、Deep Purpleへと。思ひ出深いバンドで、いささか追い続けてはおります。

ビートルズ体験にはちょっと遅い世代かも。聞き出した頃には既に解散してます。熱心ではないが代表作程度は聞きました。

第4期ディープ・パープルの1975年公演を見てます。黄金期のメンバーではないし、新加入のトミー・ボーリンは「怪我?」でロクな演奏状態ではありません。先立って脱退したリッチーブ・ラックモア率いる、第2期レインボーの1976年公演の方が、遥かに優れたライブでした。

コンサートライブではありませんが、『レッド・ツェッペリン狂熱のライヴ』を映画館で見ました。妙な導入部はともかく、ステージシーンには釘付け。ナンだか分らん情動が突き上げるが、若かったからなあ。

やはり、兄が始めた(直ぐ止めた)ガットギターを弾こうと、同世代にありがちな楽器体験を経ます。しかし、特に熱中せず身につかず・・・。

クエスチョンズ67&68 1969 黒い炎 1971 良く聴いてた、シカゴとチェイス。

同系統と言われる「B.S.& T」の方が重要なバンドだったかも知れぬが聴いてない・・・。

クリムゾンキングの宮殿 1969 おせっかい 1971 キング・クリムゾンや、ピンク・フロイドに至ります。アルバム購入となると、限りある小遣いでは大層な買い物でした。思ひ出深いバンドで、いささか追い続けてはおります。

いずれも青少年への影響は計り知れない。

後にコーラル・FLAT-8バスレフ箱入りを拵えて聞いた、ピンク・フロイドの「エコーズ」のBASSは、今も耳の奥に残る。

フェンダー・プレシジョンBASSと知ったが、Rockらしくない?柔らかな風のような低音。同アルバム収録の「吹けよ風、呼べよ嵐」で試みた「カリカリ」のBASSトーンとは真逆。次作品の「狂気」冒頭の心臓の鼓動音?と共に、低音再生の目安に。

この頃イエスやジェネシスは聞かなかった。しかし、ビル・ブル−フォード(Dr)や、ピーター・ガブリエル(Vo)縁者のトニー・レヴィン(b)らを、後に・・・

アメリカン・バンドEP 1973 アメリカン・バンドLP 1973 ○○生時代の友人オススメ。グランドファンクのシングルとアルバム。能天気な体育会系バンドかと思いきや・・・。

後年Youtubeでライブ動画を発見。イントロのカウベルは、ハイハットのかなり上にアームマウントして叩いていたのですね。

Irish Tour 74 ブルースフィーリングの何たるかを知らぬ頃に聞き、青少年のココロに沁み込んだロリー・ギャラガー。しかし“染まる”までは到らなかったようです。

後年Youtubeで、同時期のライブ動画を発見。Drの人、オープンハンドで叩いてる。

1974年。名古屋市公会堂での、これが初のライブ体験。同年リリースのアルバムにあわせたツアーだったもようで、コレを聞くと、当時を思い出します。「太い」ストラトの音を聞かせる名手だが、故人・・・

対自核 1971 ユーライア・ヒープの迷盤?。後にザ・ピーナッツがカバーしてるとYoutubeで知った。それほど日本ではヒットしたんだな。

ザ・ピーナッツは、キング・クリムゾンの「エピタフ」までカバー、恐るべし渡辺プロダクション。

3行空けのために・・・こげなことを

注:本ページで掲げきれない「記憶に残る楽曲」を「その他」楽曲メモにぶちまけました。

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好みに変化が

就職後暫くは、似たような聴き方が続いておりましたが、FM放送局からの情報も仕入れるようになりました。

下記のリリース前だったか、後だったか・・・第二期ジェフ・ベック・グループのライブ音源が放送されました。慌ててカセットに録音しましたが、
後の首都圏在住時に同じ音源の「海賊版」CDに遭遇、コレは嬉しかった。

ギター殺人者の凱旋 1975 ジェフ・ベックで「繊細な歪み」ギターを初めて聴く。フェンダー・ローズの「コロコロ」軽い音色も心地よい。若いリズム隊だが、熟練の味をも感じさせる。いや、恐れ入った作品です。スティービー・ワンダー提供の名曲「哀しみの恋人達」も収録。好んだのは「Diamond Dust」で、5拍子だが美しくJazzyな佳曲。

しかし・・・この邦題「ギター殺人者の凱旋」は酷ェ・・・ヘビメタじゃあ無いのに。後年の「ギター侍」?のセンスと同じだ。

1975年8月5日 - 名古屋・愛知県体育館での、「ワールド・ロック・フェスティバル・イースト・ランド」参加公演を聴きました。バンドはアルバムのレコーディングメンバーであるマックス・ミドルトン(Key)、ワイアードのレコーディングにも参加するウィルバー・バスコム(b)、助っ人?のバーナード・パーディー(Dr)だった記憶。

この時の、ジェフ・ベックの演奏・印象・記憶はほとんどありません。後に「風邪でヘロヘロだったため」と聞く。バーナード・パーディーの、ケレン味たっぷりの演奏は覚えてます。マックス・ミドルトンは背中/後頭部しか見えん。

ワイアード 1976 前作より五月蝿くなった。ヤン・ハマー(SYN)と、ナラダ・マイケル・ウォルデン(Dr)の、マハビシュヌ・オーケストラメンバー招聘は、いかがなものだったのだろうか。日本でのセールスは良いと聞くが。

ゼア アンド バック 1980 これの1980年ツアーを見ました。前回とは別人の演奏。クロスオーバー寄りのアルバムが3枚続きましたが、ステージではRockしてます。名前だけは知っていたが、サイモン・フィリップス(Dr)は凄かった。記憶では、オープンハンド奏法への移行期?だったかも。

Beck-Ola 1968 Rough And Ready 1971 先にFM局のLive音源を聴いちまった演奏曲を含むアルバム。

刷り込みとは恐ろしいもので、高評価の第一期作品より好き。のちに第二期を好まれる方もおられると知って、“偏って”なかったと安堵します。

今でもお気に入りのアーティストで、遡って(ヤードバーズ時代は無視)聴きました。人脈つながりから、ハミング・バードも知る。おお、そういえば第二期には、後にレインボーに参加するコージー・パウエルが在籍、凄いバンドでした。

灼熱の饗宴 1975 アース・ウィンド・アンド・ファイアーのライブアルバム。

後年「凝りまくった」サウンドプロデュースになる前の、骨太でおおらかな演奏。アフリカ系アメリカ人アーチスト体験の始まり。

ジェフベック体験頃から気付いた「リズムセクション」の面白さを、更に実感したアルバム。

woman in red 1984 スティービー・ワンダーはこれが初物だったと記憶。

SYNだが「歌ってる」BASSラインに脱帽。後に「キー・オブ・ライフ」「トーキング・ブック」も聴く。「迷信」はジェフ・ベック率いるBBAへの提供曲と知られているが、本人の方が有名ですな。

5行空けのために・・・こげなことを

この頃は、コーラル・BETA-8の指定バックロードホーン自作。まだまだRock主体で「鋭く鮮烈な」音を楽しんでおりました。
6GA4sでも聴いたが、主役は35Wx2の某社プリメインアンプ。

アリア・プロU 成人前後だったか、エレキベースを購入。Aria・ProUのプレシジョンタイプ。メイプル・ワンピースネックのナチュラルカラーモデル。のちにディマジオ製PUに交換。もう手元にはないのですが、ヨソ様の似た画像が見つかりましたので、勝手に拝借。ソレっぽいPUに取り替えられてるので。

ギターを始めた友人と遊び始めたが、ちゃんとした「師」に付かず上達しません。漠然としたバンド構想も立ち消え・・・。

5行空けのために・・・こげなことを

フィジカル・グラフィティ 1975 虹を翔る覇者 1976 レインボー・オン・ステージ 1977 ま〜だ煩いのも聞いてます。

レッド・ツェッペリンと、リッチー・ブラックモア率いるレインボウ。
ジョン・ボーナムとコージー・パウエルの剛腕硬派Dr.が堪能できる。

この頃、オランダのハードロック?プログレバンド、「フォーカス」の1975年公演と、UKのハードロック?プログレバンド、「UK(第二期の)」の1979年公演を見てます。まあ・・・おぼろげな記憶。

前述の「レインボウ」公演もこの頃ですが、こちらの記憶は強烈。噂にたがわず、コージー・パウエルのDrは凄い。そしてレギュラーグリップのRockもカッコいいぞと再認識。Deep Purple時代の曲もやってくれたし、アルバム「Rising」の全曲が聴けた?記憶。生で見るリッチーの動きは妙だったが、お約束のギター破壊も楽しめた。ストラトの持ち替え後だが。

炎〜あなたがここにいてほしい 1975 アニマルズ 1977 ザ・ウォール 1979 プログレ趣味も続いてる。後追いだが、あの「超大作」後のピンク・フロイド。

得体の知れない?曲想(それがサイケ?)が芸風だったのに、なんだか「明晰な表現」に変化してきた印象です。

1行空けのために・・・こげなことを

太陽と戦慄 1973 暗黒の世界 1974 レッド 1974 俗に言う「第二期?・・・諸説アリ」キング・クリムゾン。後追いだし、当時バンドは休業中(再開すると思い込んでる)でした。

この頃が好き。フリー・インプロヴィゼイションやってますがRockです。

ディシプリン 1981 ビート 1982 スリー・オブ・ア・パーフェクト・ペアー 1984 英米混成になったキング・クリムゾン。またもや違うバンド程に変貌。

リアルタイムに聴き、実はこの頃も好き。しかし再び永き沈黙に潜む。

Three Of A Perfect Pair - Live in Japan 1984 Neal And Jack And Me -Live 1982-1984 Eyes Wide Open -Live 2000-2003 後年入手したLDと、更にのち入手のDVDセット。セット2組4枚のうち1枚は84’の同じLive映像だが買ってしまった・・・。

1984年の「スリー・オブ・ア・パーフェクト・ペアー」ツアー公演は見ました。雑誌などでは承知していた「スティック・タッチボード」が演奏される“生”を初めて体験。それを操るトニー・レビンにも釘付け。Musicman・StingrayBASSもウネリまくる。鍵盤SYNベースまで弾いてるし、多分バンド初かと思うコーラスワークも担う。

ブルーフォードが叩く大量のシモンズ・電子ドラム、フリップ、ブリュ−ご両人が弾くギター・シンセなど、先端楽器を多用。しかし、装飾・過剰演出が無い地味なステージ。椅子から落ちそうなフリップのソロではハラハラしたが。

邦人女性歌手趣味も続く。

10カラット・ダイヤモンド 1979 シングルカット曲無しだが、佳曲揃い。よく聞いた岩崎宏美のアルバム。

ウィッシュ 1980 筒美京平の趣味的?アルバムか。USA録音で、現地ミュージシャン起用。代表作品とは言えんが、良く聞いたし、リズムアレンジはカッコ良くBASSコピーを試みた曲が多い。

収録の「女優」は、シングルカットとは別物「でぃすこ」アレンジ。いやFUNKアレンジでカッコいい。後年の再発盤ではないのでボーナストラック無し。

夕暮れから...ひとり 1982 大ヒット「聖母たちのララバイ」の別Ver.を含む、ハズレ曲無しの名盤・・・と、勝手に解釈。

トライアド 1984 高橋真梨子の大ヒット「桃色吐息」収録。「祥寺クィーン」「背中から撃たないで」などBASSコピーを試みる。

この時期の公演を当時の勤務地、三重県・四日市市で聴く。本人もバンドも皆上手い。Perc奏者がいて「祥寺クィーン」でのボンゴ?音が印象的だった記憶。別の曲では「手拍子」音をマシンで出していたような気が。

BEAUTY 1985 この後述べる、渡辺香津美(録音に参加)や坂田明つながり・・・の思い込みで買った、橋本一子のソロ。

美しいピアノやギターと、当時の最先端っぽい実験的な音楽づくりが理解できなかったのです。で。出来るよ〜になるかもと、「VIVANT 1986」「high excentrique 1988」も聴く。そして・・・

もしかして・・・↑最初に買ったCDかなと思ふ作品。邦人ポップス棚か・・・邦人JAZZ棚?、置き場所に困ってる。

注:本ページで掲げきれない「記憶に残る楽曲」を「その他」楽曲メモにぶちまけました。

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JAZZ・クロスオーバー体験

「出向先」で、音楽にウルサイ先輩(オーボエとJAZZギターを嗜むそうです)がおられ、いろいろ教わりました。その「師」曰く、「チャーリー・パーカーから聞け。マイルスに繋がり、広がるから」だそうです。その、チャーリー・パーカーは・・・やや後年、CD時代になってから聞いたのですが、ピンと来ません。

ヘヴィー・ウェザー 1977 リターン・トゥ・フォーエバー 1972 ヘッド・ハンターズ 1973 マイルス門下生?などと称される、ジョー・ザビヌル、チック・コリア、ハービー・ハンコック、お三方の代表作品。

いづれもリズムセクションは素晴らしく、BASSプレーヤーはトンでもない人たちばかり。当然、感化されましたが、あんな腕になれるわけない・・・。

「出向先」の先輩も注目の、ジャコ・パストリアス(故人)には驚きました。自家用BASSもフレットレスに改造したほど。でも、それだけで同じように弾けるワケもなく・・・。ジャココピーに欠かせないハーモニクス(フラジオレット)奏法も言うに及ばず。第一あの比類なきGroove感覚は望むべくも無い。

ジャコ・パストリアスの肖像 1976 スクール・デイズ 1976 地味なBASSISTの存在に光が差し込んだ、ジャコ・パストリアスとスタンリー・クラーク。スタープレイヤーお二人の登場。

「ジャコ・パストリアスの肖像」で聴けるドン・アライアスのPerも素晴らしい。コンガ奏者としては最高峰の一人。以後「要チェック」アーチストとなり、ソロ作品も聴く。この人の参加作品は膨大すぎて追いきれんトコロがありますが・・・既に故人。

ポール・ジャクソンは、いささか地味だが、JazzFunk・Groove Master的存在で、後の相方のマイク・クラーク(Dr)共々“後年”はまる事に。

ジェントル・ソウツ 1977 アナログ時代「ダイレクト・カッティング」録音が売りの「オーディオ・マニヤ」受けも狙った企画。その「音」には確かに驚いた。リー・リトナー名義だが、上司がおる?

それより、同時期にTV放送された「スタジオ・ライブ」映像の記憶が生々しい。そりゃあ達人ばかりだからアタリマエでしょうが、レコードと変わりなく「キャプテン・フィンガーズ」を再現する。そして「アンソニー・ジャクソン」(b)を知る。映像記憶でも2フィンガーと「ピック」併用、黒人BASS奏者では珍しいスタイル。

HOLD ON 1978 ↑と同じプロデューサーによる、Violin奏者ノエル・ポインターの作品。生真面目なPLAYが初々しい。しかしお目当てはアンソニー・ジャクソンとスティーブ・ガッド(Dr)のリズム隊でした。

アルバムタイトルは、他の方の超有名曲ではなくて黒人霊歌の一つだそうです。当時流行った「ROOTS」も収録されていますが、その手のメッセージ色は感じられません。

One of a Kind 1977 ↑と同じプロデューサー自身の作品。心地よく品の良い楽曲と演奏。

今聞くと、この人が手掛ける作品は、経営者感覚の音楽制作に思えるが、ど〜かな。

3行空けのために・・・こげなことを

ウルサイ先輩のご教示から・・・。これも、パーカー → マイルス →・・・に繋がると?。

ケルンお断り 1975 マイ・ソング 1977 残氓 1976 キース・ジャレット体験の初期にこれらを聞いたからか、後のスタンダード・トリオは「美しく洗練され」すぎて“聞き流して”しまいます。

欧・米カルテット時代の「何がやりたいのか、イマイチ掴めない混沌」さが好き。

ソロはというと、ケルン以外は印象が薄いし、いっそ一人多重録音作品「SPIRITS(1985)」の方が面白い。

以降、オレゴン/ラルフタウナー、パット・メセニー関連などでECMレーベルにハマります。

In A Silent Way 1969 Bitches Brew 1970 The Man With the Horn 1981 JAZZを聴き始めた頃、マイルスは活動休止中でした。いわゆるエレクトリック・ジャズ路線以降の作品から体験しており、後年のCD時代になって、過去の作品を聞くようになりました。残念ながら、名曲・名アルバムとは言えど、その「真髄」を実感しておりません。

マーカス・ミラーの名は、雑誌などで承知しておりましたが、復帰マイルスに関わってから「出世」しましたねえ。BASSの新たなスター登場です。後に見た「Live Under The Sky 91’」映像での『RUN FOR COVER』は、彼独特の右手フォーム・ポジションによるスラップの疾走感、改造JBの“新世代サウンド?”が心地よい。

う〜ん、こんな感じのアーチスト繋がりで、聴き方が広がる。いや、まだ偏ってるか。

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土地か 1980 頭狂奸児唐眼 1981 モボ 1983 マーカス・ミラーつながりの以前から注目はして、珍しく愛聴した国内アーチストの渡辺加津美。Moboでのマーカスの演奏は素晴らしい。

同年代の国内フュージョンバンドである、カシオペアやスクエア、プリズムは殆ど聞かなかった・・・なぜだろう。

FM放送で聞いた(1982年5月オンエア、エアチェックもしたはず)井野信義・山木秀夫らとの「マウンテン」のスタジオLive音源は、後にYoutubeで鑑賞できた。結構プログレ好きとお見受けするし、後に“ディシプリン”キングクリムゾンの影響を色濃く反映した作品も。

愛知県岡崎市・葵博ジャズ・スペシャルナイトVOL.1 1987.5.2(S.62) を見る。ジャムセッション風の好き勝手演奏?と記憶。1曲で、Drの東△力○さんがエンディングをとちる。メンバー総勢・・・指差し囃し立て?してた。感想・・・「ミュージシャンって、こんなの?」

this is music is this!? 1980 下駄はいてこなくっちゃ Wha-ha-ha 1981 ロクにJAZZを知りもせず聞いた。なんでこんな妙なのを選んだのか、今となっては謎だが、以降の聴き方の偏りに絡んでる気はします。

多分上記アルバム発売時、1980年と1981年だろうライブ鑑賞の記憶があります。

生活向上委員会大管弦楽団は、名古屋市北区大曽根「鈴蘭南座」の“会場”記憶が生々しいのです。まあ・・・芝居小屋だからなのか座席は無く、客が来る限りは詰め込まれ、胡坐が不可能で体育座りを強要され?・・・。お隣の人?にとどまらずタバコをふかすやら、どなたかはどうやら缶ビール片手に。そしてライブはフリーJAZZと妙な寸劇を交え、混沌のステージでした。しかしこのバンドは、梅津和時(as、ss、cl、etc)・片山広明(ts、bs)・早川岳晴(b、el-b)らを擁し、後年各分野で彼らの活躍を知るのでした。

坂田明(as...vo...タレント...ミジンコ研究家...etc)率いる、wha−ha−ha・・・(劇団「ワハハ本舗」とは無関係の)フリーJAZZバンド。ライブ情報を調べましたら、どうやら「1981年10月06日・雲竜ホール」ですな。演奏の記憶は・・・無い。いや、メンバーのステージ登場時、一列になって上手から???何故か下手へ消えて演奏が始まらなかったので、笑いを取ってたなあ。おお、仙波清彦師匠(Per)の和太鼓ドラムセットと、膨大な鳴り物オモチャを思い出しました。終盤〜アンコール頃には、やたらオモチャをかき回す変態プレイも。

HIROSHIMA 1979 1979年の「HIROSHIMA」デビュー・アルバム。ええと・・・“和フュージョン?”ちゅうのか、日系三世米国人のバンド。琴・尺八(sax奏者の持ち替え)・和太鼓(Per奏者の兼任)を含むが、案外フツーのバンド。和テイストはあるが、LAサウンド?が基幹かな。これしか聴いてないのですが、今も健在らしく息の永いバンド。

「広島」へのオマージュ、リスペクトを込めたのかどうか・・・あまり感じられませんなあ。

どうやら翌年らしい日本公演を聴いた記憶があるのです。どこでだったかが思い出せないし、パフォーマンスの印象も薄い。

CITY CONNECTION 1979 Double Rainbow 1981 TRADE WIND 1986 日野皓正の聴き方も偏ってる。これらの前後を知らない。

「CITY...」は、アンソニー・ジャクソン(b)で選び、「Duoble...」は、マイルス人脈他大勢参加で買い、「TRADE...」は、マーク・イーガン(b)で買った。特に「TRADE WIND」は良く聞いた。コレで、スティーブ・フェローン(Dr)を知ったのです。時代を思わせる「ゲート・リバーブ?」たっぷりの、「ガサガサ」サウンドが小気味良い。

198?年「ダブル・レインボウ」公演を聞く。アルバムほどではないが、10人ほどの大所帯バンド。休業中マイルスの「代わり」を務めてるつもりだったんだろうか。ドン・アライアス(マイルス人脈)と、マノロ・バドレーナ(WR人脈)、旬のPer奏者二人を持て余し気味の記憶。

corason 1979 アンソニー・ジャクソン参加の邦人作品。

バーナード・パーディー(Dr)との“Cool”なリズムが心地よい。主役の益田幹夫の演奏は・・・置いときます。

3行空けのために・・・こげなことを

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EYEWITNESS 1981 MODERN TIMES 1982 CASA LOCO 1983 スティーブ・カーン(g)のバンドですが、アンソニー・ジャクソンが少々永く在籍した、とも言えるお仕事。6stベースに移行しちゃった頃で、ライナー写真からすると、ケン・スミス製品ぽい。

各人の音は鮮やかで逞しい。しかし硬派フュージョン風なのに、どこかフワフワと捉え所が無い曲が多い。ギターを重ね録りしない方針なのか、ソロパートなどはサポートはベースとDr・Perだけに任せてる。Key不在(不要?)編成もその為か。

名古屋出身の漫画家、鳥山明氏の作品から発想を得た楽曲があります。だからなんなのさ・・・ですが。

Sunlight 1978 キーボードに囲まれたハービー・ハンコックの、裏ジャケが印象的。心地良いFUNKフュージョン中心だが、最終曲でトニー・ウィリアムス(Dr)とジャコ・パストリアスから放射される「煽る、うねる、疾走する」グルーブ感覚が堪らん。

ボコーダーで“歌う”ハンコックは話題になったようだが、長続きはしないねえ。後継者は日本のPerfume?。

Future Shock 1983 Sound-System 1984 同じくハービー・ハンコック80年代のヒット作品。実は、DJ・スクラッチ体験はここから。サンプリングの破裂音、非人間的?マシン・グルーブなど最先端テクノロジーも大盤振る舞い。

しかしヒップホップ本流?のストリートミュージシャン系統は聞かなかった。JAZZ・FUNK・アフロ的なリズムアプローチに魅了される。

ちょい前のVSOP活動の方が国内では有名みたい・・・だが・・・語尾・・・不明瞭。

Summer_Jam1979 後の上京時購入の海賊CDだが、昔これの演奏音源が民放FMで放送され、録音し、聴いた。(1979年7月27日の田園コロシアム「LIVE UNDER THE SKY79'」-Chick Corea Night- のプログラム。:http://zoitan.k-free.net/musical/guest/eileeal.htmlから引用)。

RTF解散後の人脈不定期?かと思われ、リズム隊はトニー・ウィリアムス(Dr)と、新人?バーニー・ブルネル(b)。しかし、案外面白い組み合わせで、演奏も悪くない・・・いや気に入った。

Elektric Band 1986 LIGHT_YEARS 1987 チック・コリア久々のパーマネント・グループ、エレクトリック・バンド。名の通り、電子サウンド中心だが、Ac・Pfやアップライト生BASSも随所に活用。嘗てのスパニッシュ風味は抑え気味の印象。

若いが凄腕のジョン・パティトゥィッチ(b)、ディブ・ウェックル(Dr)ら、人材を発掘・起用。マイルス門下生は、そーゆートコロも学んでいるみたい。

並行してチック・コリア・アコースティック・バンドを。しかしこれもなぜか・・・語尾不鮮明・・・。

Mysterious Traveller 1974 Black Market 1976 Mr.GONE 1978 前述の「出向先のウルサイ先輩」の薦めに従い、旧作と次作を聞く。

注目のジャコ・パストリアスだが、前任BASSISTも凄いぞ。「ブラック・マーケット」収録「ジブラルタル」は名曲・名演と思うが。

余談だが「ウェザー・リポート」検索すると・・・アニメ/コミックキャラが先に出てきて驚く。「WEATHER REPORT」と打たねばアカン時代なのか。

WRの主:ヌシ(と思う)ジョー・ザヴィヌルは、ジャコ・パストリアス以降も新人発掘に長け、1995年にはリチャード・ボナを見出します。

Word of Mouth 1981 2014年現在でも音源が発掘される、ジャコ・パストリアスのソロ2作目。後の末路を感じさせない(いや、そうでもないのかも)才能の迸りが結実した名作。

WR在任中の鬱積を晴らすかのように「やりたい放題」のアイデアで埋め尽くされています。そりゃあ・・・出来んだろWRじゃあ。

ウェザー・リポートは、後年・・・1981年の「ナイト・パッセージ」ツアー公演を見ました。内実はど〜だったかわかりませんが、マトモな頃のジャコ・パストリアスと、ピーター・アースキン+ボビー・トーマス・Jrらの「神業」リズムセクションの演奏を堪能しました。

1984年?の「ドミノ・セオリー」ツアー公演では、前年からのリズムセクション総入れ替えメンバー。若い3人(ワシより年下)が活躍してるのを見ると、トンでもない奴らと思わざるを得ません。前作からの「Where the Moon Goes」ではなんとジョー・ザビヌルご自身で、マンハッタン・トランスファーが歌うパートをボコーダーで披露。Drを叩きながら歌うオマー・ハキムも只モンぢゃない。

Moonshadows 1976 ジャコ・パストリアスの前任者、ウェザー・リポートの2代目BASSのアルフォンソ・ジョンソンのソロ作品。意外なRock臭が香ばしい。

スティック・タッチボードを取り入れた先駆者。でも、メイン楽器ではない様子。そのスティックを抱いたジャケのアルバムが見つかりません。

Aurex Jazz Festival'80・Jazz Of The 80's 1980年のオーレックス・ジャズ・フェスティバルに、フレディ・ハバート、ブレッカー兄弟、らと出演し、ピーター・アースキン(当時WRに在籍)とリズム隊を組む。NHK?のライブ映像を見た。後にこの音源が発売され、アナログは関東在住時中古を入手、CD化された事は知りませんでした。もう廃盤・・・。

ジョンソン自身の曲、バハマ・ママのLive・Ver.が楽しい。故・ジョージ・デューク、ジョー・ファレル達の“十八番?”曲もなかなかのモノ。よくまあこんな人選できたなあ。

1981?年、クルセイダーズ公演に参加、聴く。知識でだけ知ってた「フローティング右親指」スタイルを生で見ましたが、音も演奏もやたら「良く動く」。なお、大御所?Drと聞いてたスティックス・フーパーは・・・印象が薄い。でも前座邦人バンドの演奏後に幕が上がり、全然違うドラムセットには歓声が上がってたなあ。

1983年、ソニー・ロリンズ・カルテット日本公演に参加、聴く。パット、メセニー(g)、ジャック・デジョネット(Dr)ら異色の組み合わせ。なんだかみんなチンタラした演奏で、印象が良くない。後年、当時の東京公演2曲を含む海賊盤を聞くと、コッチの方がいい演奏に聞こえる。

注:本ページで掲げきれない「記憶に残る楽曲」を「その他」楽曲メモにぶちまけました。

300LのMAINシステムを拵えた頃かと。ほぼ同時期に日立HS-400システムも「現品処分」で入手。前面バフル交換スタイルにしたので、バックロードから回収したBETA-8も交えて、取っ替え引っ替えして遊んでおりました。6V6GT(T)ppを組んだのもこの頃。

自身のBASS奏法は当初から「指」弾きでしたが、チョッパー奏法・・・今ではスラッピング・・・を知ったのもこの頃。当時最もモダンなテクニックなのですが、既にフレットレスにしたBASSではロクな音が出る訳無い。いきおい、楽器遍歴も始ります。

ヤマハ BB2000s ヤマハ MBU

手が小さいのでミディアムスケールを求めた時期。GRECOのJBタイプも使い、すぐフレットレス改造。
ジャコまね幻想は続く。

実にもったいないが、1puのBB2000sは音色バリエーションが少なく、MBUは・・・音が軽い。BASS遍歴の泥沼にハマる。

リバーヘッド ホーナーB2・5st スタインバーガーの「バチ物」BASS。もう流行らないスタイルだが、写真のようなフル・コピー風や、類似機構搭載の別デザイン製品などがゾロゾロ出てました。楽器というより機械モノの印象です。カッコウで選び、その都度いい音が出ないが、忘れられない。

とりたてて注目の奏者が使っていたわけではないけど、インパクトは強烈。

どれも数年の後、手放す愚挙を。

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ラルフ・タウナーとオレゴン、その人脈(1)

次の「出向先」に置いてあった「トリオレコード」時代のECMコンピレーション?アルバムで知ったギタリストと、在籍するバンド。

Trios/Solos 1972 Old Friends, New Friends 1979 Solo Concert 1979 多分・・・1970年代末頃の邂逅かと記憶。当然アナログ盤で購入したが、生ギター(12弦も)の響きに聞き惚れたのは初めてかと。関連人脈も含め、以後全ての作品を収集しようと努める。

困難かと思いきや、後にほとんどがCD化された様子。

ソロ、デュオ、トリオ・・・様々なフォーマットで、場合によっちゃあ複数楽器をこなす。でも器用なだけぢゃない「この人」しか出来ぬ音楽を醸し出す。共演者も曲者ぞろい。

Road 1970 In Concert 1975 Violin 1978 メンバー4人全員が在籍していたウィンターコンソートと、ヴァンガード時代のオレゴン愛聴盤。

シタールやタブラとの、奇妙かつ新鮮な響きのバンドを知る。オーボエやイングリッシュ・ホーン(コールアングレ)など、JAZZでは聞かなかった管も斬新。ワールド・ミュージックの奔りかも知れぬが、オレゴンは生ぬるくない。

初期オレゴンメンバーの、コリン・ウォルコット以外は存命で、未だ新譜発表のある、息の永いバンド。活動のルーツともいえるウィンター・コンソート加入以後、各メンバーのソロ作品他、録音参加作品も多い。

ヴァンガード、及びエレクトラ時代までは、純粋なアコースティック楽器のみのバンドでしたが、1980年代のECM時代からシンセサイザー(ラルフ・タウナーは鍵盤も)を導入。ただし、凡百のフュージョンバンドとは一線を画す「響き」は健在。

Crossing 1984 1984年の新譜をCDで購入した愛聴盤。コリン・ウォルコットの遺作。

シタール・タブラも効果的だが、ティンパニ?やシンバル、ウッド・ブロック(木魚かも)など、その他打楽器のセンスが際立つ。ラテン系以外のパーカッションで、魅了されるのは初めてかと。

前作からSYN導入。この2枚までは、比較的控えめな印象。次作から大胆に。

近年、Youtubeでも映像が見られて嬉しかった。特に、故・コリン・ウォルコット在籍時・・・しかし画質音質は×。

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パット・メセニーとその人脈(1)

FM局ネタ。多分・・・「1979年 ECM スーパーギタリスト・フェスティバル '79」来日特集番組だったかも。ちなみに、パット・メセニーのほか、ジョー・アバークロンビー、エグベルト・ジスモンチと、「濃い」のか「薄い」のか、判断の付かぬギタリストばかり。

想い出のサン・ロレンツォ 1978 American Garage 1979 リアルタイムに聴き、聞き惚れた。以後、関連人脈を含め、殆どの(と思うが)アルバムを入手。リズムセクションは、この頃の二人が良かった・・・いや、今の二人も凄いけど。

この2枚に参加のマーク・イーガン(b)は、ジャコ・パストリアスの弟子?らしい。フレットレスの「美しい」BASS音が魅力の名手。いささかコピーに挑戦はしてみた。

2行空けのために・・・こげなことを

パット・メセニー自身のソロや参加作品は、更に多くとても全部集めきれない。2005年以降、PMG名義作品が無いので、以後全てがソロワーク?・・・。

ブライト・サイズ・ライフ 1975 As Falls Wichita, so Falls Wichita Falls 1980 The Story of Moses 1986 メセニーのデビュー作(ジャコ・パストリアス、ボブ・モーゼスとのトリオ)と、ライル・メイズとの初期Duo作品(ナナ・バスコンセロス参加で3人だが)。

右端はボブ・モーゼス作品に、ライル・メイズと共々参加。

1981年 パット・メセニーJAPAN TOUR '81・・・だったと思うが、名古屋市市民会館「中ホール」で生体験。マーク・イーガン脱退後なので残念だが、ナナ・バスコンセロス(Per)の存在感が印象的。

最初はコンガが1個くらいしか見えなかったが、実は床に散らかしてる「鳴りモノ」が多数。よく分からぬタイミングで拾っては鳴らしてましたな。たぶん得意技なんだろう“ビリンバウ”ソロも披露。それよりもこの人の“ヴォイス”が、「コードネームはファルコン」以降のペドロ・アズナールら、「ヴォイス要員」必須スタイルに結実したと思います。大曲「As Falls Wichita so Falls Wichita Falls」は圧巻。

後任BASSのスティーブ・ロドビーは、Ac-bを中心に、旧曲ではel-bに持ち替え。マーク・イーガンが弾いてた改造フレットレス・プレシジョンなので、アレがパット所有のBassなんだと気付く。Ac-bが“本職”の様子で、マークの演奏とは違うなあ。

旧曲の幾つかで奏でられる「オート・ハープ」はPf上に。パットのハーモニクス奏法のアクセントに合わせ、ライル・メイズが音を重ねる瞬間は印象的で、背筋に電気が走った。

余談だが、同日の市民会館「大ホール」では、アイドル系男性歌手?公演だったかと。どおりで、女の子が会館周りに大勢いたワケだ。

Shadows and Light 1980 関連人脈は広く厚い。ジョニ・ミッチェルまでも絡む。(もちろん聴く)

リズム隊は、ジャコ・パストリアスとドン・アライアス。ドラムをメインに、曲によってはおなじみのコンガを叩く。

これの映像がLD化され・・・廃盤、入手できず。後にDVD化され鑑賞。凄いメンバーだが、皆若い。

3行空けのために・・・こげなことを

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ジョニ・ミッチェル(1)

前述の邦人女性歌手以外、殆ど「歌モノ」は聴かなくなった頃でしたが、ジョニ・ミッチェルは別。

Mingus 1979 Wild Things Run Fast 1982 Dog Eat Dog 1985 でも、初期フォークスタイル以降の、JAZZ・フュージョン系演奏家との作品ばかり好む。

ジャコ・パストリアス参加作品と、一時期旦那さんでもあった、ラリー・クライン(b)との協作風の2枚。

Painting with Words and Music 1999 後年入手の映像作品。元旦那のラリー・クラインも参加、MusicMan・Stingray5と思われるフレットレスBASSで、元カノを渋く支えてる。

3行空けのために・・・こげなことを

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SADE

前述の邦人女性歌手以外、殆ど「歌モノ」は聴きませんでしたが、ジョニ・ミッチェルとSADEは別。

SACDではありません。英国の、女性歌手の名を冠したバンドで「シャーデー」と読むそうです。これもFM局ネタで、1986年5月の「中野サンプラザ」公演の収録が放送された記憶。エアーチェックをしたはずだが、どこに?。

Diamond Life 1984 Promise 1985 妙に乾いたクールな歌唱と、抑制された演奏陣。とにかく聞き惚れました。残念ながらこの初来日時は、サウンドの要であるスチュワート・マシューマンが、体調不良?怪我?のため、日本人助っ人が参加したらしいライブと記憶。

ちなみにCD購入履歴の・・・初期10枚目以内だったかと記憶。極めて寡作のアーチスト集団で、2010年の「ソルジャー・オブ・ラヴ」で6作目。このペースで、次作・・・あるか〜?

この2枚は、BASSコピーもしました。ただ・・・Musicman・Stingrayでないと、あの音は出せません。キング・クリムゾンのトニー・レビンも愛用しており、気になります。

Life Promise Pride Love 1993 Sade Live 2002 映像作品は割と豊富。PV集と初Live作品。

←はDVDパッケージの画像ですが、実はLDも持ってたりする。Youtubeでは、デビュー間もない頃のLive映像も見つけました。

Sweetback 1996 Stage 2 2004 これはずっと後、近年入手したSADE関連、スイートバックの2作品。

と言うか、シャーデー・アデュ休業時に、他の3人で録音(ゲスト参加はあるが)され、「3/4・SADE」と言うげなね。彼女の声・歌唱はSADEに欠かせないのですが、サウンド基幹は3人に負うところが多いと解る。

3行空けのために・・・こげなことを

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DTMゴッコ(1)

1985?〜

タマ(真空管です)いぢりは、いささか休止気味の頃。代わりに?ハマッたのが、シンセサイザー+ドラムマシン+シーケンサーで音楽作りの「真似事」。学生時代は音楽の時間がつまらなかったのにね。

まだDTMとは呼ばれてない頃でしたが、MIDI機器の充実に興味をそそられ始めたもの。プロが好むMACやDOS-V・PC+専用プログラム+MIDIインターフェースちゅう方向性もあったが、高い。PCが解らんし、基礎から勉強する気もしない。てな理由でMIDIシーケンサーです。

習ってないので鍵盤楽器は弾けません。譜面は・・・「辿る様に」読めなくは無い(つもり)。BASSは独学で「マガリナリ」には弾ける「風」にはなってたのです。もっぱらリズムセクションから「打ち込んで」遊んでました。

中森明菜 BEST 1986 BAND SCOREを買って、打ち込み練習してた楽曲がある。ナメてかかったらイカンと思い知らされました〜。

作曲家陣は曲者ばかり。同世代の聖子今日子とはスタンスがかなり異なる印象です。

3行空けのために・・・こげなことを

初期の主要マシン。コレだけでは多重録音環境が要ります。そちらは無視して、MIDI音源モジュールや、エフェクターの追加で対応しました。

YAMAHA DX7 1983 YAMAHA RX15 1984 YAMAHA QX5 1986 YAMAHA SPX90 1986?

この分野では、YMOが「始祖」的な位置づけのアーティストでしたが、音楽は避けてました。なにを目論んだのか、普通の「バンド・サウンド」で聞こえるリズムセクションや、ギターフレーズ的なアプローチを再現できないかと試行錯誤してた記憶。オレゴンやパット・メセニーを知った後なので、絡んでると思う。ただし、ろくに「音楽」の勉強をしてもいないのにねえ。

ギターフレーズの再現に、MIDI・6chを当てる「オムニオフ・モノモード」が有効かも、と考えましたが、対応する音源がまだ少なく高価。後に安価な対応機も出て試したが、演奏プログラムがえらく小難しい。そりゃそうだ。ギターが正しく弾けなけりゃ、6弦独立の「NOTE・ON/OFF」タイミングクロック数値など導き出せない。1小節のアルペジオパターンですら、ン時間かかる気がした。手を抜くと(ピッチ・ヴェロシティー他データの微調整)ギターに聞こえぬ。

後の上京時、これらも持ち込みました。さすが「首都圏」に楽器屋は多いしマニアックだ。御茶ノ水界隈はしばらく通い詰めた記憶あり。

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首都圏勤務時代

1987〜

遅まきながら、勤務地の同世代友人の紹介で多くの「中古レコード屋」を知り、海賊版その他の存在も知る。以後収集に没頭、困ったモンだ。上京時の100枚に満たないCDは、帰郷前には1000枚ほどに。・・・困ったモンだ。

すいか 1989 中古の「すいか」サザン・オールスターズ。経緯はココに。

上京前に聴いたのは「綺麗 1983」と「KAMAKURA 1985」ぐらいだった。これで旧代表曲は網羅できた・・・と思ったら・・・△□○%¥$。

JVCさん、商売上手いぜ。(#`Д´)凸

PEARL PIERCE 1982 NO SIDE 1984 DA・DI・DA 1985 Delight Slight Light KISS 1988 荒井由実は上京前に聴いてたが、松任谷由実は上京後に聴く。同世代友人の影響。

上の4枚は、BASSコピーを試みた楽曲が多い。DTMコピーは・・・「リフレインが叫んでる」のリズムセクションまでくらいか。この曲のBASSはシンクラヴィアとクレジットされているが、生el-bに聞こえる。サンプリングですかな。

StingrayEX 関東在住時時、以前から気にしてたMusicman Stingrayの“EX”を入手。ただしライセンス製造の日本製と聞く。70年代Stingrayの再現モデルとも聞くが、確かに裏通しボールエンド、1Vol・2Toneコントロール、Mute付きブリッジ。これでトニー・レビンや、SADEのポール・デンマンの真似事が出来る。

その後気付いたが、松任谷由実の冬の名曲「BLIZZARD」(NO SIDEに収録)の音にも似てる。後に調べるとStingray愛用者、ルイス・ジョンソンのレコーディング参加を知る。「破れた恋の繕(なお)し方教えます」もルイスかな?。ライナーには書いてない。

3行空けのために・・・こげなことを

素顔の私 1979 Mr.メトロポリス 1980 八神純子サンの中途半端なLPコレクションを、中古CDで埋めようと旧作を探す。
ディスコメイト時代のは7枚中5枚まで収集。

←残りはNEC AVENUEの再発盤を待つしかなかった。

「水色の雨」「アイム・ア・ウーマン」「想い出のスクリーン(BEST盤にのみ収録)」などBASSコピーを試みた曲は多い。一部はDTMコピーも。

COMMUNICATION 1985 純 1985 ヤガマニア 1986

のちのアルファ・ムーン時代の3枚が面白い。以前の「生真面目」さが抜けて実験的に。多分プロデューサーの影響は大きく、嫁になってしまった?。アルファ2作目「純」の「危険なエモーション」はBASS/DTMのフルコピーに挑戦、概ね全パートの採譜が出来た、つ・も・りッ。しかしコピー譜面/MIDIデーターは何処行った?。

TRUTH HURTS 1987 MY INVITATION 1990 Mellow Cafe 1992 NECアベニュー期から。

コテコテの打ち込みサウンドから、ややアコースティック風に・・・やがて折衷的なアプローチへと移ろう八神サン、ちゅうか旦那さんの意向もあろうか。英語詩も増え、良くも悪く?も「趣味的」な制作スタンスが伺える。

MY INVITATION 1990 MY INVITATION 1990 1990年、「MY INVITATION」ツアー公演を横浜で聞く。旦那と若者米人バンドを引き連れ、新曲をたくましく唄う。ディスコメイト旧曲も披露され懐かしかったが、聴衆が少なかった事も思い出す。同時期のUSAライブが、91年1月2日にNHK衛星放送にてO.A。コレのために受信設備を導入したような記憶。

←コンサートパンフレットが出てきました。

3行空けのために・・・こげなことを

Insid of Myself 1996 良く聞いた、1996年全曲英詩のカバーアルバム。June Stanley名義だ。

知っている曲、聴いた事のある曲の中にチャカ・カーンの「スルー・ザ・ファイアー」も。彼女の洋楽指向・嗜好が垣間見える究極の趣味的作品?。

ブランクは永かったが、3.11以降再起動?。でも「追っかけ」は止めてしまった。

注:本ページで掲げきれない「記憶に残る楽曲」を「その他」楽曲メモにぶちまけました。

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音楽にうるさかった、以前の出向先の「先輩」による影響です。当時は素直に受け入れておりましたが「パーカーから聴け・・・」云々は、なんだか“偏って”る気がする。

チャーリー・パーカー・オン・サヴォイ 集大成版 1989 Kind of Blue 1959 Giant Steps 1960 チャーリー・パーカー、マイルス、コルトレーンらの旧作品を「中古CD」で聴く。う〜ん・・・どうも「音楽的」に縁が薄いことに気付く。どうやら電気・電子?楽器に毒されたのかも知れぬ。この「毒」は以後全く抜けません。

他、ビル・エヴァンス、エリック・ドルフィー、チャールズ・ミンガスなども聴いたが・・・同様。

3行空けのために・・・こげなことを

MARCUS MILLER PROJECT マイルス人脈も半端じゃないが、その中で注目してたのは、先にも述べたマーカス・ミラー。

「Live Under The Sky 91’」での音源が海賊盤に。「RUN FOR COVER」のBASSCOVERに挑むが、あの疾走感は望むべくも無い。StingrayEXでは音色が違うし、右手のフォームを真似るならピックアップフェンスが要る。

コレの映像が当時放送されVHSに録画、後にDVD-Rに移したが、オフィシャルのパッケージ化はされて無い様子。Youtubeでは見られますが、チョイ前に見られたのと違うのがUPされてる気がする。

ジョー・サンプル、レイラ・ハザウェイらとの「歌モノ」のバッキングもセンス良い。ただ、自身のソロアルバムは、ちと懲りすぎ作り込みすぎるンかと感じる。なお、この時同行しているプージー・ベル(Dr)との相性は抜群で、以後長く相方を務めてた。近年ソロキャリアへ移行した様子で、後にリーダーアルバムを聴く。

同ライブでは、ハンコック・ショーター・クラーク・ハキムらのセッションも行われた。クラークのケレン味たっぷりのBASSソロや、ハキムの口泡噴きながらのDrソロは、フェスティバルならではの演出か?。いかにも楽しそうだ。

Suddenly 1983 Jamaica Boys 1987 Straight to the Heart 1984 懲りすぎない、作り込みすぎてない?初期の「初々しい」ソロ作品。

レニー・ホワイト(Dr)らと組んだバンド名義作品。

相性の良い?デヴィッド・サンボーン作品への参加。プロデューサー業でも忙しい人になった。

4行空けのために・・・こげなことを

そろそろ耳に入ってきた「ラップ」「ヒップホップ」、及び「欧米」白人?が好む(と偏見してる)ヘビーメタルは生理的に苦手。新ためて聴き出したのは“昔”のコレらでした。

BURNIN' 1973 STAND! 1969 CHIC'S GREATEST HITS 1979 多くは970年代のばっかり。しかし、すべて新鮮。

良く聞いたのは、不思議な事にCHICだった。

WAR live 1974 Platinum Jazz 1976 Galaxy 1977 上京前に一部アナログで承知のバンド、「WAR」。同系?のE.W.&Fより垢抜けないが、奇妙なルーズさと生真面目さを好む。

FUNKバンドと思うが、珍しくもハーモニカ奏者がフロントマンの一人。日本でだけ?有名な(さほどじゃないかも・・・)リー・オスカーです。

Freak Out! 1966 Zappa in New York 1978 The Best Band You Never Heard in Your Life 1991 1960年代から活動してる人なので、遅すぎた「ザッパ」体験です。
迷曲?「拷問は果てしなく」や、難曲「ブラック・ページ」は年代を超えて進化します。

しかし、短期間に集中して聴いて・・・精神的に「来る」印象。
何が来るのかは・・・書けません。

記憶では、1993年の死去後に音楽雑誌で「特集」されたのがきっかけかと。それにしても音源多過ぎ。中古CD中心で30タイトル以上は聴いたが、まだまだある。歌詞やタイトルの「変態さ」とは裏腹に、飛びぬけた猛者たちの極上演奏が堪能できます。関連人脈は・・・多すぎて追えないが、案外あちこちで活躍してる(キング・クリムゾンのエイドリアン・ブリュー)(ジェフ・ベックのアルバムに参加した、テリー・ポジオ)ので、追っかける必要が無い?。

moonflower 1977 Viva Santana! 1988 サンタナのデビュー作や「ブラック・マジック・ウーマン」収録のAbraxas、「哀愁のヨーロッパ」のAmigosなどはアナログ時代に聴きました。「魂の兄弟たち」で引いてしまい、以後あまり追っかけてませんでした。

相当経ってから、改めて幾つかを中古CDで再体験。その中の注目盤です。

アルバムタイトルでもある「ムーン・フラワー」は「哀愁...」の2番煎じかもしれませんが、こちらを好みます。「シーズ・ノット・ゼア」はカバー曲ですが、イントロのPerは鳥肌モノ。

「アクアマリン」だけ聞き込んだ「VIVA...」共々、世間での評価が薄い。アルバム「全体」の印象から、確かにそうなのかも。

out of a book 1990 前述の第2期ジェフ・ベック・グループ1971年LIVEの海賊盤。同時期の“似た楽曲・演奏”盤も買ったが、昔聞いたのと同じ音源のが見つかった訳です。いや〜嬉しかったし、こんなCDが実際手に入る“東京”って、凄い街だと思いました。(田舎モン丸出し)

CDジャケット写真は、本当にテキトーですな。1980年代?音源も併録されてる。ここにBOOTLEG情報たっぷり。

ギターの音色は既に“無尽蔵”ともいえる多彩さを発揮しています。いや、音色というより“ニュアンス”の領域かもしれません。ワウワウも強弱・緩急の付け方が鮮やかでもあり絶妙です。トンでもない音やフレーズは存分に出てきますが、アンサンブルから浮かないし、全てがツボにはまるセンスは素晴らしい。

後年、ハードロック・ヘビーメタル系のバンドを渡り歩くコージー・パウエルのDrは、以外にも“しなやか”で“FUNKY”です。スネアやハイハットが歌ってます。もちろんパワーも充分。pfのマックス・ミドルトンは当時から「気持ちイイ」演奏してます。モコモコした録音ですが、それの所為じゃないと思う温かさを感じる音色です。

キング・クリムゾン、ピンク・フロイド、マイルス・ディヴィス、パット・メセニー、ウェザー・リポート・・・他の海賊盤も漁りました。「ハズレ音質」盤も多数・・・・。

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ラルフ・タウナーとオレゴン、その人脈(2)

CD化されたオレゴン関連は、ECMとヴァンガードだけかと思ってたら・・・東京って凄い街ね。

Out Of The Woods 1978 Roots In The Sky 1979 エレクトラ時代のオレゴン。

4人のアンサンブルスタイルに集中し、「練られた」印象の楽曲・演奏が楽しめる。
これで「In Perfomance」のCDが手に入れば完璧なんだがなあ・・・

OREGON Live ta the 1987 Freiberg Arts Festival 1990年代に入手、珍しいオレゴンの映像作品。今はYoutubeでも鑑賞可能。

残念ながら、コリン・ウォルコット死去後で、後任のトリロク・グルトゥ参加の「Ecotopia」リリース時代か。もう「あの」シタールは聴けなくなったし、後任者のタブラは上手すぎて耳に付く。でもバスドラ無しドラムセットは面白いと思うよ。そおか〜・・・あんな風に叩いてたんだ。

BASSのグレン・ムーアは、映像ではエレクトリック・アップライトを弾いてる様子。それと、幾つかの作品を聴いてて気付いたが、どうも一般的な「EADG」の四度調弦ではない。オレゴン2005年の「BEYOND WORDS」の英語ライナーには多分・・・「CADC」だろうと読める調弦説明が書かれていました。え?・・・Cの上がAって・・・6度上?・・・な、なにそれ。

Introducing Glen Moore 1979 impending bloom 1990 グレン・ムーアのソロは、JAZZスイングとは無縁の「実験的」楽曲が多い。妙なアンサンブルとソロ(pfも)・トラックが半々。

右はナンシー・キング(Vo)とのDuo名義アルバム。そのまんまVoとBASSが主で、Drなど他の楽器は控えめで、不思議に牧歌的でもある。

Cloud Dance 1976 CODONA 3 1983 コリン・ウォルコット初ソロ作品と、ドン・チェリー(tp、org、doussn'gouni、vo...)、ナナ・バスコンセロスらとの「多芸人?」トリオの3作目。

マイルス作品他、参加アルバム多数。あの「音」を求めるアーティストが多いってことですな。共演者も曲者ぞろい。

WEB記述清書中に胡散臭いの見つけた。CODONA 4だげな。
「Treehouse For Earth's Children Codona 4 / http://treehouseforearthschildren.blogspot.jp/2008/10/codona-4.html」にて。

music_Later_That_Evening.jpg HERESAY 1988 Reed奏者、ポール・マッキャンドレス参加作品とソロ。

ソプラノサックス比重が大きい印象。ライル・メイズ、スティーブ・ロドビーら、PMG人脈参加は興味深い。

Matchbook 1975 Solstice 1975 Batik 1978 ラルフ・タウナー名義のアルバムがたくさん買えた。

「Solstice」は、キース・ジャレットの「ヨーロッピアン・カルテット」人脈が参加。しかしエバーハルト・ウェーバー(b)が陰鬱?な深みを増加させてる印象。

The Restful Mind 1975 ラリー・コリエル(g)作品に、タウナー・ウォルコット・ムーアのオレゴン勢が参加。

しかしオレゴン風味を物ともしない、コリエルの演奏は興味深い。

If You Look Far Enough 1994 アリルド・アンデルセン(b)作品に参加。

ちょっぴりオレゴン風味もあるが、だれだ!ナナ・ヴァスコンセロス(Per)を「宇宙人」などと言う奴は。強烈な「地球人」を感じられますがな。

こちらにラルフ・タウナー・オレゴン作品の感想、関連情報などが満載。

オレゴン人脈絡み作品その他。総じてフツーのDrセット奏者がいない、非JAZZ?作品。

DAWN DANCE 1981 多重録音だし、残響処理は多め(ECM一時期の嗜好?)だが邪魔な「厚さ」は感じない。メロディは案外明確で親しみやすい方かな。ウォルコットはサポートに徹し、タブラも控えめ。しかし他の作品が「無い」様子。

ジャケットの「STEVE ELIOVSEN」表記は誤りか?、「STEVE ELIOVSON」が正解らしい。情報は極めて少なく、「奇天烈音楽館 Strange Kind of Music」「My Favorites -ギター製作家が紹介するお気に入りの音楽」「Manafonistas」英文などの内容からすると、表舞台から退いた印象。どこかで活躍されている事を祈る。

CYCLES 1982 ウィンター・コンソート時代からの盟友、cello奏者デヴィッド・ダーリング作品にコリン・ウォルコット参加。美しく?も、
物悲しい曲調が多い。

ラルフ・タウナー名義の「Old Friends、New Friends」に参加。ここでも美しくも物悲しい旋律を奏でる。

BUKRA 1988 レバノン人、ラビ・アブ=カリル作品にグレン・ムーア、ソニー・フォーチュン(as)、グレン・ベレズ(Frame drums etc)たち米国人が溶け込む。4曲目で聞こえる声は“strange Whistling sound is Glen Nelez' overtone singing”とノートされています。調べますと「ホーミー、フーメイ」などの喉歌(のどうた)と。

高名なウード奏者だそうですが、新鮮な響き・・・ちゅうか初めて聞く楽器ですからねえ。アラブ本場の音楽を聞いた(買った)事がないのでナンですが、宗教臭く無い印象です。

Song for Everyone 1985 ライナーを読む限り、BASSパート担当がいないし、当然聞こえない!。アルバム・リーダー、シャンカールのヴァイオリンと、ノルウェーのヤン・ガルバレク(ss・ts)二人のメロディ楽器と、ザキール・フセイン(tabla・conga)、トリロク・グルトゥ(per)二人の打楽器奏者だけとはね。

打楽器の二人ともタブラの名手ですが、クレジットされているとおりに叩き分けしているのだろうか。一部マシンのDr音と、グルトゥ独自のバスドラ無しDr演奏だけは解るが。

3行空けのために・・・こげなことを

オレゴン人脈では無いが、この時期「似た芸風?」の作品を追って入手。

NORTHERN SONG 1982 BIG MAP IDEA 1989 スティーブ・ティベッツ(g)。今調べると、結構多くの作品を出してますね。代表作かどうかは解りませんが、ECM好み?の“響き”に似合うギターと湿ったPerが、不思議な加工サウンドと共に「ぶつからない」音楽。BGM風と言えって?。

右のアルバムでは参加人数が増え、それでかどうか厚みはある。曲調は・・・変わらんかなあ、特に。

3行空けのために・・・こげなことを

「似た芸風」では無いし人脈も異なるが、プログレ臭いJAZZを求めていた時期の作品。

cloud about mercury 1987 Tamna Voda 1988 左はデヴィッド・トーン(g)名義の作品。ブルーフォード+レヴィンの“ディシプリン”キング・クリムゾン組リズム隊参加。随所にその色が見え、Rockだがマーク・アイシャムのラッパは温かい。

右はデヴィッド・トーンとシャンカール(Violin)がゲスト参加の、バンド「DARK」名義作品。奇妙なメロディラインとソロ、“乗れない”ビート、隙間を「埋めない」アレンジ、解決しそうにない展開の曲想。ヘンな雰囲気だが不快でもない、何だろう。

3行空けのために・・・こげなことを

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パット・メセニーとその人脈(2)

どんどん「濃く」「厚く」なり、「深く」沈み「遠く」へ広がり「高み」へ昇るPMGの音楽には「底」が「果て」が「天井」が無い。

Still Life (Talking) 1987 ECM時代からパットが紡ぎ出すメロディーの美しさは際立っていたが、本作品が一つの頂点なのかなと思ふ。それがあの「変拍子」を必要としているのだろうと・・・納得するしかないのかも。

これは確か・・・上京直前の買い物のはず。FUNのつもりでしたが来日情報を失念、そして・・・。

Pat Metheny Group'87 運良く手元に残ってた公演パンフレット。

以下、夢のような一夜のおはなしを。

上京間もない頃の1987年10月11日。 スティルライフ(トーキング)・ツアーの中野サンプラザ公演を「急遽」聴きにいく。前売り券買えず、当日券も買えずでうろうろしてたら、見知らぬ女性から「見れなくなったので、チケット買って下さい」と。幸運なのか裏があるのか・・・実際、入館できたので実に幸運と言わねば。

確か・・・1F・A席?で、ステージから10列ぐらいしか離れてなかったような幸運。「名も知らぬ」子さん、ありがとう。

当然アルバムは聴いており、ソレを「荒っぽくならず」見事に再現。いやそれ以上のパフォーマンスでした。旧曲も織り交ぜ、特に"The First Circle"のメンバーによる手拍子が始まった時には鳥肌が。解ってる聴衆は「12/8拍子と10/8拍子?」に合わせて 叩いてたが・・・できまへん。 特に小節アタマの休符がムズカシイ。

アルバム「コードネームはファルコン」からの「ジス・イズ・ノット・アメリカ」も。複数楽器兼ヴォイス担当のお二人がデヴィッド・ボウイより上手く?歌い上げてくれました。

Letter From Home 1989 We Live Here 1995 Imaginary Day 1997 同一文言だが・・・

どんどん「濃く」「厚く」なり、「深く」沈み「遠く」へ広がり「高み」へ昇るPMGの音楽には「底」が「果て」が「天井」が無い。

それに乗っかる「アドリブ」は案外変わってない気もするが気のせいか?。

パット・メセニー自身のソロや参加作品は、更に多くとても全部集めきれない。2005年以降、PMG名義作品が無いので、以後全てがソロワーク?・・・。

Parallel Realities 1990 Secret Story 1991 moonstone 1989 右端のトニーニョ・オルタ作品には、旧友マーク・イーガン、ダニー・
ゴットリーブも参加。

なお、「美しく」ない?作品も多々有り、聞いてはみるが「理解」出来ィせんのも確か・・・。申し訳ないが偏ります。

Lyle Mays 1986 Street Dreams 1988 パット・メセニー・グループのPf・Key奏者、ライル・メイズのソロ作品。

参加メンバーは全く違うのに、どこかPMG風でもある。しかし、この人のSYN音色はとにかく美しい。この2作もそうだが、PMGやジョニ・ミッチェルLiveで聞かれる、Oberheim 8-Voiceだと聞くPADは最高。

ELEMENTS 1982 Mosaic 1985 同初代BASS、マーク・イーガンと、ダニー・ゴットリーブの双頭バンド、及びマークのソロ作品。

音の加工は気になるが、フレットレス・ベースの「美しさ」を追求。

ヨソ様に請われて参加すると、柔軟なグルーヴを提供する稀有なリズム隊。

Aquamarine 1986 Whirlwind 1988 同初代Dr、ダニー・ゴットリーブの初期ソロ。

ここでも「なんでもやります」演奏スタイル。しかし第?期マハビシュヌ・オーケストラでは、
ジョナス・ヘルボーグと共に「過激」なリズム隊を組むことを後に知る。

Live At Sweet Basil 1986 上京前にアナログで聴いたのかもしれませんが。

マーク・イーガン参加。ビッグバンド編成とも言えんし、音楽性も往年のビッグバンド・ジャズではありませんし、SWINGしづらい。TR1.PARABOLAでは、バスcl→Tpのソロに続き、後半からマークのソロが炸裂、うねりまくります。

3行空けのために・・・こげなことを

注:本ページで掲げきれない「記憶に残る楽曲」を「その他」楽曲メモにぶちまけました。

HS-400改 転勤のお供は日立HS-400改・・・上京2年目頃にユニットとN・Wを招いて勤務地で拵えました。

タマアンプ道楽は停滞し、80Wx2某社プリメインで聴く。

3行空けのために・・・こげなことを

タマいぢりをほっといて、5弦BASS遍歴を。↓に掲げる製品前の「ESPオーダーモデル」は・・・伏せた。

tune TRBナンタラ MOON JJ5 G&L L2500.jpg TUNEの写真は某SHOPから拝借、確かこんな奴のTOP材違いでした。MOONは自前の写真で、ブラック・コリーナ材ボディと称して売ってた。G&Lは・・・メイプルネックのコレだったはず。

いずれももう無い。無駄な、そしてもったいない遍歴です。

スタインバーガーL25 忘れられないMODEL、関東在住時に5弦のホンモノを中古で。まあ〜・・・4弦ネックに5本張ったような構造。操作性は相当キツく、コンディションも今一つ。トラスロッドが無い(要らん設計だと)のでADJしたくても・・・これは縁が無いものと考えるしかないのか。

本来の調子ではないと思うが、指先のコントロールにはデリケート。妙な「ビビリ」が無ければ、サスティンは長く、すっごく澄んだ音で鳴る。アタックも独特で、言葉や文字には出来まへん。

10-string polycarbonate Chapman Stick 以前から興味のあった「スティック・タッチボード」にまで手を出す。廉価版の樹脂ボディモデル。10弦楽器だし、el-BASSのタッピングとはワケが違う奏法だし、第一「あの」独特の調弦に“アタマと体”が追いつかん。早々に挫折感を味わい、放置。後年、ハード・ウェアの不調にも至る・・・。

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DTMゴッコ(2)

DTM熱は上京後も暫く続き、同好の友人にも出会いましたが、年代的にも仕事中心の生活にならざるを得ず、交流は「薄め」・・・。偏った音楽ライフですな。

Oberheim Matrix 6R 1986? YAMAHA SY-77 1989 YAMAHA TG-77 1990

当時の新製品ばかり。SY-77は流行の、シーケンサー・ドラム音源内蔵機なので、旧型機は売った。こんなことが7〜8年続く。

音楽製作の腕は上達せず、気に入った楽曲の「出来そう」なのをDTMコピーしてたのが殆ど。友人から頼まれて「違法?」なカラオケを作った事があります。唄いたいが「カラオケテープが出て無い」という、中島み○きの曲でした。

Roland PAD-8 1985 こんなのにも手を出してしまいました。「静かに」叩けるか・・・と思いきや、生音が結構大きい。H/Pを使用しても、目の前から聞こえる「パカパカ」音も同時に聞こえます。それに・・・叩き方のトレーニングは必須、打楽器の「基礎」が出来てないと「上手く」出来っこないワケだ。

YAMAHA QY10 1990 YAMAHA QY300 1994 YAMAHA MU128 1998 シンセもそうだが、最初期がYAMAHAだったから?、シーケンサもYAMAHAばかり。最終的にはWin-PC使用(1999年頃?)に至る・・・が。

後に「才能など無い・・・情熱も・・・」と観念。帰郷前に大半を処分。

3行空けのために・・・こげなことを

KYDD BASS ・・・懲りずに、帰郷前年頃購入。多くは語らンとこう。

3行空けのために・・・こげなことを

帰郷後の音楽体験は(2)に続きます。

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